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元町厳島神社の御朱印・御朱印帳
平日10~16時にいただけるようです | |||
| 限定 | - | ||
|---|---|---|---|
| 御朱印帳にお書き入れ | |||
| 御朱印帳 | - | ありません | |
| 参拝時間 | 授与所は平日10~16時 | ||
| 電話番号 | 045-681-8087 | ||
その他の巡礼の情報
最新の御朱印・御朱印帳の投稿

寅の日、大安の今日、今日までの薔薇の限定ご朱印いただいてきました。花手水も綺麗でした。久し振りの元町商店街。商店街の真ん中に真っ赤な鳥居。素敵な神社です。






本日は横浜市内の区役所を周り御庁舎印をいただくのと供に元町厳島神社に参拝して来ました🤗
区役所は南区役所でブルーラインの阪東橋駅出口から徒歩7~8分の所に有ります。ホール一階の総合案内所手前の自販機300円で買い求めました。

南区役所の御庁舎印
本日の日付けのスタンプ押しました。

元町厳島神社の御朱印をいただきました。

手水舍。ひな祭りバージョンになっていました☺️





22.12.08。JR京浜東北線「石川町駅」南口より徒歩8分。横浜市中区元町5丁目の元町商店街裏手に鎮座。
御祭神 市杵島姫命
多紀理姫命
多岐都姫命
木花開耶毘売姫命
社格等 旧村社
例大祭 6月2日
当神社は、今から約700年前より元横浜洲干島に鎮座していました清水弁天、洲干弁天を、
元禄年間.に合祀し、元町一丁目の増徳院仮殿に御神体を奉安していました。しかし明治維新の新佛混淆の禁止により増徳院から分離し、厳島神社として元町一丁目十五番地に社殿を造営、元町の鎮守様となりました。
~境内掲示より一部抜粋~
今も昔も、横浜一のオシャレなショッピングストリート[MOTOMACHI]の路地を入った崖下に鎮座しており、付近一帯の人々より大事にされていることが伺える良き雰囲気のお宮です。


[MOTOMACHI]入り口

社頭


鳥居
左手の建物(自治会館)、こちらで直書きの御朱印を拝受。平日のみの対応。

社殿遠景

手水舎
水は出ていません。

拝殿
↓


左手奥に本殿

境内の灯籠

末社群

皇大神宮

金刀比羅宮

神輿庫

社務所
普段は無人のようです。

↓

春に見たいですね。

【祭神】
市杵島姫命
多紀理姫命
多岐都姫命
木花開耶毘賣命
起源は古く、鎌倉時代初期に遡ると言われています。治承四年(1180)、源頼朝は、挙兵にあたり、西伊豆土肥の杉山に鎮座していた弁財天に戦勝を祈願しました。願いが成就した後、頼朝は、茗荷島劔ヶ淵に神殿を造営し、伊豆より弁財天を勧請したと伝えられています。
この地は、後に横濱村(現在の関内周辺)となり、清水の湧水があったところから清水弁天、また洲干弁天と呼ばれるようになりました。その名は、今でも桜木町から関内へと渡る弁天橋に名残りを留めています。
元禄年間(1680-1703)になって増徳院(今の外国人墓地元町側、薬師堂のみ現存)境内に仮殿を作り、上之宮杉山弁天と称しました。御神体は、平日は上之宮に、祭日は下之宮清水弁天にお祀りすることになりました。
幕末・開港期には、この弁天社は横濱湊惣鎮守として多くの方々の崇敬を集めるようになります。万延元年(1860)、横濱村の住民は、居留地確保のため幕府が出した命令により、堀川東岸へ移転することになりましたが、移転先を横浜元村と名乗り、元町の礎を築きます。この時、今の山下町にあった浅間神社も元町百段上(現百段公園)へ移り、明治四十二年には合祀されることになります。
明治元年(1868)、清水弁天は羽衣町へと遷座。明治二年、杉山弁天は神仏分離令により増徳院から分離・独立し、嚴島神社として祀られることになりました。
大正十二年(1923)、関東大震災により、社殿は倒壊焼失。現在の社地へ移転、復興することになり、昭和八年(1933)の竣工を待って、正式遷座となりました。
しかし、昭和二十年(1945)五月の横浜大空襲で再び焼失。昭和二十六年に本殿を、三十六年になって拝殿を再建し、現在に至っています。



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