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もとわにし はちまんじんじゃ

本輪西八幡神社の御由緒・歴史
公式北海道 本輪西駅

ご祭神誉田別尊
創建時代明治7年(1874)
ご由緒

明治2年仙台藩角田領主石川邦光が朝廷の命をうけ、家臣の泉忠広・添田龍吉等が渡道、現在の本輪西町を中心に開拓の鍬を入れ町造りを始める。当時戸数17戸余り。明治7年11月8日宮城県伊具郡角田市に鎮座する磐都嶺八幡宮の御分霊を添田龍吉等が奉持して現在の社地に御遷座申し上げ、当地方の守護神産土神として開拓精神の支柱となって尊崇されてきた。明治30年に公認の神社として登録、戸数150戸余り、明治31年に社殿が手狭な為社殿を新築、さらに大正8年大規模に社殿を増改築する。昭和14年村社に昇格、神饌幣帛供進神社に指定される。昭和29年御鎮座80年記念として神輿購入、昭和48年御鎮座百年記念して御社殿、社務所を改築。昭和52年表参道改修工事を行う。昭和60年奉賛会を設立、手水舎、春日灯篭を新設。平成5年御鎮座120年記念として神輿庫新設、平成7年社務所を改築。平成11年境内整備。平成15年御鎮座130年記念社殿屋根銅板葺き替え。平成16年神門、授与所新築し現在に至る。
 神社境内地(5,419坪のうち山側の部分3,383坪)室蘭市保存樹林に指定される。昭和53年室蘭市
當神社の御祭神「誉田別尊(ほんだわけのみこと)」が本輪西八幡神社に辿り着いた流れ
石都々古和気神社 → 磐都嶺八幡宮 → 【本輪西八幡神社】
誉田別尊は第15代応神天皇の本名であり、宇佐八幡宮が総本山です。その宇佐八幡宮(大分県)から石清水八幡宮(京都)に御祭神へ勧請(御霊分け)されております。 室蘭市の開拓祖先である添田の藩主石川の祖で陸奥石川氏第2代当主「大和源氏または清和源氏 源(石川) 有光」の関係で、石清水八幡宮から勧請された御祭神の最良の場所を探し三芦城(石川城)へ鎮座する。これが、陸奥国一之宮石都々古和気神社(カモの大御神)となる。ここは元々磐座(巨石信仰)の山であった。{後に石川家からは中世から江戸時代明治時代まで全国の神社界を取り仕切っていた吉田神道を誕生させる} そして、宮城県角田市の磐都嶺八幡宮へ誉田別尊が勧請されました。後に、諸々の事情により陸奥国は石川藩から伊達藩に勢力が変わる。江戸時代から明治時代に移行する時の戦争(新政府軍・旧幕府勢力の戦争)で石川藩が負け領地を没収される。新天地を目指し、未開の地蝦夷(北海道胆振國)へ開拓に向かう。現在の伊達市は亘理伊達家。室蘭市は石川藩。登別市は片倉藩。開拓は困難を極め、特に石川藩の藩主石川邦光は事情(西南戦争等の内政事情や罷免)により角田城に帰る。藩主がいない開拓の武士たちは、心の拠り所が無くなり挫折していた。それを心配していた開拓のリーダーである添田龍吉は資金を溜めて角田城藩主石川邦光に会いに行くが、邦光は罷免されたプライドなどにより室蘭へ戻る事はしなかった。代わりに邦光の弟が来る事になる。そしてこの時、角田市磐都嶺八幡宮の神職の娘が添田龍吉の妻であり、御祭神を輪西村(現本輪西町)へ勧請した。
現在(令和3年)、北海道の寺社の中ではツツジを1番植えてある神社である。別名『つつじの杜神社』

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