わたつみじんじゃ
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海神社は神戸市垂水区にあります。
我が家の氏神様です。
子どもの頃から参拝していますし お祭りにもよく行きました。
この日は 近くで町の方とお食事会をするために垂水に来たのですが 到着が早すぎたため 初めて夕刻の参拝をさせていただきました。
鳥居前にフェンスがあって こちらからは入れません。
境内の一部が駐車場になっていて その出入口からは入れます。
駅からの参道も開いています。
境内には私一人しかいませんので 静かに参拝させていただきました。
もちろん時間外ですので御朱印はいただけませんが それでもこの時間の参拝は初めてでしたので十分満足です。
氏神様 これからもよろしくお願いいたします。
ネット情報です。
主祭神は上津綿津見神・中津綿津見神・底津綿津見神
社格は式内社(名神大)・旧官幣中社・別表神社
創建は(伝)神功皇后朝
宗教法人法による届け出では「わたつみじんじゃ」とされているが 「かいじんじゃ」ともいう読みも地元住民や氏子を含め広く知られている。
古くは あまじんじゃ・たるみじんじゃ 日向大明神 衣財田大明神。
「ワタツミ」の読みは本居宣長の説に基づき明治4年(1871年)に採用したものである。
『播磨国官幣中社海神社史』では「古例の通りアマもしくはタルミと読むべきである」としている。
「タルミ」の読みは 祭神の本来の名称が垂水神であったことによるものである。
「アマ」は 当社が海直(あまのあたい)の氏神であったことによる。
社伝によると 神功皇后が三韓征伐からの帰途 当地の海上で暴風雨が起こって船が進めなくなったため 皇后が綿津見三神を祀ると暴風雨が治まり その縁でこの地に綿津見三神を祀る社殿を建てたのが始まりという。
『日本書紀』に記される広田神社・生田神社・長田神社・住吉大社創建の記述とほぼ同様であるが 『日本書紀』の当該箇所に海神社に関する記述はない。
文献に現れる最も古い記述は 大同元年(806年)の『新抄格勅符抄』にある播磨明石垂水神に神封戸10戸を寄進するという記述。
当所は海上交通の要地であることから 古くから海上鎮護の神として崇敬を受けた。
『延喜式神名帳』では「播磨国明石郡 海神社三座」と記載され 名神大社に列している。
中世以降 戦乱等のために社勢が衰えるが 天正11年(1587年)に豊臣秀吉が祈祷料として垂水郷山内の山林を寄進 江戸時代にも歴代明石藩主が篤く崇敬し 毎年2月に参拝するのを通例としていた。
江戸時代の初頭より「日向大明神」と呼ばれていたが 明治4年(1871年)に国幣中社に列格した際に「海神社」に復称した。
明治30年(1897年)に官幣中社に昇格した。
高度成長期前までは大鳥居周辺は砂浜であり 文字通り「海の神社」であったが 1960年以降埋め立てが行われて 大鳥居の前面は道路や漁港となった。
私が子供の頃は 一部砂浜が残っていました。






兵庫県神戸市にある神社です。
子どもの頃にはよくお詣りしていました。
小学生の頃までこの近くに住んでいましたので 初詣と七五三はこちらでしました。
釣りにでかけた時には 「たくさん釣れますように」 なんて子供心にお願いしたこともありました。
昔は夏に 海神社の花火というのがあって それはそれはすごい人出で盛り上がったのですが 今は行われていません。
夏と秋のお祭りでは屋台も出るのですが 昔の半分もありません。
一般的に ご年配の方が 「昔は良かった」 と回顧されることを揶揄する方がいらっしゃいます。
私もそちら側の人間だったと思うのですが いつしか回顧する側になっています。
海神社では復刻御朱印を出されていました。
半世紀ほど前 まだ神社のお祭りを純粋に楽しんだ子供の頃が懐かしい。
今回お詣りして そんな気持ちになりました。
100年後にも残っていてほしいです。





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