きたおかじんじゃ
北岡神社熊本県 祗園橋駅
夜明けから日没まで
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | |||
駐車場 | あり |
北岡神社へお参りしました。
日差しは強かったのですが、風あって歩くには気持ち良い気候でした。
JR熊本駅近く。狛犬様も毎日、新幹線見てますよね🚅
参拝後のランチは、駅ビルで熊本ラーメン🍜6階からの眺めも良く、美味しく頂けました😆
ラーメンだけ。はずだったのに…餃子も頼んでしまいました😋
木陰から、JR🚅が見えます。
九州新幹線「熊本」駅から北東方向へ徒歩約5分ほどのところに鎮座。
熊本駅で予約した新幹線の時間までどうしようかと思い、近くにこちらの神社があることを知りお参りさせていただきました。
思っていたよりも大きな神社で、鳥居奥の一対の大きな楠のご神木に圧倒されました。
「厄除の夫婦楠」と呼ばれ、間をくぐれば厄除け開運・家庭円満・縁結びの御利益が授かると言われているそうです。
楼門をくぐると正面に社務所があり、右手の階段を進むと拝殿前に出ます。
とても立派な拝殿で昭和九年御造営とは思えないしっかりとした拝殿でした。
さらに拝殿前にはまた別のご神木「宝授の大楠」があります。
こちらは願いを込めながらこの大楠のお腹を撫でるのだそうです。
御祭神 健速須盞嗚尊
奇稲田姫命
八柱御子神
<御由緒>
承平4年(934年)、凶徒の叛乱と疫病の流行を鎮めるために京都の祇園社(八坂神社)の御分霊を勧請し創建。
承平7年(937年)には、車屋敷(現二本木二丁目)に遷座され、京よりお供して来た神官・僧侶・伶人等もこの神域に居住。
肥後国誌によると安和2年(969年)からは、国司となった菅原光家が勅使も兼勤するようになってこの地に留まり、その末裔である光永家が代々に亘り勅使代としてその任に就くようになった。
昭和8年 (1933年) 4月には御鎮座一千年を向かえ、久邇宮殿下より直筆の御神額を賜る。
「厄除の夫婦楠」
夫婦楠を下から見上げるとこんな感じ。
夫婦楠の周りを8の字を描くように廻る「良縁まいり」の説明
楼門
手水舎
夕陽に照らされてきれいでした!
手水舎前から楼門を振り返って
拝殿
久邇宮朝融王殿下 御染筆神額
神殿(本殿)
宝授の大楠
壱之御輿
とても渋くてかっこよかったです
八坂神社 遥拝所
舞殿
熊本地震で神楽殿が半壊したため、2020年に建設されました
末社 宮地嶽神社
末社 菅原神社
末社 新宮神社
末社 稲荷神社
末社 護町神社
末社 久末神社
西郷隆盛本営跡の碑
当神社は承平四年(934)第六十一代朱雀天皇の御代に、武勇名高い藤原保昌が肥後国司として下向された際、凶徒の叛乱と疫病の流行を鎮めるために京都の祇園社(八坂神社)の御分霊を勧請し、飽託郡湯原(現二本木五丁目)に府中の鎮護として創建されたのが始まりとされ、当地でも祇園社、祇園宮と尊称されていました。
名称 | 北岡神社 |
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読み方 | きたおかじんじゃ |
通称 | 祇園宮 |
参拝時間 | 夜明けから日没まで |
トイレ | あり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 096-352-2867 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
メールアドレス | info@kato-jinja.or.jp |
ホームページ | http://www.kitaoka-jinja.or.jp/ |
絵馬 | あり |
ご祭神 | 《主》健速須盞嗚命,奇稲田姫命,八柱御子神 |
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創建時代 | 934年(承平4年) |
創始者 | 藤原保昌 |
ご由緒 | 当神社は承平四年(934)第六十一代朱雀天皇の御代に、武勇名高い藤原保昌が肥後国司として下向された際、凶徒の叛乱と疫病の流行を鎮めるために京都の祇園社(八坂神社)の御分霊を勧請し、飽託郡湯原(現二本木五丁目)に府中の鎮護として創建されたのが始まりとされ、当地でも祇園社、祇園宮と尊称されていました。 |
体験 | 御朱印お守り |
概要 | 北岡神社(きたおかじんじゃ)は、熊本県熊本市西区春日1丁目に鎮座する神社である。平安時代に京都の祇園社の分霊を勧請して創建されたと伝わり、熊本市域においては藤崎八旛宮と並ぶ由緒を持つ古社である。旧社格は県社。 祇園社、祇園宮(ぎおんぐう)と称されていたが、1868年(明治元年)に神仏混交禁止を受けて北岡宮に、さらに1872年(明治4年)に現在の名称に改められた。東側200メートルほど離れた坪井川に架かる祇園橋と熊本市電の祇園橋停留場に旧社名の名残をとどめている。 |
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歴史 | 由緒[編集] 社伝によれば、934年(承平4年)、藤原保昌が肥後守として下向したおり、京都の祇園社(八坂神社)の分霊を、国府(現熊本市西区二本木周辺)の湯ノ原(現二本木5丁目)に鎮護のため勧請したのが創祀であるという。ただし、藤原保昌は958年(天徳2年)の生まれで肥後守の任期もかなり後のことなので、そのまま史実とすることはできない。 はじめ祇園宮と称した[1]。937年(承平7年)には車屋敷(現二本木2丁目)に遷座され、さらに979年(天元2年)に朝日山へ遷宮した[2]。同山は祇園山と呼ばれるようになったが、明治に至り花岡山に改められた。 創建当初から「宝祚無窮、天下泰平、国家安全、悪...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通[編集] 熊本空港、九州自動車道熊本インターチェンジより車で約40分 熊本城より車で約10分 JR熊本駅より車で約2分、徒歩で約4分 熊本市電A系統 祇園橋電停より徒歩で約4分 九州産交バス・熊本市営バス・熊本電鉄バス・熊本バス・熊本都市バス 「北岡神社前」バス停より徒歩で約2分 |
引用元情報 | 「北岡神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%8C%97%E5%B2%A1%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=100124484 |
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