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みぬめじんじゃ

敏馬神社
公式兵庫県 岩屋駅

参拝可能時間
24時間
本社開扉時間
午前6時~午後6時
授与所対応時間
午前9時~午後5時

氏子以外の参拝
氏子以外の参拝
あり
歓迎
御朱印について
御朱印
あり
限定
あり
御朱印帳にお書き入れ
あり

お書き入れをいたします。
月替わりの御朱印は書き置きのみとなります。

郵送対応
-
ありません
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

あり 2台

おすすめの投稿

きどっち
2023年10月10日(火)
1111投稿

三宮から2kmほど東側に位置する敏馬神社。
交通量の多い国道2号線沿いですが、車で前を通るとつい通り過ぎてしまうほど、こんなところにあったんだ!と以前思ったこともありました。

鳥居をくぐると駐車場となっているのですが、基本的には契約車両用です。
参拝者は鳥居の左手、社務所前に2台しか停められませんが、社務所に一声かければ空いているスペースに停めさせてくれるかもしれません。

今回2年ぶりの参拝となりましたが、この日は10月1日。
ついたちには金文字で御朱印を書き入れていただけることを初めて知りました。

御祭神
 素盞嗚尊 天照皇大神 熊野座大神

御神徳
 航海守護、災厄解除、悪縁解除

縁切りの神様として古くから信仰されているとのことで、この神社の前を花嫁行列は避けて通っていたそうです。
それは創建当初、弥都波能売大神(みずはのめのおおかみ)を御祭神として祀られていたそうで、この女神が嫉妬するからという云われがあったようです。

平安時代の延喜式神名帳には、生田神社・長田神社と並んで汶売神社(みぬめじんじゃ)が記されていることから、創建から少なくとも1300年以上ということになりますかね。
なお兵庫県神社庁HPには、「神功皇后摂政元年(201)の創建」とも記載がありました。

敏馬神社(兵庫県)

通常御朱印
金文字バージョン

敏馬神社(兵庫県)

限定御朱印

敏馬神社(兵庫県)

鳥居
まっすぐ階段を進むと拝殿、鳥居左手には社務所があります

敏馬神社(兵庫県)

拝殿

敏馬神社の本殿

拝殿内

敏馬神社(兵庫県)
敏馬神社(兵庫県)
敏馬神社(兵庫県)

本殿

敏馬神社(兵庫県)

手水舎

敏馬神社(兵庫県)

水神社

敏馬神社(兵庫県)

「奥の宮」は水神社社殿後方にありますが、写真は撮っていません

敏馬神社(兵庫県)

后の宮

敏馬神社(兵庫県)
敏馬神社(兵庫県)

松尾神社

敏馬神社(兵庫県)

拝殿前から鳥居を見下ろす

敏馬神社(兵庫県)

白玉稲荷神社

敏馬神社(兵庫県)

私が参拝した1週間後の10月7日、8日には秋の例大祭が予定されていました

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きどっち
2021年10月20日(水)
1111投稿

敏馬と書いて「みぬめ」と読みます。
国道2号線沿い、三宮から少し東に進んだところに鎮座しています。

昔この辺りは神社のすぐ前は海で、社殿のある高台は岬になっていたそうです。
そして両側は入り江になっていて、奈良時代には「敏馬の浦」「敏馬の泊」と呼ばれる神戸最古の港だったとか。
そのため多くの歌人もここを訪れ、多くの歌を残しているようです。

奈良時代の摂津風土記(713年)に
『美奴売(みぬめ)とは神の名で、神功皇后が新羅へ御出兵の時、神前松原(豊中)で神集いをされた処、能勢の美奴売山(大阪府豊能郡三草山)の神様が来られ、我が山にある杉の木を伐り船を造りて新羅へ行かれるなら幸いするところありと教えられた。その通りなされると大成功を収めた。お還りの時、この地で船が動かなくなったので、占い問うと神の御心なりと。故に美奴売の神様をこの地に祀り、船も献上した』
とあり、これがこの敏馬神社の縁起として、神功皇后摂政元年(201年)の創建となるそうです。

また創建当初の御祭神は上記のとおり美奴売の神でしたが、貞享3年(1686年)の文書には敏馬三社として、素盞嗚尊を主祭神、天照皇大神と熊野坐神を配祀神とされたとか。
美奴売の神(弥津波能賣神)は、水の神様として境内の水神社に祀られています。
一体何があったんでしょうね・・・

なお社殿は昭和20年の戦災により焼失したため昭和36年に再建、その後阪神淡路大震災で倒壊しましたが復元修復されたそうです。

敏馬神社の鳥居

鳥居

敏馬神社の建物その他
敏馬神社の建物その他

拝殿はこの階段の先です

敏馬神社の本殿

階段を登り切ると拝殿が見えました!

敏馬神社の本殿

拝殿内部

敏馬神社の本殿
敏馬神社の建物その他

拝殿の右側(東側)に飛び石があり、思わず誘われるようにその方向へ。
って、間隔広すぎ~😅
飛び石というよりは、誘導する目的のほうが強いのかも。

敏馬神社の建物その他

飛び石の先には、万葉歌碑がありました。

万葉集(巻六) 田辺福麻呂

敏馬神社の建物その他

歌碑の内容の説明です

敏馬神社の本殿

本殿

敏馬神社の手水

手水舎

敏馬神社の末社

水神社
祭神:弥津波能賣神

水を司る神様で、創建時の主祭神と伝承されているそうです。

敏馬神社の建物その他

水神社と奥の宮の説明

奥の宮?どこにあるんだろう?と思ってたんですが、帰ってから調べてみたら水神社の社のすぐ後ろにあるそうです。

敏馬神社の末社

后の宮
祭神:神功皇后

敏馬神社の建物その他
敏馬神社の末社

松尾神社
祭神:金山彦神 大山祇神 船玉神

酒の神様です

敏馬神社の建物その他

この地を詠んだ歌が境内に掲げられていたので、いくつか紹介します

右:妹と来し 敏馬の埼を 帰るさに 独り見れば 涙ぐましも(大伴旅人・奈良時代・万葉集)
左:よそにだに みぬめの浦の あま人や ただいたづらに 袖ぬらすらむ(藤原師光・平安時代)

敏馬神社の建物その他

右1:夜もふかく みぬめの浦を 過ぎぬれば 磯うつ波の 音のみぞ聞く(片桐貞芳・江戸時代)
右2:見奴女とは たがいひそめし 名なるらん かくたぐひなき 浦のながめを(松平忠名・江戸時代)

左1:いわし曳く 網をはじめて 敏馬かな(呉春・江戸時代)
左2:広澤は いかに敏馬の 月清し(大魯・江戸時代)

敏馬神社の建物その他

右:ますかがみ 今やみぬめの 浦ならむ くもるもひさし 五月雨の空(頓阿法師・南北朝時代)
中:浪の上を こぎ行く舟の 跡もなき 人を見ぬめの うらぞ悲しき(賀茂真淵・江戸時代)
左:ますかがみ みぬめの浦の 沖津洲に 舟人さわぐ 月や出づらむ(香川景樹・江戸時代)

敏馬神社の歴史

敏馬の泊、敏馬浦の変遷

敏馬神社の建物その他
敏馬神社の建物その他

階段を降りて駐車場にも万葉歌碑が。
柿本人麻呂の歌でした。

玉藻刈る敏馬を過ぎて夏草の野島の崎に船近づきぬ

敏馬神社の歴史

神社略記

敏馬神社の末社

白玉稲荷神社

敏馬神社の末社
敏馬神社の建物その他

閼伽井

現在は水が涸れてしまったようです

敏馬神社の手水

社務所前にも小さな手水鉢がありました。

敏馬神社の建物その他
敏馬神社の御朱印

通常御朱印
直書きしていただけます

敏馬神社の御朱印

限定御朱印
書き置きになります

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歴史

神戸で最も古い神社の一つである当社の縁起は、奈良時代の「風土記」に記載されている。『美奴売とは神の名なり。神功皇后が新羅へご出兵の節、神前松原で神集いをなされた。その時、能勢の美奴売山の神様が参られ「吾が山の杉の木で船を造りて行かれるならば幸いあり」とのご教示に従い大勝利を収められた。ご帰還の節この地で船が動かなくなり再び占い問うと「神の御心なり」と。故に美奴売の神様がこの地におまつりし船も献上した』
神功皇后摂政元年(201)の御創建となる。
平安時代の「延喜式」にも汶売神社の名あり(美奴売・美奴面・見宿女・三犬女とも書かれた)延喜式に記載された神社を「式内社」といい、格式高い神社である。元の社格は県社。
社殿は飛鳥・奈良時代「敏馬の埼」と呼ばれた高台にあり、東側は「敏馬の泊」という神戸最初の港。都人は敏馬神様に航海安全を祈り和歌を献上して旅立って行かれた(日本最古の和歌集「万葉集」には「敏馬」を詠んだ和歌九首あり。境内に柿本人麻呂と田辺福麻呂の歌碑あり。万葉ゆかりの神社としても有名である)
奈良時代中頃、港は大輪田に移るが、白砂青松の美しい「敏馬浦」は都人に知れわたり、多数の和歌が詠まれている。しかし昭和六年頃より埋め立てにより「敏馬浦」は消滅した。

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9

敏馬神社の基本情報

住所兵庫県神戸市灘区岩屋中町4-1-8
行き方

阪神電鉄岩屋駅から徒歩3分
JR灘駅から徒歩8分

アクセスを詳しく見る
名称敏馬神社
読み方みぬめじんじゃ
参拝時間

参拝可能時間
24時間
本社開扉時間
午前6時~午後6時
授与所対応時間
午前9時~午後5時

参拝にかかる時間

約15分

参拝料

なし

トイレ鳥居の西側にあります
御朱印あり

限定御朱印あり
御朱印帳に直書きあり

お書き入れをいたします。
月替わりの御朱印は書き置きのみとなります。

御朱印の郵送対応なし

御朱印帳なし
電話番号078-861-2091
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
メールアドレスminumeshrine@gmail.com
絵馬あり

詳細情報

ご祭神素戔嗚尊,天照大神,熊野座大神
創建時代201年
ご由緒

神戸で最も古い神社の一つである当社の縁起は、奈良時代の「風土記」に記載されている。『美奴売とは神の名なり。神功皇后が新羅へご出兵の節、神前松原で神集いをなされた。その時、能勢の美奴売山の神様が参られ「吾が山の杉の木で船を造りて行かれるならば幸いあり」とのご教示に従い大勝利を収められた。ご帰還の節この地で船が動かなくなり再び占い問うと「神の御心なり」と。故に美奴売の神様がこの地におまつりし船も献上した』
神功皇后摂政元年(201)の御創建となる。
平安時代の「延喜式」にも汶売神社の名あり(美奴売・美奴面・見宿女・三犬女とも書かれた)延喜式に記載された神社を「式内社」といい、格式高い神社である。元の社格は県社。
社殿は飛鳥・奈良時代「敏馬の埼」と呼ばれた高台にあり、東側は「敏馬の泊」という神戸最初の港。都人は敏馬神様に航海安全を祈り和歌を献上して旅立って行かれた(日本最古の和歌集「万葉集」には「敏馬」を詠んだ和歌九首あり。境内に柿本人麻呂と田辺福麻呂の歌碑あり。万葉ゆかりの神社としても有名である)
奈良時代中頃、港は大輪田に移るが、白砂青松の美しい「敏馬浦」は都人に知れわたり、多数の和歌が詠まれている。しかし昭和六年頃より埋め立てにより「敏馬浦」は消滅した。

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