いたてひょうずじんじゃ
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楽しみ方射楯兵主神社のお参りの記録一覧(3ページ目)

【播磨國 式内社巡り】
射楯兵主神社(いたて・ひょうず~)は兵庫県姫路市総社本町にある神社。式内社で、播磨国総社。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。祭神は射楯大神(五十猛神)、兵主大神(大国主神)。特殊大祭礼の、60年に一度の「一ツ山大祭」、20年に一度の「三ツ山大祭」が有名。
社伝によると、創建は欽明天皇の御代564年に兵主大神を飾磨郡伊和里水尾山(姫路市山野井町、現・水尾神社)に祀ったのが始まり。のちに飾磨郡因達里に祀られていた射楯大神を合祀。平安時代に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「播磨國 飾磨郡 射楯兵主神社二座 小」に比定されている。1181年には播磨國16郡74座の大小明神社を合祀し、「播磨國総社」、「府中社」と称した。安土桃山時代の1581年に羽柴秀吉の姫路城築城に伴い現在地に遷座した。江戸時代には歴代姫路城主から鎮護の社として崇敬され、1607年に池田輝政が太鼓橋を、1624年に本多忠政は総社総神殿玉垣を、1652年に榊原忠次が大鳥居をそれぞれ寄進した。明治時代に入り、近代社格制度のもと県社に列格した。1945年に米軍の姫路空襲により社殿を焼失したが戦後まもなく再建した。なお、伊勢神宮と強いつながりから、2016年の神宮の式年遷宮時に古い神宝のうち4点(革御靭・銅黒造の御太刀・梓御弓・御楯)を譲渡されている。
当社は、JR山陽本線・山陽新幹線・姫路駅の北北東1kmの平地の市街地にある。姫路城にほぼ隣接していて、その南東すぐの場所にある。秀吉による遷座以降400年経つが、ずっと姫路城下の一等地であったためか、現在の境内の広さはそこそこの広さ。古木は見当たらないが、境内社のエリアは緑が濃くなっている。特徴としては、総社だけあって、播磨國内の主要神社をはじめ、いろんな種類の境内社が集められていること。社殿東側の境内社が集まっているエリアは、木々の中に境内社が立ち並び、それらを繋ぐ小道が巡らせてあるので、廻っていてなかなか楽しい。
今回は、播磨國の式内社、播磨國総社、兵庫県の旧県社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は休日の午前中早めの時間で、自分以外にもぱらぱらと参拝者を見掛けた。

参道南端にある<鳥居>と<社号標>。

公道上に建つ<鳥居>。まっすぐ先に<神門>が見える。

鳥居の手前右側にある<元塩町稲荷神社>。昭和戦後1951年建立とのこと。

参道突き当りの<神門>。

神門くぐって右側にある<手水舎>。

<拝殿>全景。

拝殿前左側の<狛犬>。青銅製かな。大きく凛々しい。

拝殿前右側の<狛犬>。

<拝殿>正面。外側に扁額はなし。

拝殿前の狛犬の近くにある<白幣祭>の笹。1200年前の疫病流行時、総社御神前に白幣(白い反物)を供え病気平癒を祈願したことに因む。白幣結びの初穂料は「お気持ち」とのこと。(o^―^o)スバラシイ!

拝殿に向かって左手にある<社務所>。御朱印はこちら。

神門をくぐって、すぐ左側にある<恵美酒社・住吉社>全景。

<恵美酒社・住吉社>の拝殿正面。

手水舎そばにある<撫でみみづく>。「みみづく」は古くからの当社の神使。

拝殿に向かって右手にある<長生殿>。

長生殿前から<社殿>全景。

拝殿の右手にある<神馬>。

拝殿の右側にある扁額に「播磨国総明神」とある<鳥居>。この奥から本殿裏手に掛けて、播磨國の主要神社が並んでいるので見て廻る。

まず本殿の右後方にある<東播磨総神殿>。平安時代末期1181年の『播磨国内鎮守大小明神記』によると、播磨国内16郡の大小明神174座(太神 24座、小社150座)を当社に合せ祀って以降、当社「播磨国総社」と呼ばれるようになった。その東播磨8郡大小明神を祀る。

東播磨総神殿前から見た、拝殿後ろの<本殿>。サイズは大きめ。

本殿の真後ろにある境内社群。十二社合殿、一ノ宮、二ノ宮、日岡社、角社、手置帆負社、彦狭知社、秋葉社、羽黒社、道祖社、鞍屋社、柿本社、東照宮。

本殿の左後方にある<西播磨総神殿>。西播磨8郡大小明神を祀る。

西播磨総神殿の前、本殿の脇にある<銅鐘>。室町時代1506年の銘で、置塩城主・赤松義村が大願主となって製作とのこと。

ふたたび<拝殿>全景。

社殿の東側にたくさんの境内社があるので、再び「播磨国総明神」の扁額の掛かる鳥居まで戻って、くぐった先の右側から見て廻る。

はじめは<琴平社>。ここから東(右方向)に向かって進む。

<鹿島社>の鳥居。

<鹿島社>の社殿。

<神明社>の社殿。

<戸隠社>の社殿。

<稲荷社>の鳥居。

稲荷社の鳥居の左脇にある<鬼石>。

<稲荷社>の社殿。

<案内社八幡宮>の鳥居。

<案内社八幡宮>の社殿。

<栗嶋社>の鳥居。

<栗嶋社>の社殿。

<長壁(おさかべ)神社>の鳥居。

<長壁神社>の社殿。

<姫道天神社>の鳥居。

奥に<姫道天神社>の社殿。学問成就の絵馬はこちらみたい。

境内北東端にある<祖霊社>の社殿。

長生殿の東側、境内社ゾーンの南側に池があって橋が架かっている。橋の先にある<龍の手水>。

<龍の手水>の後ろ側にある<厳島社>。

最後に境内西端にある<祓禊所>とその鳥居。

今回は播磨国の神社に初参拝のため、播磨國野神社参拝用に御朱印帳を購入。
※通常、当該国一之宮で御朱印帳を購入するが、播磨國一之宮の伊和神社ではオリジナル御朱印帳がないため、播磨國総社の当社のものを購入した。

裏面はこんな感じ。全体に柔らかく可愛らしいデザイン。(^▽^)/

この日最後は、兵庫県姫路市の射楯兵主神社を参拝いたしました。 播磨国の総社とあって多彩な神様が祀られていますが、ご祭神は二柱、射楯大神(いたてのおおかみ)と兵主大神(ひょうずのおおかみ)です。 黒田孝高(官兵衛)とも縁が深い神社で、父黒田職隆が拝殿や神門を再建したり、また官兵衛自身も豊臣秀吉より軍陣において旗を立てる許しを得た際にここで7日間にわたり祈祷を受け、その御利益か戦国武将としては唯一、生涯の戦で全戦全勝を果たすこととなります。 知性の象徴、吉兆を運ぶ瑞鳥である「みみづく」を神使として崇められており、総社御門の両脇には狛犬ならぬ黄金のみみづく、境内には撫でみみづくが居られます。 また御朱印の奉拝の印もみみづくになっていてちょっと可愛らしいです。

射楯兵主神社・神社名碑と鳥居

射楯兵主神社・神門

射楯兵主神社・拝殿

射楯兵主神社・恵美酒社と住吉社

射楯兵主神社・撫でみみづく

射楯兵主神社・鬼石

射楯兵主神社・手水舎

射楯兵主神社・総社御門

御朱印

★大量の写真で申し訳ありません★
欽明天皇25年(564年)に、兵主大神を播磨群伊和里水尾山にお祀りしたことが始まりとのこと。
また奈良時代に、播磨群因達里に射楯大神がお祀りされていたようで、『延喜式神名帳』に「射楯兵主神社二座」とあることから、平安時代には二柱が一緒に祀られていたようです。
射楯大神(五十猛神)
素戔嗚尊の御子神で、全国に樹木を植え、日本を緑豊かな国にされた神様。
兵主大神(大国主神)
縁結びの神様。
少彦名神と一緒に様々な産業の発展をはじめ、医薬の開発に取り組まれた。
一ツ山大祭、三ツ山大祭というものがあり、一ツ山大祭は60年に一度,三ツ山大祭は20年に一度行われるそうです。
一ツ山大祭は天津神・国津神を祀る天神地祇祭、三ツ山大祭はその臨時祭として行われるそうで、前回の三ツ山大祭は2013年に行われたようです。
御朱印の右上「奉拝」の部分がミミズクの形になっています!
姫路城に観光でお越しになる際は、姫路護国神社とこの射楯兵主神社にもぜひ参拝されることをお勧めします。
姫路市総社本町190

神門横にずらっとならんだ提灯
観光用人力車がちょうど通りかかり、
お客様を連れて参拝されている間に
写真を撮らせていただきました

総社御門のミミズク

狛犬ではなく、御門両脇にミミズクです

総社御門

平成18年に再建されたものです。
2Fは文化財展示室、3Fは神殿・展望台

こちらは境内南側の社号標と鳥居

鳥居から神門までは約150mくらいです
総社南参道ですが、『ひめじ縁結び通り』と
呼ばれているそうです。

南参道

51個(恋)のハートがついた「恋プレ」
ひめじ縁結び通りにはこの恋プレが参道の左右に
11枚ずつ計22枚あり、
1151(いい恋)が叶うようにと、
1122(いい夫婦)になれますようにの
二つの意味があるようです。
語呂合わせかいっ!w

神門

神門の上にいらっしゃる龍

神門の扁額

拝殿

拝殿
ちょうどご祈祷されていらっしゃるタイミングだったため
拝殿近くでの撮影は遠慮しました

とは言いつつ、巫女さんが舞を始められたので
つい写真を撮ってしまいました😅

それでは、本殿の東側から境内社、末社を順に
まわって行きます。

まず見えてくるのは、鹿嶋神社鳥居と
縁結び絵馬掛

末社 鹿嶋神社
一願成就

摂社 琴平社
旅行安全

末社 神明社
起業・創業・五穀豊穣

末社 戸隠社
武芸上達

末社 稲荷社の鳥居

稲荷社
商売繁昌・家内安全


案内社八幡宮
厄除・交通安全

案内社八幡宮 拝殿内

末社 粟嶋社
安産・疫病退散

長壁神社 鳥居
災厄除け・姫路城守護

長壁神社 拝殿

姫道天神社 鳥居

姫道天神社 本殿
学業成就・武芸上達

摂社 祖霊社への参道

祖霊社

厳嶋社
海上安全・諸芸上達

東播磨総神殿

十二社合殿
一ノ宮、二ノ宮、日岡社、角社、手置帆負社、
彦狭知社、秋葉社、羽黒社、道祖社、鞍屋社、
柿本社、東照宮

本殿

西播磨総神殿

本殿床下に置かれていた瓦

播磨国総社 銅鐘
置塩城主赤松義村からの寄進

恵美酒社・住吉社
開運・商売繁昌/安産・旅行安全

住吉社横にはサギソウが置かれていました

手水舎

鳥居横に鎮座されていた 元塩町稲荷神社
境外末社になるんですかね。

元塩町稲荷神社の拝殿

御由緒書き

八重垣門

車祓所

総社御門 境内側から


南参道内にあるうどん屋さん

白鷺とサギソウ 消火栓蓋

姫路城の廻りを散策していると大きな門が目に飛び込んで来たので伺ってみました。
参道入口には「射楯兵主神社」と刻まれた大きな社号標。参道の石鳥居は、慶安五年(1652)藩主榊原忠次が寄進したもので、市指定文化財。
参道を進むと神門があり、神門の中が境内。
大きな拝殿の後方には、二柱を祀った大きな本殿がある。
欽明天皇二十一年六月十一日、姫路市水尾山に兵主神が祀られ、それ以前に因達里に射楯神が祀られていた。
延暦六年、国衙小野江に兵主神を奉遷し、射楯神を合わせ祀ったという。
式内社・射楯兵主神社に比定されている古社。安徳天皇養和元年十一月播磨十六郡の神社を境内に祀り以後、播磨国総社として崇敬されている大社。



















社伝によりますと、第29代欽明天皇25年(564年)6月11日に影向があり飾磨郡伊和里水尾山に兵主大神(大国主命)を祀ったのが始まりと伝わる。
その後、飾磨郡因達里に祀られていた射楯大神(五十猛尊)を合祀され射楯兵主神社となる。
安徳天皇養和元年(1181年)播磨国内の大小明神174座の神々を合祀され「播磨国総社」と称す。
地元の方は「そうじゃ」ではなく濁らない「そうしゃさん」と呼び親しまれています。

神門



撫でみみづく

拝殿

鹿嶋社

琴平社

東播磨総神殿

西播磨総神殿

十二社合殿(一ノ宮・二ノ宮・日岡社・角社・手置帆負社・彦狭知社・秋葉社・羽黒社・道祖社・鞍屋社・柿本社・東照宮)




鬼石


稲荷社

案内社八幡宮


長壁神社

厳島社

長生殿




当日は、けっこうな雨でした…

恵美酒社・住吉社







姫路城

とても広くていろんな社のある大きな神社…さすが総社様でした!
境内図
お酒(*´-`)
こんなところに大江山の鬼退治の!
池の中だから弁天様かと思ったら厳嶋社でした
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