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くじょうじ|日蓮宗光円山

久成寺
神奈川県 富士見町駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

20台以上。 大型バスも留められます。

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こばけん
こばけん
2023年12月28日(木)
1121投稿

23.12.25。先の二伝寺より徒歩20分。鎌倉市植木の県道302号線沿い、「久成寺前」バス停そばにある日蓮宗の寺院。
《徳川家康ゆかりの寺》

山号 光円山

創建 永正17年(1520)

開基 梅田尾張守秀長

開山 日舜

本尊 曼荼羅本尊

【縁起】
 永正17年、足利11代将軍義澄に仕えた梅田尾張守秀長が宅地を寄進して創建した。徳川家康が小田原攻めの際に立ち寄って祈祷を頼み、恩賞として三石を与えたといわれ、鷹狩りの折には「葵の紋」入りの弁当箱を授けられたという。
寺には、「鎌倉郡玉縄郷ノ内三石のこと」と書かれた徳川5代将軍綱吉の朱印状が残されている。

境内には、鎌倉幕府3代将軍源実朝を暗殺した「公暁」を討ったとされる長尾定景一族の墓がある。定景は長尾景虎(上杉謙信)の祖先にあたるのだという。
Webサイト「鎌倉手帳」より引用

 藤沢市と鎌倉市の境にあるお寺ですが、県道沿いにある割りには、一歩境内に入ると静寂さがあり、落ち着いた雰囲気で参詣できました。

久成寺(神奈川県)

御首題

久成寺(神奈川県)

入り口左側
お題目塔(寺号標)

久成寺(神奈川県)

入り口右側

久成寺(神奈川県)

参道

久成寺(神奈川県)

山門

久成寺(神奈川県)
久成寺(神奈川県)

寒桜と十三重石塔

久成寺(神奈川県)

本堂遠景

久成寺(神奈川県)

山門をくぐり左側↓

久成寺(神奈川県)

日蓮聖人像

久成寺(神奈川県)

右側に

久成寺の本殿

本堂

久成寺(神奈川県)
久成寺(神奈川県)
久成寺(神奈川県)

久成寺(神奈川県)

浄行菩薩

久成寺(神奈川県)
久成寺(神奈川県)
久成寺(神奈川県)

歴代上人のお墓

久成寺(神奈川県)

本堂前より山門振り返り

久成寺(神奈川県)

寺務所
こちらで書き置きの御首題を拝受。

久成寺(神奈川県)

外塀のそばに

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mitch
mitch
2020年12月09日(水)
2171投稿

20.12.07 鎌倉「久成寺」参拝_ 鎌倉市植木

玉縄城址の南側、
藤沢市渡内(わたうち)と鎌倉市植木との境近くに日蓮宗光円山久成寺がある。
永正17七年(1520)に尾張守 梅田秀長が土地を寄進して、
日瞬を開山として建立したとされます。
梅田秀長は、小田原北条氏(後北条氏)の家臣で玉縄城の武将。

もとは身延山久遠寺の末寺。
文政5年(1822年)火災で焼けた後に再建して、
日蓮宗開宗750年を機に平成15年(2003)新築され
現在は新しい屋根に葵の紋を擁す本堂 と 庫裡。 
境内参道階段も近年に改修されました。

3代将軍実朝を討った、公暁を斬った長尾定景一族の墓と伝えられる石塔がある。
横浜市内にある定景にゆかりのある長尾城址より、
昭和32年に ここに移されたものであるそうです。

長尾定景は、長尾景虎(上杉謙信)の祖先とされています。
頼朝との ” 石橋山合戦 ” に平氏側として出陣し捕らえられたが、
助命され源氏側の武将となったとされております。
しかし老齢になった頃に公卿を斬る役を命じられ、
源氏の血を絶つ実行者となった数奇な運命を辿ったとされています。

徳川家康が小田原出陣の途中に立ち寄ったという伝えがあり
、天正19年(1591)には家康より寺領の寄進を受けている。
家康は鷹狩りの折にも立ち寄り「葵の紋」入りの弁当箱を授けたそうで、
行厨(こうちゅう)あるいは破子(わりご)と称し
久成寺の寺宝となっています。

他にも、徳川五代将軍綱吉の朱印状が残されています。

久成寺の建物その他

01-1) ’ 久成寺バス停 ’ 直近入口から左方の、
          大型バスも留められる駐車場。 _ 鎌倉市植木

久成寺の建物その他

01-2) 山門への参道
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久成寺の山門

02-1) 日蓮宗「光円山久成寺(くじょうじ)」 山門 と 石造十三重塔

久成寺の建物その他

02-2) 山門前から、上段境内方向。

久成寺の建物その他

02-3) 山門前から、境内の紅葉。

久成寺の建物その他

02-4) 山門横の、十三重塔。

久成寺の建物その他

02-5) 十三重塔横の、冬咲き種?の桜か? 
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久成寺の庭園

03-1) 参道階段に向かって左方の、紅葉。

久成寺の自然

03-2) 日蓮上人像 

久成寺の歴史

03-3) 日蓮上人像に向かって右下で植栽に隠れてしまっている、
     石碑 ” 當山縁由 北條義澄公臣 秀長公邸址 ” 云々
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久成寺の建物その他

03-4) 本堂再建して後、近年に整備された上段境内への参道階段。

久成寺の建物その他

03-5) 参道階段に向かって右方の、庫裡方向。
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久成寺の景色

04) 上段境内から、山門方向を振り返る。
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久成寺の本殿

05-1) 本堂遠景。 写真左下は、新築工事中の観音堂。

久成寺の仏像

05-2) 観世音菩薩立像 
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久成寺の本殿

06-1) 本堂近景

久成寺の本殿

06-2) 本堂の向拝下から

久成寺の建物その他

06-3) 本堂の扁額 
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久成寺の本殿

07-1) 本堂遠景 

久成寺の本殿

07-2) 本堂に向かって、左側面方向の 山に囲まれた遠景。

久成寺の本殿

07-3) 本堂に向かって、左側面。
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久成寺の建物その他

08) 雛壇状地に二階建ての庫裡で、二階側の玄関方向。
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久成寺の自然

09) 本堂に向かって左方の山 
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久成寺の自然

10-1) 竹林に囲まれた本堂裏山と庭園(左/3) 

久成寺の自然

10-2) 竹林に囲まれた本堂裏山と庭園(中/3) 

久成寺の庭園

10-3) 竹林に囲まれた本堂裏山と庭園(右/3) 
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20.12.07A #鎌倉 「 #久成寺 」_ #鎌倉市植木
https://mitch1.blog.ss-blog.jp/2020-12-09-1?1607491097

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歴史

玉縄城址の南側、
藤沢市渡内(わたうち)と鎌倉市植木との境近くに日蓮宗光円山久成寺がある。
永正17七年(1520)に尾張守 梅田秀長が土地を寄進して、
日瞬を開山として建立したとされます。
梅田秀長は、小田原北条氏(後北条氏)の家臣で玉縄城の武将。

もとは身延山久遠寺の末寺。
文政5年(1822年)火災で焼けた後に再建して、
日蓮宗開宗750年を機に平成15年(2003)新築され
現在は新しい屋根に葵の紋を擁す本堂 と 庫裡。 
境内参道階段も近年に改修されました。

3代将軍実朝を討った、公暁を斬った長尾定景一族の墓と伝えられる石塔がある。
横浜市内にある定景にゆかりのある長尾城址より、
昭和32年に ここに移されたものであるそうです。

長尾定景は、長尾景虎(上杉謙信)の祖先とされています。
頼朝との ” 石橋山合戦 ” に平氏側として出陣し捕らえられたが、
助命され源氏側の武将となったとされております。
しかし老齢になった頃に公卿を斬る役を命じられ、
源氏の血を絶つ実行者となった数奇な運命を辿ったとされています。

徳川家康が小田原出陣の途中に立ち寄ったという伝えがあり
、天正19年(1591)には家康より寺領の寄進を受けている。
家康は鷹狩りの折にも立ち寄り「葵の紋」入りの弁当箱を授けたそうで、
行厨(こうちゅう)あるいは破子(わりご)と称し
久成寺の寺宝となっています。

他にも、徳川五代将軍綱吉の朱印状が残されています。

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久成寺の基本情報

住所神奈川県鎌倉市植木494
行き方

JR東海道線またはJR横須賀線「大船駅」西口バス3番乗場の船32で、「久成寺前」バス停を下車して直近。

アクセスを詳しく見る
名称久成寺
読み方くじょうじ
参拝にかかる時間

15分

参拝料

なし(志納)

トイレなし
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし
電話番号0467-46-2837
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

山号光円山
宗旨・宗派日蓮宗
創建時代1520年(永正17年)
開山・開基開山:日舜 / 開基:梅田尾張守秀長
本堂曼荼羅本尊
ご由緒

玉縄城址の南側、
藤沢市渡内(わたうち)と鎌倉市植木との境近くに日蓮宗光円山久成寺がある。
永正17七年(1520)に尾張守 梅田秀長が土地を寄進して、
日瞬を開山として建立したとされます。
梅田秀長は、小田原北条氏(後北条氏)の家臣で玉縄城の武将。

もとは身延山久遠寺の末寺。
文政5年(1822年)火災で焼けた後に再建して、
日蓮宗開宗750年を機に平成15年(2003)新築され
現在は新しい屋根に葵の紋を擁す本堂 と 庫裡。 
境内参道階段も近年に改修されました。

3代将軍実朝を討った、公暁を斬った長尾定景一族の墓と伝えられる石塔がある。
横浜市内にある定景にゆかりのある長尾城址より、
昭和32年に ここに移されたものであるそうです。

長尾定景は、長尾景虎(上杉謙信)の祖先とされています。
頼朝との ” 石橋山合戦 ” に平氏側として出陣し捕らえられたが、
助命され源氏側の武将となったとされております。
しかし老齢になった頃に公卿を斬る役を命じられ、
源氏の血を絶つ実行者となった数奇な運命を辿ったとされています。

徳川家康が小田原出陣の途中に立ち寄ったという伝えがあり
、天正19年(1591)には家康より寺領の寄進を受けている。
家康は鷹狩りの折にも立ち寄り「葵の紋」入りの弁当箱を授けたそうで、
行厨(こうちゅう)あるいは破子(わりご)と称し
久成寺の寺宝となっています。

他にも、徳川五代将軍綱吉の朱印状が残されています。

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