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えんがくじ|臨済宗円覚寺派瑞鹿山

円覚寺のお参りの記録一覧
公式神奈川県 北鎌倉駅

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よしくん(ホトカミ運営代表)
よしくん(ホトカミ運営代表)
2025年02月01日(土)1080投稿

「食事と姿勢で人生は変わる」
北鎌倉の円覚寺の横田南嶺老師に、身体の使い方やイス坐禅など教えていただきました。

今回もたくさんの気付きがありました。
ご一緒した方も「人生が変わった」と仰るほど、身体の変化に感動されていました。

特に、2025年1月27日第1482回の管長日記で取り上げられていた「新発見 - 平伏の身体観 -」が驚きでした。
ちょっとした違いで、こんなにも身体が変わるのかと感動しました。人間の身体は面白いです。

また、坐禅のときの手の形(法界定印)について、これまで、特に考えたことがありませんでした。しかし、手全体が脱力した自然な形を重ねていると知り、なるほど!と納得しました。

「食事と姿勢で人生は変わる」
先日、円覚寺さんで一日禅修行体験をされたWBCの栗山英樹前監督へ、横田老師が伝えられた言葉です。

以下、第1479回「栗山さんとの対談本できる」2025年1月31日を引用します。
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禅はまず食事や坐禅の姿勢から入ります。

今の時代は特に食が乱れているように感じます。

その地の畑でとれたお野菜にお味噌やお漬物などの発酵食品を丁寧に感謝していただくと、それだけでも人は変わってきます。

そして坐禅の姿勢です。

腰骨を立てて坐ることは心地よいのです。
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坐禅や日常の姿勢については、1年半ほどイス坐禅に通わせていただくなかで、どんどん良い方向へ変化しています。

今年のテーマは食事。
昨年末から始めた手作り甘酒など、発酵食品など、身体を労っていこうと試行錯誤始めました。

食事と姿勢が良くなると、身体が元気になります。

身体が元気になって、イス坐禅を通じて心も落ち着くと、
感情を波立たせず、思考力を正しく働かせることができます。

そうすることで、(理想は)いつでも、どこでも、なにごとにも微笑むことができるようになります。

疲れてお腹が空くと、めちゃくちゃ食べてしまうし、
まだまだその境地へは遥か遠い道のりですが、
少しずつ精進していきたいと思います。

#円覚寺
#ホトカミ

円覚寺(神奈川県)
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2026年01月14日(水)730投稿

神奈川県 鎌倉市 山ノ内に境内を構える、円覚寺(えんがくじ)鎌倉五山 第二位 寺院、正式名称は 瑞鹿山 円覚興聖禅寺(ずいろくさんえんがくこうしょうぜんじ )当方は 道の駅 全国制覇者で、全国の寺社、霊場を巡礼してます、2024 東国花の寺巡礼、鎌倉三十三ヶ所観音霊場にて何度か参拝致しました、臨済宗 円覚寺派の大本山、鎌倉五山 第二位の大きな寺院、広い境内、総門、国宝、歴史的建築物の数々は見所満載の寺院、四季の移り変わりの景観も良く紅葉時期は一見の価値在りです、対応も(紅葉時期は混み合います) 丁寧で専用の受け付けが在り スムーズです、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は 瑞鹿山、寺号は 円覚興聖禅寺、宗旨 宗派は 臨済宗 円覚寺派、寺格は 大本山 鎌倉五山 第二位、ご本尊は 宝冠釈迦如来、東国花の寺 百ヶ寺 鎌倉 第十一番札所 梅、鎌倉三十三ヶ所観音霊場 第三十三番札所、佛日庵(円覚寺塔頭)結願寺院、鎌倉地蔵霊場十四番札所、鎌倉時代の弘安5年(1282年)に鎌倉幕府執権・北条時宗が元寇の戦没者追悼のため中国僧の無学祖元を招いて創建した。北条得宗の祈祷寺となるなど、鎌倉時代を通じて北条氏に保護された。
JR北鎌倉駅の駅前に円覚寺の総門がある。境内には現在も禅僧が修行をしている道場があり、毎週土曜日・日曜日には、一般の人も参加できる土日坐禅会が実施されている。かつて夏目漱石や島崎藤村、三木清もここに参禅したことが知られる。神奈川県の歴史的風土特別保存地区に指定されている、鎌倉幕府8代執権北条時宗(1251年 - 1284年)は、仏法興隆とともに、元(蒙古)軍の襲来した文永、弘安の役の両軍戦没者の菩提を弔うため、円覚寺創建を発願した、寺は弘安4年(1281年)から建立が始められ、翌弘安5年(1282年)に無学祖元(仏光国師)を開山(初代住持)に迎えて開堂供養が行われた。時宗は当時鎌倉にいた中国出身の高僧蘭渓道隆(建長寺初代住職)を師として禅の修行に励んでいたが、その蘭渓が弘安元年(1278年)7月に没してしまったため、時宗は代わりとなる高僧を捜すべく、建長寺の僧2名を宋に派遣した。これに応じて弘安2年(1279年)に来日したのが無学祖元である。鎌倉にはすでに時宗の父・北条時頼が創建した禅寺の建長寺が存在していたが、官寺的性格の強い同寺に対し、当初の円覚寺は北条氏の私寺であった、また、円覚寺の創建については、中国に帰国しようとしていた無学祖元を引き止めようとしたという事情もあったと言われる、
山号の「瑞鹿山」は、円覚寺開堂の儀式の際、白鹿の群れが現われ、説法を聴聞したという故事によるものとされ(『元亨釈書』等による)、今も境内にはその鹿の群れが飛び出してきた穴と称する「白鹿洞」がある。また寺号の「円覚」は、時宗と蘭渓道隆とが寺を建てる場所を探している際、現在の円覚寺がある場所に至り地面を掘ったところ、地中から石櫃(いしびつ)に入った円覚経という経典が発掘されたことによるという(『本朝高僧伝』等による)
当寺では元寇で戦死した日本の武士と元軍(モンゴル・高麗等)の兵士が、分け隔てなく供養されている。
円覚寺は弘安10年(1287年)以降たびたび火災に遭っている。中でも応安7年(1374年)の大火、大永6年(1526年)の里見義豊の兵火、永禄6年(1563年)の大火、元禄16年(1703年)の震災などの被害は大きく、1923年(大正12年)の関東大震災でも仏殿などが倒壊する被害を受けている

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