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長楽寺ではいただけません
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ちょうらくじ|浄土宗西山禅林寺派大藤山

長楽寺
兵庫県 宝殿駅

御朱印について
御朱印
なし
パーキング
駐車場
あり

お寺下に駐車場有。

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くるくるきよせん
2023年12月03日(日)
1452投稿

兵庫県加古川市にあるお寺です。
台風の豪雨による土砂崩れのため 本堂始め堂宇のほとんどが土砂に飲み込まれてしまったというお寺です。
お参りするまでは知らなかったのですが 「仮本堂」があったことと「本堂再建予定地」があったことから知りました。
今年も関東だったか東北だったか土砂崩れの影響を受けていらっしゃるお寺があったように思います。
いろいろな災害がお寺を廃寺に追い込む可能性があることを 目の当たりにしました。
紅葉で有名な寺社は人出が多いと思い避けていたのですが こちらの長楽寺さんの紅葉はとてもきれいでした。
エフェクトをかけた写真もあるのでご覧ください。
仮本堂の裏手に 四国八十八霊場巡りがありました。
いつもの私ならすぐに飛びついて写真を撮りまくるのですが 時間が遅かったために少しだけにしました。
帰り 駐車場に向かう際 ピノキオがお見送りしてくれました。
丸石を積んだ城壁のような石垣が 紅葉の赤と空の青と松の緑と相まってとても美しいです。

由緒については
大藤山長楽寺(おおふじさんちょうらくじ)は 和銅6年(713年)、慈心上人(じしんしょうにん)の開基と言われています。
高倉天皇が平清盛の娘 中宮健礼門院の安産を念じ 丹波老ノ坂の子安地蔵尊に祈願したところ 安らかに玉のような王子が産まれました。
そこで平清盛に銘じて 全国66州に一体ずつ地蔵尊を安置させ ここ長楽寺にも祀りました。
それ以降 このお寺は女人安産の札所 また歴代天皇の勅願所として広く信仰されるようになりました。
長楽寺は 天正6年(1578年)に始まった三木合戦の兵火により 伽藍全てを消失しましたが 專空念教法師(せんくうねんきょうほうし)が常行念仏堂(じょうぎょうねんぶつどう)を建立し その後 宝永3年(1706年)に浄土宗の寺院として再建し 今日に至ります。
とありました。
山号は大藤山
宗旨宗派は浄土宗
ご本尊は木造地蔵菩薩半跏像(国重要文化財)
です。

長楽寺(兵庫県)

由緒書

長楽寺の建物その他

長楽寺(兵庫県)

手水舎

長楽寺(兵庫県)

由緒書

長楽寺(兵庫県)

鐘楼

長楽寺(兵庫県)

仮本堂

長楽寺(兵庫県)

台風災害について

長楽寺(兵庫県)

本堂再建予定地

長楽寺(兵庫県)

水子地蔵尊

長楽寺(兵庫県)

ご本尊を保存している

長楽寺(兵庫県)
長楽寺(兵庫県)

墓地に続く階段

長楽寺(兵庫県)
長楽寺(兵庫県)

四国八十八とあります

長楽寺(兵庫県)

1つ目

長楽寺(兵庫県)

2つ目

長楽寺(兵庫県)
長楽寺(兵庫県)

石幢の一部

長楽寺(兵庫県)

石棺

長楽寺(兵庫県)

境内の紅葉

長楽寺(兵庫県)

ピノキオがお見送り

長楽寺(兵庫県)

門外のお地蔵様

長楽寺(兵庫県)

石垣が美しい

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歴史

和銅六年(713)真言秘密の道場として慈心上人によって開基、現本尊延命子安地蔵(木造半跏像重要文化財)は、治承二年(1178)高楽天皇の中宮建礼門院が御産の時丹波老の坂の子安地蔵尊に祈願されて安徳天皇を安産されたのがお喜びを分つためにこれと同体の地蔵を刻み日本六十六州一国に一体を安置せしめ給うた一体と伝う。天正年間(1578)の兵火によって伽藍全体焼失したが本尊だけは難を逃れ宝永三年(1578)の兵火にて伽藍全体焼失したが本尊だけは難を逃れ宝永三年(1706)専空念教法師の手によって再興不断念仏の道場として今日に至った。

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長楽寺の基本情報

住所兵庫県加古川市志方町永室853-1
行き方

JR宝殿駅より「かこバスミニ」志方西ルート乗車、長楽寺バス停より徒歩15分

アクセスを詳しく見る
名称長楽寺
読み方ちょうらくじ
通称谷のお地蔵さん
参拝時間

9:00~19:00

参拝料

なし

電話番号0794-52-2530
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://tanichorakuji.jp/
SNS

詳細情報

ご本尊延命子安地蔵菩薩
山号大藤山
宗旨・宗派浄土宗西山禅林寺派
創建時代和銅六年(713年)
開山・開基慈心上人
文化財

木造地蔵菩薩半跏像(国指定重要文化財)

ご由緒

和銅六年(713)真言秘密の道場として慈心上人によって開基、現本尊延命子安地蔵(木造半跏像重要文化財)は、治承二年(1178)高楽天皇の中宮建礼門院が御産の時丹波老の坂の子安地蔵尊に祈願されて安徳天皇を安産されたのがお喜びを分つためにこれと同体の地蔵を刻み日本六十六州一国に一体を安置せしめ給うた一体と伝う。天正年間(1578)の兵火によって伽藍全体焼失したが本尊だけは難を逃れ宝永三年(1578)の兵火にて伽藍全体焼失したが本尊だけは難を逃れ宝永三年(1706)専空念教法師の手によって再興不断念仏の道場として今日に至った。

体験写経・写仏重要文化財伝説

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