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みついしじんじゃ

三石神社の御由緒・歴史
兵庫県 和田岬駅

ご祭神《主》神功皇后,天照大神,素盞嗚大神
ご由緒

三石神社の鎮座地である和田岬は、神功(じんぐう)皇后摂政元年(200年)、凱旋の帰途上陸され、三つの石を立てて神占いをした結果、廣田・生田・長田・住吉の神々を其の地に祀らしめた儀式の地である。後、推古天皇(602年)がこの地に来られ、ミゾギをされたので、祓殿塚(はらいどののつか)といい、玉座とされた石を三石という。
(『摂津名所図会』)
天平年間(730年頃)僧行基が務古の水門なる和田泊を興した時、神功皇后の神霊が現れ、往来の船を守らんとすと誨えたため、祓殿の旧跡に祠を立て大輸田泊の鎮護とし、神号を往来神・雪気神(ゆきけのかみ)とした。
(『西摂大観』)
貞観元年(859年)従五位下の神階を授けられる。
(『三代実録』)
平安朝の末、西宮の廣田・西宮・南宮3社の祭礼で、その御神幸が和田岬まで行った事の記録が西宮神社に残っている。その時祓殿のことが記され、また3社の御神輿を奉安した三つ石が描かれている。
(『西宮神主家日記・西宮大神本紀』)  
 文禄2年(1593年)時の代官南条新左衛門尉により社殿再建の際、雪気神を三石大神と改称し現在に至っている。  
 神社は、もとは現在地より東南300メートルばかりの地にあって元三石といった。享保7年(1722年)兵庫の井上八郎右衛門が今和田新田を開発したときに、神社を今和田の美地に移し産土神としていたが、三菱神戸造船所設立に伴う鉄道用地となるため、明治39年に現在地に移った。(以上HPより)

歴史
由緒[編集] 602年、推古天皇が禊(みそぎ)をしたところを祓殿塚(はらいどののつか)といい玉座にした石を三石という。 天平時代、行基が和田泊を興した時、神功皇后の神霊が現れ、船の往来を守るといわれたので、祓殿塚の旧跡に祠を立て神号を往来神・雪気神(ゆきけのかみ)とした。文禄2年(1593年)、雪気神を三石大神と改称。 なお、神社は元々は現在地より東南約300メートルのところにあったが、享保7年(1722年)に移転、さらに明治39年(1906年)に移転し現在地となった。
引用元情報三石神社 (神戸市)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%B8%89%E7%9F%B3%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E7%A5%9E%E6%88%B8%E5%B8%82%29&oldid=79790906

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