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楽しみ方鶴岡八幡宮のお参りの記録一覧
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24.06.07。JR鎌倉駅東口より徒歩10分。鎌倉市雪ノ下2丁目に鎮座。
御祭神 応神天皇・比売神
神功皇后
創建年 康平6年(1063年)
社格等 旧国幣中社
神社本庁の別表神社
例大祭 9月15日
【由緒】当宮参拝の栞より
康平6年、源頼義が奥州を平定して鎌倉に帰り、材木座に源氏の氏神として八幡宮をお祀りしたのがはじまりです。その後、源頼朝公が鎌倉に入るや直ちに現在の地に遷し祀り、建久2年(1191)には上下両宮の現在の姿に整えられました。
当宮は関東の守護、国家鎮護の神社となり、全国から崇敬を集め、各地に八幡宮(八幡神社)がお祀りされるようになりました。
今回は駅から海岸方面まで足を伸ばし、一の鳥居からスタートしました。改めて当宮の歴史を再認識できて良かったです。境内は修学旅行と思われる小学生や外国人のグループが目立ち、屋台なども出ており混雑してました。
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GW前半は、鎌倉で御朱印散歩。 神奈川県ではお初となる寺社巡り、最初に訪れたのは定番中の定番、鶴岡八幡宮です。 康平6年(1063年)に河内源氏の二代目棟梁であった源頼義(みなもとのよりよし)が前九年の役(永承6年/1051年~康平5年/1062年)にて奥州を平定した後、鎌倉へ帰り河内源氏の氏神である京都の石清水八幡宮を由比郷鶴岡(現在の材木座1丁目)に勧請したのがその始まりとされます。 そこから時代が下ること約120年後の治承4年(1180年)、源氏再興の挙兵を果たして鎌倉に入った源頼朝(みなもとのよりとも)によって鎌倉の都市づくりの中心として現在の地に遷されました。 同年、後白河法皇(ごしらかわほうおう)の皇子である以仁王(もちひとおう)の発した令旨により平家打倒の兵を挙げた頼朝は、治承・寿永の乱~元暦2年(1185年)、壇ノ浦の戦いによって平家を滅ぼし、ここ鎌倉に幕府を開きます。 建久2年(1192年)には一度火災に見舞われますが、上下両宮を再建して改めて石清水八幡宮を勧請すると、幕府の重要な儀式や祭事を行う宮殿的な役割を持った鎌倉幕府の中枢となる施設として整備されていきます。 こうして東国武士団の精神的中心、社会的中心となった鶴岡八幡宮は、鎌倉幕府滅亡後も足利氏や、後北条氏、豊臣氏、徳川氏などの後世の武家政権から、武門の守護神として広く崇敬を受けていくこととなります。 特に江戸幕府の将軍家である徳川家は河内源氏の後裔を称したため、頼朝が造った鎌倉の地を武家政権発祥の聖地として手厚く保護し、鶴岡八幡宮の他、建長寺などの社寺の復興に力を注ぎました。 現在の本宮(上宮)は、文政11年(1828年)に江戸幕府11代将軍・徳川家斉(とくがわいえなり)が再建したもので国の重要文化財に指定されています。 久々の寺社巡り、段葛から三の鳥居越しに朱色に塗られた本宮が見えた時は、その荘厳さに鳥肌が立つほどでした。
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