みついしじんじゃ
三石神社兵庫県 和田岬駅
祈祷時間:9:00〜16:00
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳にお書き入れ | |||
御朱印帳 | - | ありません | |
駐車場 | なし |
神戸市兵庫区の和田岬の近く、和田神社のすぐお隣に鎮座されています。
御祭神
神功皇后 天照皇大神 素盞嗚大神
神功皇后を祀られているとおり、下記のように神功皇后にまつわる御由緒となっています。
201年に神功皇后が三韓征伐から凱旋の際、ここ和田岬に上陸され、三つの石を立てて神占いをした結果、廣田・生田・長田・住吉の神々を其の地に祀らしめた儀式の地である。
神功皇后が応神天皇をご懐妊の際に当地の三つの石を身に付けて安産を祈願したと伝えられており、その故事から安産の御利益があるとされています。
また応神天皇(八幡大神)の母親であることから、厄除開運などの御利益もあるそうです。
そして何よりこちらは2020東京オリンピックで兄弟そろって柔道金メダルを獲得した阿部一二三、詩兄妹の御実家が近くにあります。
小さい頃から毎年お参りに来られていたそうで、オリンピックが行われた年も兄妹でお参りに来られたそうで、見事優勝!
もちろんお二人の実力と努力があるからこその優勝だったのでしょうが、神功皇后の勝負運の御利益もあったんでしょうね。
宮司様にお聞きしたところ、来年、帰省されたらまたお参りに来ていただけるかもとのことでした。
鳥居
鳥居の向こうには茅の輪もありました
拝殿
神功皇后像と幼き応神天皇を抱きた武内宿禰像
社務所に阿部一二三、詩兄妹の写真と絵馬が飾られていました
三好稲荷神社・東洋大明神
三ツ石の遺跡
和田神社のすぐ南側に鎮座されています。
2020東京オリンピックで金メダルを取られた柔道の阿部一二三、詩兄妹のご実家はこのご近所だということで、今年の正月にも初詣に来られたようです。
お祝いの横断幕が境内横に掛けられていました。
御由緒
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神功皇后摂政元年(201年)、海より凱旋の帰途、和田岬に上陸し三ツ石を立てて神占いをした結果、廣田(西宮市)・生田・長田(神戸市)・住吉(大阪市)の神々をその地に祀らしめた儀式の場である。 後、推古天皇(602年)がこの地に来られ、禊をされたので、祓殿塚といい、玉座された石を三石という。
天平年間(720年頃)僧・行基が務古の水門である大輪田泊を築港した時、神功皇后の神霊が現れ、往来の船を守らんと誨えたため、祓殿の旧跡に祠を建てて大輪田泊まりの鎮護とし、神号を往来神・雪気神とした。
貞観元年(859年)3月、従五位下の神階を授けられる。
当社も兵乱により荒廃したが、文禄2年(1593年)兵庫津の代官・南條新左衛門尉が社殿を再建し、神功皇后の三つの石を建てて占った故事によって、雪気神を三石大神と改め現在に至っている。
神社の場所は、もとは現在地より南500mばかりの地にあって元三石といった。
享保7年(1722年)、兵庫津の人・井上八郎右衛門、江戸幕府の許可を得て、和田岬の地を開墾して今和田新田村の一村を設けるに当り、村端の美池に社殿を奉遷し開墾の成功と村中の平安を祈願した。
文化4年(1807年)6月、社殿破損に伴い、地元の井上八郎右衛門、村民と協力して社殿を村の中央に奉遷し、社殿も改築した。 この時更に天照皇大神及び、素戔嗚大神を配祀して産土神と崇め、農事の豊穣も祈願した。
明治39年(1906年)11月、時世の推移に伴い、境内地は三菱神戸造船所設立に伴う山陽鉄道和田支線の敷設のため、官の裁可により現在の地に遷座した。
以下、省略
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神戸市兵庫区和田宮通3-2-51
鳥居
神功皇后像と幼き応神天皇を抱きた武内宿禰像
拝殿
拝殿内
ご由緒
末社 三好稲荷神社・東洋大明神
三ツ石の遺跡
手水鉢
手水鉢の説明
御朱印
三石神社の鎮座地である和田岬は、神功(じんぐう)皇后摂政元年(200年)、凱旋の帰途上陸され、三つの石を立てて神占いをした結果、廣田・生田・長田・住吉の神々を其の地に祀らしめた儀式の地である。後、推古天皇(602年)がこの地に来られ、ミゾギをされたので、祓殿塚(はらいどののつか)といい、玉座とされた石を三石という。
(『摂津名所図会』)
天平年間(730年頃)僧行基が務古の水門なる和田泊を興した時、神功皇后の神霊が現れ、往来の船を守らんとすと誨えたため、祓殿の旧跡に祠を立て大輸田泊の鎮護とし、神号を往来神・雪気神(ゆきけのかみ)とした。
(『西摂大観』)
貞観元年(859年)従五位下の神階を授けられる。
(『三代実録』)
平安朝の末、西宮の廣田・西宮・南宮3社の祭礼で、その御神幸が和田岬まで行った事の記録が西宮神社に残っている。その時祓殿のことが記され、また3社の御神輿を奉安した三つ石が描かれている。
(『西宮神主家日記・西宮大神本紀』)
文禄2年(1593年)時の代官南条新左衛門尉により社殿再建の際、雪気神を三石大神と改称し現在に至っている。
神社は、もとは現在地より東南300メートルばかりの地にあって元三石といった。享保7年(1722年)兵庫の井上八郎右衛門が今和田新田を開発したときに、神社を今和田の美地に移し産土神としていたが、三菱神戸造船所設立に伴う鉄道用地となるため、明治39年に現在地に移った。(以上HPより)
名称 | 三石神社 |
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読み方 | みついしじんじゃ |
参拝時間 | 祈祷時間:9:00〜16:00 |
参拝にかかる時間 | 5分 |
参拝料 | なし |
トイレ | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 078-671-2531 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.mitsuishi.or.jp |
絵馬 | あり |
ご祭神 | 《主》神功皇后,天照大神,素盞嗚大神 |
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ご由緒 | 三石神社の鎮座地である和田岬は、神功(じんぐう)皇后摂政元年(200年)、凱旋の帰途上陸され、三つの石を立てて神占いをした結果、廣田・生田・長田・住吉の神々を其の地に祀らしめた儀式の地である。後、推古天皇(602年)がこの地に来られ、ミゾギをされたので、祓殿塚(はらいどののつか)といい、玉座とされた石を三石という。
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体験 | 祈祷おみくじ絵馬七五三御朱印お守り |
概要 | 三石神社(みついしじんじゃ)とは兵庫県神戸市兵庫区和田宮通3丁目2-51にある神社。祭神は神功皇后、天照皇大神、素盞嗚大神。 |
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歴史 | 由緒[編集] 602年、推古天皇が禊(みそぎ)をしたところを祓殿塚(はらいどののつか)といい玉座にした石を三石という。 天平時代、行基が和田泊を興した時、神功皇后の神霊が現れ、船の往来を守るといわれたので、祓殿塚の旧跡に祠を立て神号を往来神・雪気神(ゆきけのかみ)とした。文禄2年(1593年)、雪気神を三石大神と改称。 なお、神社は元々は現在地より東南約300メートルのところにあったが、享保7年(1722年)に移転、さらに明治39年(1906年)に移転し現在地となった。 |
アクセス | アクセス[編集] JRまたは神戸市営地下鉄・和田岬駅より徒歩2分。 |
引用元情報 | 「三石神社 (神戸市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%B8%89%E7%9F%B3%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E7%A5%9E%E6%88%B8%E5%B8%82%29&oldid=79790906 |
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