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みついしじんじゃ

三石神社
兵庫県 和田岬駅

御朱印について御朱印
あり
限定
-
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あり
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
なし

なし

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2025年03月14日(金) 21時39分53秒
2977投稿

兵庫県神戸市にある神社です。
和田神社のすぐ近くにあります。
和田神社ほど大きくはありませんが こちらも由緒正しい歴史のある神社です。
祭神は神功皇后 天照皇大神 盞嗚大神です。
本殿はとても立派で 屋根の形状がとても素敵です。
皇族ゆかりの神社ですから 菊の御紋が輝いています。
神功皇后像は他では見たことがありませんでした。
境内には三石の遺跡がありました。玉座の石があった場所ということだそうですが その玉座が残っていたらと残念に思いました。
ネット情報です。
三石神社の鎮座地である和田岬は 神功(じんぐう)皇后摂政元年(200年) 凱旋の帰途上陸され 三つの石を立てて神占いをした結果 廣田・生田・長田・住吉の神々を其の地に祀らしめた儀式の地である。
602年 推古天皇が禊(みそぎ)をしたところを祓殿塚(はらいどののつか)といい 玉座にした石を三石という。
天平時代 行基が和田泊を興した時 神功皇后の神霊が現れ 船の往来を守るといわれたので 祓殿塚の旧跡に祠を立て神号を往来神・雪気神(ゆきけのかみ)とした。
文禄2年(1593年) 雪気神を三石大神と改称。
さすが兵庫の津 和田の泊があった場所です。
平安時代より以前からの歴史があることに誇りを感じました。

三石神社(兵庫県)

正面石鳥居

三石神社(兵庫県)

手水舎

三石神社(兵庫県)

社務所の裏に本殿

三石神社(兵庫県)

神功皇后像

三石神社(兵庫県)

本殿拝所

三石神社(兵庫県)
三石神社(兵庫県)
三石神社(兵庫県)

柔道の阿部兄妹も参拝 お二人は和田岬の出身ですから

三石神社(兵庫県)

本殿内陣

三石神社(兵庫県)

末社 三好稲荷神社

三石神社(兵庫県)
三石神社(兵庫県)

三石の遺跡

三石神社(兵庫県)

由来

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歴史

三石神社の鎮座地である和田岬は、神功(じんぐう)皇后摂政元年(200年)、凱旋の帰途上陸され、三つの石を立てて神占いをした結果、廣田・生田・長田・住吉の神々を其の地に祀らしめた儀式の地である。後、推古天皇(602年)がこの地に来られ、ミゾギをされたので、祓殿塚(はらいどののつか)といい、玉座とされた石を三石という。
(『摂津名所図会』)
天平年間(730年頃)僧行基が務古の水門なる和田泊を興した時、神功皇后の神霊が現れ、往来の船を守らんとすと誨えたため、祓殿の旧跡に祠を立て大輸田泊の鎮護とし、神号を往来神・雪気神(ゆきけのかみ)とした。
(『西摂大観』)
貞観元年(859年)従五位下の神階を授けられる。
(『三代実録』)
平安朝の末、西宮の廣田・西宮・南宮3社の祭礼で、その御神幸が和田岬まで行った事の記録が西宮神社に残っている。その時祓殿のことが記され、また3社の御神輿を奉安した三つ石が描かれている。
(『西宮神主家日記・西宮大神本紀』)  
 文禄2年(1593年)時の代官南条新左衛門尉により社殿再建の際、雪気神を三石大神と改称し現在に至っている。  
 神社は、もとは現在地より東南300メートルばかりの地にあって元三石といった。享保7年(1722年)兵庫の井上八郎右衛門が今和田新田を開発したときに、神社を今和田の美地に移し産土神としていたが、三菱神戸造船所設立に伴う鉄道用地となるため、明治39年に現在地に移った。(以上HPより)

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三石神社の基本情報

住所

兵庫県神戸市兵庫区和田宮通3-2-51

行き方

JR和田岬線・神戸市営地下鉄湾岸線「和田岬駅」より徒歩2分

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名称

三石神社

読み方

みついしじんじゃ

参拝時間

祈祷時間:9:00〜16:00

参拝にかかる時間

5分

参拝料

なし

トイレなし
御朱印あり
限定御朱印なし
御朱印帳に直書きあり
御朱印の郵送対応なし
御朱印帳なし
電話番号078-671-2531
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.mitsuishi.or.jp
絵馬

あり

詳細情報

ご祭神《主》神功皇后,天照大神,素盞嗚大神
ご由緒

三石神社の鎮座地である和田岬は、神功(じんぐう)皇后摂政元年(200年)、凱旋の帰途上陸され、三つの石を立てて神占いをした結果、廣田・生田・長田・住吉の神々を其の地に祀らしめた儀式の地である。後、推古天皇(602年)がこの地に来られ、ミゾギをされたので、祓殿塚(はらいどののつか)といい、玉座とされた石を三石という。
(『摂津名所図会』)
天平年間(730年頃)僧行基が務古の水門なる和田泊を興した時、神功皇后の神霊が現れ、往来の船を守らんとすと誨えたため、祓殿の旧跡に祠を立て大輸田泊の鎮護とし、神号を往来神・雪気神(ゆきけのかみ)とした。
(『西摂大観』)
貞観元年(859年)従五位下の神階を授けられる。
(『三代実録』)
平安朝の末、西宮の廣田・西宮・南宮3社の祭礼で、その御神幸が和田岬まで行った事の記録が西宮神社に残っている。その時祓殿のことが記され、また3社の御神輿を奉安した三つ石が描かれている。
(『西宮神主家日記・西宮大神本紀』)  
 文禄2年(1593年)時の代官南条新左衛門尉により社殿再建の際、雪気神を三石大神と改称し現在に至っている。  
 神社は、もとは現在地より東南300メートルばかりの地にあって元三石といった。享保7年(1722年)兵庫の井上八郎右衛門が今和田新田を開発したときに、神社を今和田の美地に移し産土神としていたが、三菱神戸造船所設立に伴う鉄道用地となるため、明治39年に現在地に移った。(以上HPより)

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