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三宮神社のお参りの記録一覧
兵庫県 旧居留地・大丸前駅

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きどっち
きどっち
2023年06月24日(土)1512投稿

神戸・三宮の繁華街にある三宮神社。

この日は朝から三宮で仕事があり、少し早めに家を出て三宮神社へお参りさせていただきました。
こちらの社務所は開いている時間が短く、しかも日によって変わることがあります。
最近では14時頃~15時半頃にご対応いただけるようなのですが、仕事の前にお参りさせていただくことが多いため、なかなか御朱印をいただくことができていません。
今回も朝早い時間だったため、社務所は閉まっておりました😅

ただ御朱印はいただけなくとも早朝の神社にお参りするのは気持ちよいものですね。
その日一日が引き締まるような気がします。

ここ三宮神社のすぐ前を通る道路は西国街道となっているのですが、ここで慶応4年(1868年)1月11日、神戸事件が発生しました。
神戸事件とは、明治政府が西宮の警備を命じられた備前藩が隊列を組んで進んでいたところ、フランス人水平がこの隊列の前を横切ろうとしました。
これを制止しようとした隊長の滝善三郎の言葉が通じず、この小競り合いが銃撃戦へと発展しました。
最終的には滝善三郎が責任を取る形で神戸の永福寺にて切腹し幕を引きました。

三宮神社の鳥居
三宮神社の本殿・本堂

拝殿
拝殿前には十二支の方位石があります
拝殿右後方に見える大きな建物は神戸セントモルガン教会

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四季
四季
2022年10月01日(土)560投稿

三宮神社 (さんのみや神社)

~リベンジお参り 三ノ宮・元町~

主祭神  湍津姫命 (たきつひめのみこと)
社格等  旧村社
創建   不明

札所等  生田裔神八社
例大祭  5月12日・13日
     10月12日・13日

御祭神 湍津姫命は、天照大御神が素盞鳴尊と剣玉を交換して誓約の際にお生まれになった三女神の一柱で、福岡県宗像郡沖の島に鎮座の宗像大社より観請されたといわれ、神功皇后の三韓からの帰途、巡拝された一社であり、又、寛延年間には尼崎藩主の信仰が篤かったそうです。

明治維新早々には、神戸開港の際藩士と外人との突発事件が起こった地で、「史蹟・神戸事件発生地」です。
また、二宮神社の御兄神と年に一度の御対面をされると伝えられ、古くからそちらが御神事とのことです。
爾来、航海交通安全・厄除の守護神として、御神徳の高い神様で、 旧八部郡神戸村鎮守として奉斎されてきました。

=「八社巡り~生田神社の裔神八社を巡る」より=

自分の中で昔から、旧居留地・大丸前の雰囲気が神戸市に再び来れました♡と、馴染み深い場所でした。
前回御朱印の拝受できる時間帯(14:00~15:30)にお参りさせて頂けたことで浮き足立ったのでしょうか?、何だか淋しい?!?

・・・「大砲」がないゃん!

今回はメインで撮影📸
のはずが、同行人が必ず写ってる!確信犯!?笑 ったくぅ。
今回も六甲アイランドで早めに仕事を終え、
急ぎ三宮神社さまへ。

源平史跡である、一ノ谷の合戦の生田の森で
一番乗りの手柄を立て討死された河原兄弟を
お祀りされた霊社も、手水舎も三宮神社さまは神戸が凝縮されてある様で、感慨深いものがあり何度でもお参りさせて頂きたいです。

八社巡りおみくじは、「小吉」
五宮神社で風の声を聞け
でした。

神戸市中央区三宮町2丁目4-4

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らんでぃー
らんでぃー
2022年06月25日(土)386投稿

再び、JR三宮方面に戻り、生田裔神八社の中の三柱目、三宮神社に向かいます。 トアロードの南端、神戸大丸の斜向かいに社を構え、湍津姫命(たきつひめのみこと)を祭神として祀っています。小さな境内ですが目を引くのは、慶応4年(明治元年・1868年)に起こった「神戸事件」の舞台となったことを記す説明板で同年代製の大砲も参考に置かれていました。 「神戸事件」は明治政府初の外交問題となった事件で、戊辰戦争に於いて摂津西宮(現・西宮市)警護に向かう途中であった備前藩兵(現・岡山県)の隊列が三宮神社近くに差しかかった時、制止を聞かず(言葉が通じず)前を横切ろうとしたフランス人水兵らに無礼討ちを行い、傷を負わせたことが発端で、欧米諸国公使らに威嚇射撃を加えるまでに発展した事件です。 事件後、列強諸国は居留地(外国人居留地)防衛の名目をもって神戸中心部を軍事占拠し、兵庫港に停泊する日本船舶の拿捕、日本在留外国人の身柄の安全保証と当該事件の日本側責任者の厳重処罰を要求します。 明治新政府は動揺し、直ちに参与兼外国事務取調掛・東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)を勅使として神戸に派遣、明治新政府への政権移譲を表明したうえで幕府が幕末までに結んだ条約を新政府も遵守すること、さらには日本在留外国人の安全確保などを誓約します。 当該事件の日本側責任者の厳重処罰(すなわち処刑)に関しては、期限ギリギリまでの助命嘆願の交渉を行うも、結局は諸外国側の要求を受け入れざるを得ず、備前藩士・滝善三郎正信はその責を一身に負い、神戸永福寺にて各国士官立ち合いの面前で見事な切腹を果たし事態は決着を見ることとなります。 「神戸事件」はその問題の行方によっては薩英戦争同様の事態を招いた可能性もあり、また場合によっては神戸自体が当時の香港や上海のように列強の理不尽な植民地支配下に置かれる事態も起こり得たことから、滝一人の犠牲によって危機回避がなされたことは日本外交史上において重大な出来事であったと言えます。 この裁定により切腹を命じられた備前藩士・滝善三郎正信の供養碑は同じ兵庫県にある永福寺(太平洋戦争にて焼失し現在は同市内の能福寺)に置かれています。
三宮神社に訪れたのは午後1時前でしたが、社務所の対応は1時30分からとなっており、思いがけずタイムロスをすることとなります。 再開時間まで待って御朱印を拝受しようとお願いしたところ、びっくりするぐらいのぞんざいな対応でした。 心が折れそうになりながら次の四宮神社を目指します。

三宮神社の鳥居

三宮神社・鳥居

三宮神社の手水舎

三宮神社・手水舎

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