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ていねじんじゃ

手稲神社の御由緒・歴史
公式北海道 手稲駅

ご祭神《主祭神》大国魂神、大那牟遅神、少彦名神

《相殿神》天照坐皇大神、豊受姫大神、天満大神、倉稲魂神
ご由緒

明治のはじめ、手稲村の開拓移住者は、札幌神社(現 北海道神宮)を参拝することを常としていましたが、冬季・農繁期の不便を感じ地元に小祠を建立し、遙拝するようになりました。明治30年、札幌神社正式遙拝所として許可され「軽川遙拝所」となりましたが、村民より公認神社設立が熱望され、明治32年5月18日神社公称を許可され「手稲神社」となりました。また氏子の総意により大正6年に村社に昇格、昭和16年には郷社に昇格し、手稲の街と共に発展してきました。その間、大正元年に稲穂神社、昭和47年に小樽内川稲荷神社、昭和48年に新川神社を合祀し、主祭神と共に相殿神として奉斎しています。そして、昭和22年には手稲山山頂に道内最高地のお宮であります「手稲神社奥宮」を建立しました。

歴史
歴史[編集] 1896年(明治29年)12月26日、札幌神社(後の北海道神宮)の遥拝所設立願いが出される[1]。 1897年(明治30年)9月4日、軽川遥拝所の許可が下りる[1]。 1898年(明治31年)9月10日、神社への昇格を出願[1]。 1899年(明治32年)5月18日、手稲神社の許可が下りる[1]。 1904年(明治37年)3月28日、社殿造営[1]。 1912年(大正元年)9月30日、稲穂神社を合祀[1]。 1917年(大正6年)8月23日、村社に列格[1]。 1934年(昭和9年)、社殿・社務所改築[1]。 1941年(昭和16年)4月1日、郷社に列格[1]。 1947年...Wikipediaで続きを読む
引用元情報手稲神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%89%8B%E7%A8%B2%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=94839391

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