おうごはちまんじんじゃ
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奈良朝宝亀10年(779)6月、表筒男命を祀る。後、平安中期の仁平年間に安閑天皇を、次いで鎌倉初期の貞応2年(1223)鶴岡八幡宮より応神天皇の分霊を請けて奉祀、以後八幡宮と称号する。
入口は桜が咲いていました
枝垂れ桜が満開でした
人感センサーのお手水です
淡河川のすぐそばに鎮座する淡河八幡神社。
奈良時代の末期、宝亀10年(779年)に表筒男命をお祀りしたのが始まりとされる。
なぜ表筒男命をお祀りする経緯になったのかは不明ですが、最初は住吉神社だったんでしょうか?
その後、仁平年間(1151~1154年)に第27代安閑天皇(吉野の神)をお祀りする。
そして鎌倉時代の初めである貞応2年(1223年)に鶴岡八幡宮から応神天皇の分霊を迎えて、若宮八幡宮と改称したとのこと。
その後、淡河城主の淡河氏、そして淡河氏を滅ぼして新たに淡河城主となった有馬豊氏(競馬の有馬記念は有馬頼寧氏の功績を称えて記念して出来たレースだそうですが、その有馬頼寧氏の先祖)、明石藩主から篤い信仰を受けたそうです。
また石碑から続く参道の横には弓道場があります。
こちらの神社には、御弓神事(兵庫県指定重要無形民俗文化財)があるそうです。
鎌倉時代が発祥ともされる古い神事が今も続いているそうです。
さらにこちらの神社の境内である八幡の杜には、車も二輪も立ちることが許されていない、絶対的な神域とされています。
私がお参りしたのは午後15時半頃でしたが、この日の七五三ご祈祷のご家族が帰られるところだったようで、境内はとても静まりかえっていて神聖な雰囲気が漂っていました。
まずは石碑がお出迎え
この手前には社号標もありましたが、写真を撮り忘れ😅
鳥居
なにやら拝殿前が華やかです
拝殿
奉納された菊が飾られていました
拝殿には、「往来安全」の書
これは元兵庫県知事の坂井時忠さんの書だそうです
拝殿斜め前方から
本殿(西側から)
末社
御祭神は武内宿禰命
本殿の北側には御神木の切り株でしょうか
末社
御祭神は大山津見神
本殿(東側から)
「手挟み」の彫刻が見事でした
手水舎
境内入口の石碑近くにある由緒書
こちらは鳥居近くにある由緒書
御弓神事と御旅神事の説明
昨年11月以来のお参り。
前回は七五三の時期ということもあり、拝殿前には奉納された菊の花がたくさん飾られていましたが、今回はすっきりとした感じでした。
宝亀10年(779年)に住吉の神(表筒男命)を祀り、仁平年間(1151~1154年)に吉野の神(安閑天皇)を祀りました。
そして貞応2年(1223年)に鶴岡八幡宮から応神天皇の分霊を迎えて、社号を若宮八幡宮と称しましたとのこと。
鎌倉時代から800年続く『御弓神事』があり、兵庫県の重要無形民俗文化財に指定されています。
大的の中央に「鬼」という字を書いた直後に墨で塗りつぶす鬼封じの儀の後、4人の射手が計16本の矢を放ち、五穀豊穣と厄除解除を祈願します。
今年がぢょうど800年という節目だということで、夜間に行われたそうです。
社号標
前回、社号標の写真を撮り忘れていたのでリベンジです。
社号標のすぐそばにある枝垂梅
このときはまだ咲き始めたばかりでしたが、おそらく今は満開ではないかと。
普通の梅は満開でした。
梅の花の撮影を目当てに来られている方も見かけました。
境内のすぐ横を流れる淡河川の河原には弓道場があります。
淡河八幡神社では、例年2月11日に「御弓神事」が行われます。
鎌倉初期の発祥と伝えられ、豊作予祝、厄災祓いの年頭行事となります。
拝殿
こちらは本殿前の狛犬さん
本殿西側から見た手挟み
本殿の彫刻
伊勢神宮 遙拝所
天満宮拝所
境内社 武内宿祢命
境内社 大山津見神
本殿西側から見た手挟み
最後に鳥居前で一礼後、境内全体を撮影
名称 | 淡河八幡神社 |
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読み方 | おうごはちまんじんじゃ |
通称 | 淡河八幡神社 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 078-959-0436 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご祭神 | 《主》応神天皇,表筒男命,安閑天皇 |
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