じゅふくじ|臨済宗建長寺派|亀谷山(きこくさん)
寿福寺神奈川県 鎌倉駅
中門手前までの参道と脇道から高台の墓地までは、日中の無料公開。
中門から先の境内は特別公開の時期を除いて非公開。
じゅふくじ|臨済宗建長寺派|亀谷山(きこくさん)
中門手前までの参道と脇道から高台の墓地までは、日中の無料公開。
中門から先の境内は特別公開の時期を除いて非公開。
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | なし |
鎌倉市扇ガ谷にある臨済宗建長寺派のお寺。
北条政子が日本の臨済宗の開祖である明菴栄西禅師を開山に迎え入れ建てたお寺。かつては源頼朝の父義朝の館があった場所だと云われています。三代将軍実朝も何度も参拝に来ていたお寺です。
総門から中門までの参道は苔と木々に囲まれた風情のある雰囲気。中門から先は本堂も含めて普段は立ち入り禁止です。御朱印を取り扱っていると聞いていましたが私が来た時は休止中でした。
寿福寺さんには北条政子と源実朝のお墓があると聞いて中門前からぐるりと回り込むような道を辿って墓地へと向かいました。薄暗く山道のような雰囲気で墓地も入り組んだ迷路の様になっているので気を付けて下さい。何だか探検している気分です。北条政子と実朝のお墓は墓地の北にあるやぐらの中にありました。それぞれ五輪塔が建てられていて両方に手を合わせてきました。
総門
参道
中門
国指定史跡
俳句ポスト
境内
境内
井戸
石塔
寿福寺前の踏切
福寿寺由緒
境内
参道
北条政子の墓
源実朝の墓
庚申塔
22.12.06。隣接の八坂大神より移動。鎌倉市扇ヶ谷にある臨済宗建長寺派の寺院。
《北条政子ゆかりの寺》
寺格 鎌倉五山(第三位)
山号 亀谷山(きこくさん)
創建 正治2年(1200年)
開山 明菴栄西
開基 北条政子
本尊 釈迦如来
札所 鎌倉三十三観音霊場
第二十四番
鎌倉二十四地蔵尊霊場
第十八番
鎌倉十三佛霊場 第四番
【歴史】~Wikipediaより抜粋~
寿福寺のある付近は、奥州に向かう源頼義が勝利を祈願したといわれる源氏山を背にした、亀ヶ谷と呼ばれる源氏家父祖伝来の地であり、頼朝の父・源義朝の旧邸もこの地にあった。
1180年(治承4年)初めて鎌倉入りした頼朝は、ここに幕府を構えようとしたが、すでに岡崎義実が堂宇を建て義朝の菩提を弔っていたことや、土地が狭かったため、当初の計画を変更したといういきさつがある。
創建当時は七堂伽藍を擁し、14の塔頭を有する大寺院で、禅刹として体裁を整えたのは1278年(弘安元年)頃と推定されている。(後略)
鎌倉33観音・鎌倉24地蔵尊霊場の札所巡りで参詣。今年にご住職様が鬼籍に入られたようで、門前には「山門不幸」の立札があります。よってまだお取込み中のようで、御朱印は当面休止中です。
庚申塔などの石碑群。
↓
《寺号標》と《総門》
門内より参道を望む。
参道
↓
中門
手前左手に折れると政子と実朝のお墓に行けます。今回は前日の雨で足場が悪くてパスしました。
仏殿
中へは入れません、正月とGWは公開されるようです。
鐘楼
この奥が寺務所です。
23.05.18。JR横須賀線/江ノ電「鎌倉駅」西口より徒歩10分。市内扇ガ谷1丁目にある臨済宗建長寺派の寺院。《北条政子ゆかりの寺》
寺格 鎌倉五山(第三位)
山号 亀谷山(きこくさん)
創建 正治2年(1200年)
開山 明庵栄西
開基 北条政子
本尊 釈迦如来坐像
札所 鎌倉三十三観音霊場 第二十四番
鎌倉二十四地蔵尊霊場 第十八番
鎌倉十三佛霊場 第四番
弘法大師相模二十一ヶ所霊場 第七番
正治2年、源頼朝の妻・北条政子が頼朝の死後、頼朝の父である義朝の旧邸跡に栄西を招いて創建した寺で13世紀後半になって禅宗の寺院となりました。三代将軍実朝もしばしば訪れ、最盛期には十数ヶ所の塔頭を擁する大寺であったといいます。
〜鎌倉観光公式ガイドより引用〜
何度も訪れているお寺さんですが、昨年の山門不幸(御住職の逝去)以降、御朱印拝受が叶わずでありましたが、情報によると書き置き対応で可能と知り、久しぶりに参詣しましたが、又もや縁がありませでした😢
山門前右手の石碑
寺号標
山門
美しい参道です。
御朱印の書き置き対応の案内板があるのですが、、、
長い参道が続きます。
中門
境内は正月やGW公開のようです。
仏殿(本堂)
鐘楼
寺務所方向
用ある人と御朱印を求める人は入境可
平日11:30参詣で、この状況でした!
名称 | 寿福寺 |
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読み方 | じゅふくじ |
参拝時間 | 中門手前までの参道と脇道から高台の墓地までは、日中の無料公開。
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参拝にかかる時間 | 公開範囲ならば、15分ほど。高台墓所の ’ 北条政子墓所 ’ と ’ 源実朝墓所 ’ 参拝 、著名人墓所参拝などを併せると30分ほど。 |
参拝料 | なし |
トイレ | なし(ただし、ほぼ隣で今小路沿いに公衆トイレあり。) |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0467-22-6607 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
鎌倉三十三観音霊場 第24番 | 御本尊:十一面観音 御真言: おん まか きゃろにきゃ そわか 御詠歌: 清水を てつ井にうつす 観世音 末の世までも 光輝く |
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鎌倉二十四ヵ所地蔵めぐり 第18番 | 御本尊:釈迦如来 |
ご本尊 | 釈迦三尊像 _ ・中尊の釈迦如来坐像は高さ2.7メートルの室町時代の作だが、この時代には珍しい脱活乾漆造。 ・両脇侍像は木造。 |
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山号 | 亀谷山(きこくさん) |
宗旨・宗派 | 臨済宗建長寺派 |
創建時代 | 1200年(正治2年) |
開山・開基 | 開基:北条政子 開山:栄西 |
文化財 | < 重要文化財 >
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体験 | 仏像御朱印重要文化財武将・サムライ有名人のお墓札所・七福神巡り |
供養 | 一般墓 |
概要 | 寿福寺(じゅふくじ)は、神奈川県鎌倉市扇ガ谷にある臨済宗建長寺派の寺院である。正式には亀谷山寿福金剛禅寺(きこくさん じゅふくきんごうぜんじ)と号する。鎌倉五山第三位の寺院である。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は北条政子、開山(初代住職)は栄西である。鎌倉三十三観音霊場の第24番。鎌倉二十四地蔵の第18番。境内は「寿福寺境内」として、国の史跡に指定されている。 |
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歴史 | 歴史[編集] 源頼朝が没した翌年の1200年(正治2年)、妻の北条政子が葉上房栄西(明菴栄西)を開山に招いて創建した。 もともと現在の寿福寺のある付近は、奥州に向かう源頼義が勝利を祈願したといわれる源氏山を背にした、亀ヶ谷と呼ばれる源氏家父祖伝来の地であり、頼朝の父・源義朝の旧邸もこの地にあった[1]。1180年(治承4年)初めて鎌倉入りした頼朝は、ここに館(幕府)を構えようとしたが、すでに岡崎義実が堂宇を建て義朝の菩提を弔っていたことや、土地が狭かったため、当初の計画を変更したといういきさつがある[2]。 創建当時は七堂伽藍を擁し、14の塔頭を有する大寺院で、禅刹として体裁を整えたのは...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通[編集] 横須賀線(JR東日本)・江ノ島電鉄「鎌倉駅 西口」下車15分 |
引用元情報 | 「寿福寺」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%AF%BF%E7%A6%8F%E5%AF%BA&oldid=102004741 |
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