わだじんじゃ
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御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳にお書き入れ | |||
御朱印帳 | - | ありません | |
駐車場 | 境内に無料駐車場あり |
その他の巡礼の情報
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約2年ぶりの参拝。
久しぶりに平日にお休みをいただきちょっと遠出をしたいところでしたが、いろいろとトラブルがありなんとかできたわずかな時間でお参りさせていただきました。
こちらの和田神社さんにお参りの際はいつも天気がいいイメージで、今回も天気が良いというか、良すぎて暑かった😅
ここは歴史的著名人も訪れた場所で、明和3年(1766)と安永7年(1778)には与謝蕪村が俳諧の会を行い、⽂久3年(1863)には第14代将軍徳川家茂公が勝海舟たち幕僚を従えて来社し、昼食会を行ったそうです。
さらに第15代将軍⼀橋慶喜公も台場築造⼯事の際に訪れたとか。
御祭神 天御中主大神
市杵嶋姫大神
蛭子大神
茅の輪も設置されていました
拝殿
拝殿前の狛犬
脚には包帯のようにたくさんの布が結ばれています。
こちらの狛犬は「止める」信仰があり、「受験のすべり止め」「不幸にならないように止める」「愛をとめておく」「家出人の足を止める」などの御利益があるそうです。
手水舎
社殿横の弁財天像も暑そうな表情に見えてきます
秋葉神社
猿田彦社
宮比神社
境内南側の鳥居(菱垣廻船問屋奉納鳥居)
境内には埴輪もいますよ
二代目 影向松
和田神社の神様の使いである白蛇が初めて姿を現した御神木
高倉稲荷神社鳥居
高倉稲荷神社鳥居 社殿内
巳塚
祓所
昔、自凝島(淡路島)から葦の船で流され、最初に着いたのがこの和田岬で、そこにあった森を「蛭子の森」といい、蛭子大神をお祀りした最古の聖地です。
承安3年(1173年)、平清盛公が兵庫津(大輪田泊)に大土木工事を行いましたがとても難航したそうで、整備事業の完成と兵庫津の繁栄を祈願して、広島は安芸の宮島より市杵島姫大神を勧請しました。
さらに万治2年(1659年)、洪水のために武庫川が氾濫し岡太神社の神輿が流されて、「蛭子の森」に漂着したとのこと。
尼崎藩藩主の青山大膳亮幸利公が岡太大神の天御中主大神をお祀りする社殿の造営を行い、蛭子大神と市杵島姫大神をともに祀る和田神社ができました。
元々は現在地より800mほど西南方向の「蛭子の森」に鎮座されていましたが、三菱造船所の建設のため、1902年に現在地に移転となったようです。
また歴史上の著名人も和田神社を訪れています。
1766年 与謝蕪村が来社
1863年 第14代将軍徳川家茂公が勝海舟たち幕僚を従えて来社
1889年 福沢諭吉が参拝される
今回、初めての参拝となりましたが、とても清々しい境内で心落ち着く神社でした。
もっと早くお参りしていればよかったと感じました。
神戸市兵庫区和田宮通3-3-45
鳥居
社務所の前を通り過ぎると右手に拝殿が見えてきます
拝殿
拝殿内
天上絵がとてもきれいだったんですが、ガラスに遮られてこれが限界でした
本殿内には左大臣の姿が見えました
御由緒
手水舎
鳥居横にある石灯籠(尾州廻船奉納灯籠)
嘉永七甲寅三月(1854年)と記されています。
阪神淡路大震災により倒壊したため、礎部分を
利用して、青銅製の灯籠に再建されたそうです。
神田兵右衛門の彰徳碑
兵右衛門は新川運河の開削工事、明親館ほか十数か所の学校設立、神戸市の初代市会議長、神戸商業会議所の設立など、数々の業績を残した神田翁の功績を後世に伝える為に、兵庫南濱七ヶ町が協議し明治44年3月に建てられました。
兵右衛門は当時、県知事を努めていた伊藤博文に学校設立を申し出て、これを了承した県知事は、旧幕府勤番所址を学校建設の為に提供。
この学校を名付けて『明親館』という。
三浦清太郎翁顕彰碑
大正14年兵庫漁業組合長に就任、以来漁業の振興発展に尽くされました。
弁財天銅像
神代の昔、蛭子大神が淡路から和田岬に上陸したといわれ、承安3年(1173年)には平清盛がこの地に広島は安芸の宮島より市杵島姫大神を勧請したとのこと。
秋葉神社
猿田彦社
宮比神社
宮比神社社殿下には、七福神たちが!
弁財天様
影向松
和田神社の神様の使いである白蛇が初めて姿を現した御神木
境内南側の鳥居(菱垣廻船問屋奉納鳥居)
埴輪が多数置かれていましたよ😀
高倉稲荷神社鳥居
高倉稲荷神社
高倉稲荷神社社殿内 右側の不動尊
稲荷社
高倉稲荷神社のとなりにある巳塚
近づいてみると、白蛇がうじゃうじゃ!😅
祓所
御朱印
歴史
神代の昔、蛭子大神が淡路から和田岬に上陸したといわれ、承安三年(1173)には平清盛がこの地に広島は安芸の宮島より市杵島姫大神を勧請しています。
万治元年(1658)には武庫川の氾濫によって、岡田宮の御神体が和田岬に漂着したことから、時の尼崎藩主青山幸利は、大社殿を造営しました。
和田神社は海の守り神として崇敬され、境内には知多半島を拠点として江戸と兵庫と結んだ尾州廻船や江戸と兵庫の商人たちが奉納した常夜灯などが残されています。
和田神社の基本情報
住所 | 兵庫県神戸市兵庫区和田宮通3-2-45 |
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行き方 | JR海岸線「和田岬駅」から徒歩5分(運行本数が少ないのでご確認ください)
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名称 | 和田神社 |
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読み方 | わだじんじゃ |
参拝時間 | 常時開放 |
参拝にかかる時間 | 15分 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 078-652-1551 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
メールアドレス | wadamiya-info@wadamiya.jp |
ホームページ | http://www.wadamiya.jp |
SNS |
詳細情報
ご祭神 | 天御中主大神,市杵嶋姫大神,蛭子大神 |
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創建時代 | 承安三年(1173) |
創始者 | 平清盛 |
ご由緒 | 神代の昔、蛭子大神が淡路から和田岬に上陸したといわれ、承安三年(1173)には平清盛がこの地に広島は安芸の宮島より市杵島姫大神を勧請しています。
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体験 | おみくじ絵馬御朱印お守り札所・七福神巡り |
Wikipediaからの引用
概要 | 和田神社(わだみや)とは兵庫県神戸市兵庫区和田宮通にある神社。和田宮ともいう。 祭神は天御中主大神、市杵嶋姫大神、蛭子大神。 |
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歴史 | 由緒[編集] 太古の昔、蛭子大神が淡路島から船で本州に到着したところを「蛭子の森」という。蛭子の森は、現在の神社より西南約800mのところで、元々の神社の場所である。平清盛が承安3年(1173年)、市杵嶋姫大神を勧請した。万治元年(1658年)、天御中主大神の坐す神輿が流れ着き、種々の神異をあらわし、それを知った当時の尼崎城主が天御中主大神を主神にして社殿を造営し、和田の明神というようになった。明治34年(1902年)、造船所の建設のため現在地に遷座した。 |
アクセス | 交通[編集] 神戸市営地下鉄海岸線、JR和田岬線 和田岬駅 北へ徒歩2分 神戸市バス3系統 和田岬バス停 西へ徒歩2分 |
引用元情報 | 「和田神社 (神戸市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%92%8C%E7%94%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E7%A5%9E%E6%88%B8%E5%B8%82%29&oldid=101635212 |
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