ひがしかながわくまのじんじゃ
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
御朱印 | |||
---|---|---|---|
限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | あり |
神奈川県のおすすめ2選🍁
おすすめの投稿
神奈川県横浜市神奈川区に鎮座する神社で、地名を冠して「神奈川熊野神社」または「東神奈川熊野神社」ともいう。
寛治元年(1087)、醍醐寺座主の勝覚が熊野権現を分祀、神奈川郷の山上(現:幸ケ谷)に創建した。
神奈川郷の鎮守として「熊野三社大権現」と称し、社地は権現山と呼ばれる。創建を同じくする金蔵院が別当寺であった。
のち、社殿が焼失するが、1494年に上田政盛により再建される。しかし、1510年に権現山合戦が勃発し、上田政盛が敗北し、社殿は焼失。1712年に金蔵院の境内へ遷座するが、1868年の神奈川宿の大火で類焼し、神仏分離により金蔵院と境内を分けて当地にて復興。現社殿は1963年に創建された。
22.10.20。先の金蔵院さんの向かいに鎮座。
御祭神 国常立尊・伊弉諾尊
伊弉冊尊
創建年 寛治元年(1087年)
社格等 旧郷社
例大祭 8月17日前後の土・日
【歴史】〜Wikipedia より〜
寛治元年、醍醐寺座主の勝覚が熊野権現を分祀、神奈川郷の山上(現:幸ヶ谷)に創建した。神奈川郷の鎮守として熊野三社大権現と称し、社地は権現山と呼ばれる。創建を同じくする金蔵院が別当であった。
隣接する金蔵院さんと同じく、旧東海道神奈川宿の面影が残るお社です。大きな狛犬が迫力ありすぎ!パワーを貰えました。
鳥居
↓
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
社殿遠景
手水舎
本殿
合祀社
↓
小祠
↓
御神木の付近に稲荷様
火消し《神奈川一番組之碑》
支那事変、大東亜戦争の戦没者慰霊碑
神輿庫
舞殿
裏参道入り口
歴史
当社の御創建は寛治元年六月十七日(1087年)醍醐三宝院宮勝覚僧正が紀伊国(和歌山県)牟婁郡熊野に坐す熊野権現(官幣大社熊野本宮大社)の神霊を分祀、神奈川権現山(現幸ヶ谷山上)に社祠を創立、神奈川郷の総鎮主として熊野三社大権現と号し奉る。
口碑によれば、後三年の役に源義家公社参せられ、帰途再び当地に立寄られ、この地を幸ヶ谷と名付けられたと伝えられる。その後応永五年、山賊等のため社祠を焼かれ、僅に草祠ばかりが存していたが、明応三年六月(1494年)上田蔵人が普請奉行となり、宏壮なる社殿が再建せられた。また、永正七年六月二十日(1510年)権現山合戦の砌、兵火に罹、烏有に帰してしまった。次で天正五年六月(1577年)時の別当恵賢僧都等が相はかり社殿を建立奉る。
天正十年七月、徳川家康公北条氏を御坂黒駒に討ち給いし時、別当が社前に祷し秘伝を修し奉りしことなど、徳川家との関係が深く、別当金蔵院に武州小机領神奈川郷の内、御朱印高十石を賜ったので、代々登城し、御祈祷の宝牘(おふだ)を献上し奉ったと伝えられる。その後、正徳二年六月(1712年)山上が逐次崩壊により、別当金蔵院の現地へ遷し奉り、旧地には小祠を安置し社地三反八畝十歩を有していたが明治四年之を上地す。慶応四年一月七日(1868年)神奈川大火により烏有に帰したが、逐時再建整備し、明治十七年に郷社に列せられ明治四十年四月神饌幣帛料供進社に指定せらる。昭和十一年八月御鎮座八百五十年祭を斎行、二十数台の山車が町内を巡行し、盛大なる祭礼が繰りひろげられた。昭和二十年五月二十九日戦災により焼失、剰え境内をも駐留軍に接収せられたるため、やむを得ず西神奈川一丁目(二ツ谷町共有地)に遷座、仮殿にて奉斎す。同二十七年八月宮神輿を奉製、その後接収解除となり、再建復興に努め、同三十八年八月現社殿を完成遷座祭を奉仕し、玉垣、社務所を整備、翌三十九年八月竣工奉祝祭を執行した。その後四十一年十一月。地区内戦没者慰霊碑を建立、同四十九年八月再建十周年記念事業として舞殿並に氏子会館の増改築工事を完成した。昭和六十一年、御鎮座九百年祭に当り記念事業奉賛会を結成し、氏子二十四ヶ町の氏子並に崇敬者各位の熱誠奉仕により、御社殿の修復、手水舎の新築、神輿、神輿庫の修理増築、参道敷石、氏子会館の修理、裏門〆柱等を完成し、社域の整備を達成した。謹んで御事歴の概要を誌し奉る次第であります。
東神奈川熊野神社の基本情報
住所 | 神奈川県横浜市神奈川区東神奈川1-1-3 |
---|---|
行き方 | 京急「東神奈川」駅出口から徒歩約3分
|
神奈川県のおすすめ2選🍁
名称 | 東神奈川熊野神社 |
---|---|
読み方 | ひがしかながわくまのじんじゃ |
通称 | 熊野権現 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 045-441-2768 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご祭神 | 《主》国常立尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊 《配》素戔嗚尊、天照大神、大己貴命、少名彦名命 《合》倉稲魂命、武御名方命、速玉之男命、船玉之神 |
---|---|
創建時代 | 寛治元年(1087) |
創始者 | 醍醐三宝院宮勝覚僧正 |
ご由緒 | 当社の御創建は寛治元年六月十七日(1087年)醍醐三宝院宮勝覚僧正が紀伊国(和歌山県)牟婁郡熊野に坐す熊野権現(官幣大社熊野本宮大社)の神霊を分祀、神奈川権現山(現幸ヶ谷山上)に社祠を創立、神奈川郷の総鎮主として熊野三社大権現と号し奉る。
|
体験 | 御朱印 |
Wikipediaからの引用
概要 | 熊野神社(くまのじんじゃ)は神奈川県横浜市神奈川区にある神社である。旧社格は郷社。地名を冠して神奈川熊野神社(かながわ くまのじんじゃ)、東神奈川熊野神社(ひがしかながわ くまのじんじゃ)とも。 |
---|---|
歴史 | 歴史[編集] 1087年(寛治元年)、醍醐寺座主の勝覚が熊野権現を分祀、神奈川郷の山上(現:幸ケ谷)に創建した。神奈川郷の鎮守として熊野三社大権現と称し、社地は権現山と呼ばれる。創建を同じくする金蔵院が別当寺であった。 1398年、社殿焼失。 1494年、上田政盛により再建。 1510年、権現山合戦勃発、上田政盛敗北し当社は焼失。 1577年、金蔵院と近隣住民により再建。 1712年、山上が崩壊し、金蔵院の境内へ遷座。 1868年、神奈川宿の大火で類焼、神仏分離により金蔵院と境内を分けて当地で復興。 1945年、横浜大空襲により焼失、戦後は進駐軍に境内地を接収され西神奈川へ仮遷座。 1...Wikipediaで続きを読む |
行事 | 祭事・年中行事[編集] 例大祭:8月17日前後の土曜日日曜日 |
引用元情報 | 「熊野神社 (横浜市神奈川区)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%86%8A%E9%87%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E5%B8%82%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E5%8C%BA%29&oldid=101966218 |
ホトカミのデータについて
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
近くの神社お寺
神奈川県のおすすめ2選🍁
東神奈川熊野神社に関連する記事
おすすめのホトカミ記事
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
9
0