御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方

つるがおかはちまんぐう

鶴岡八幡宮のお参りの記録一覧
神奈川県 鎌倉駅

8 / 42ページ176〜200件1,026件中
らんでぃー
らんでぃー
2024年06月16日(日)386投稿

GW前半は、鎌倉で御朱印散歩。 神奈川県ではお初となる寺社巡り、最初に訪れたのは定番中の定番、鶴岡八幡宮です。 康平6年(1063年)に河内源氏の二代目棟梁であった源頼義(みなもとのよりよし)が前九年の役(永承6年/1051年~康平5年/1062年)にて奥州を平定した後、鎌倉へ帰り河内源氏の氏神である京都の石清水八幡宮を由比郷鶴岡(現在の材木座1丁目)に勧請したのがその始まりとされます。 そこから時代が下ること約120年後の治承4年(1180年)、源氏再興の挙兵を果たして鎌倉に入った源頼朝(みなもとのよりとも)によって鎌倉の都市づくりの中心として現在の地に遷されました。 同年、後白河法皇(ごしらかわほうおう)の皇子である以仁王(もちひとおう)の発した令旨により平家打倒の兵を挙げた頼朝は、治承・寿永の乱~元暦2年(1185年)、壇ノ浦の戦いによって平家を滅ぼし、ここ鎌倉に幕府を開きます。 建久2年(1192年)には一度火災に見舞われますが、上下両宮を再建して改めて石清水八幡宮を勧請すると、幕府の重要な儀式や祭事を行う宮殿的な役割を持った鎌倉幕府の中枢となる施設として整備されていきます。 こうして東国武士団の精神的中心、社会的中心となった鶴岡八幡宮は、鎌倉幕府滅亡後も足利氏や、後北条氏、豊臣氏、徳川氏などの後世の武家政権から、武門の守護神として広く崇敬を受けていくこととなります。 特に江戸幕府の将軍家である徳川家は河内源氏の後裔を称したため、頼朝が造った鎌倉の地を武家政権発祥の聖地として手厚く保護し、鶴岡八幡宮の他、建長寺などの社寺の復興に力を注ぎました。 現在の本宮(上宮)は、文政11年(1828年)に江戸幕府11代将軍・徳川家斉(とくがわいえなり)が再建したもので国の重要文化財に指定されています。 久々の寺社巡り、段葛から三の鳥居越しに朱色に塗られた本宮が見えた時は、その荘厳さに鳥肌が立つほどでした。

鶴岡八幡宮の鳥居

鶴岡八幡宮・神社名碑と二の鳥居

鶴岡八幡宮の景色

鶴岡八幡宮・段葛

他29枚の写真を見る
もっと読む
行きたい
行った
お問い合わせ

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ