とよかわいなりさっぽろべついん|曹洞宗
豊川稲荷札幌別院(玉宝禅寺)
北海道 豊水すすきの駅
ワタシが生まれた界隈の「巡礼」を、また、「ご近所」になりましたので、ご挨拶がてらお詣りしました。
やっと、「宣言どおり」お詣りしましたよ!
今日は「銀行まわり」もあるので、「札幌駅前通」沿いにある豊川稲荷さまは、「お詣り確定」でした。
着いてみますと、山門は「鳥居」? 観音さまも、七福神さまも、お稲荷さまもいらっしゃいますよ。これが本当に「曹洞宗」の「寺院」?
あー、「薄野娼妓並水子哀悼碑」ですか。これは「北海道開拓初期」からの、「薄野遊郭」の「なごり」かもですね。
そうそう、「事前情報」でも、「「御朱印帳」は「仏閣専用」のものを」などの、「注意事項」がありましたけれど。
「神仏習合」という感じで、「仏閣」しかも「禅宗」という雰囲気は、全く感じられないのですが・・・。
本堂建物は2階建てで、2階にご本尊がおられ、2階左手が「授与所」です。
1階は、右手と左手にそれぞれ「寺務所(?)」があり、左手のドアは一般的な「寺務所」ですが、右手ドアは「水子など」相談専用の「お部屋」です。
この「すすきの界隈ならでは」のお話しでしょうか・・・。
2階でお詣りを済ませますと、気付くと、「浄財箱」の右手に「11月限定・書き置き(見開き)」の「御印」があります。
SNSにて告知されていた、11月まで頒布するという、10月限定見開き御印の、「紅葉と「ススキーノ」」は、見当たらないようです。
お志は、「見開き」は1,000円、「ご本尊さま」は500円で、備え付けの半紙に包み、1階寺務所のドア郵便受けへ、との事ですが。
「書き置き(見開き)御印」は、ワタシが「拝受」しますと「在庫切れ」です。でも、元から「ご本尊さま」の「御印」の在庫が無い・・・。
取りあえず、千円札を備え付けの半紙に包みましたが、「ご本尊さま御印」があきらめきれず、2階の授与所でまごまごしていました。
しばらくしましたら、お寺の方が出ていらっしゃって、「集印帳」に「ご本尊さま御印」を「直書き」して頂けることになりました。
豊川稲荷さま、申し訳ございません。いらっしゃらない間に「授与所」の写真を、ビシビシ撮影させて頂きました。
こちらには、3種類の「御朱印帳」のご用意があります。少し奥をのぞいてみますと、「御朱印帳ケース」のご用意も若干あるようです。
「御印」が書き上がり、お寺の方が戻られたので、「曹洞宗のお作法」にのっとって、「冥加料」と「舎利礼文・般若心経」の「写経」をお納めしました。
帰り際。「ありがとうござました」、「雨が降りそうですね」、というやり取りの最中・・・。
お寺の方が「あっ」と言って奥に行き、戻ってきて、「「お清め」の塩です。どうぞ」とのこと。
「お作法どおりした「ご褒美」」なのだろうか・・・。
そうそう! 今、思いついたのですが、「お寺」で「清めの塩」は使うの?
豊川吒枳尼眞天 御印
11月限定 稲多大祭 御印
山門(鳥居?)
薄野娼妓並水子哀悼碑
仏様と水子地蔵 像?
観世音菩薩・大黒天・恵比寿 像
七福神 像
すすきの稲荷大明神
本堂
授与所・全景
授与所・「天然石念珠」と「御朱印帳」
授与所・「外国語おみくじ」と「御朱印帳入れ」
授与品(清め塩)
10月限定「紅葉と「ススキーノ」」見開き御印 告知
「薄野の守護神」と呼ばれ、地域の人々の崇敬を集め、玉垣や門柱には寄進者として、地元の有力者や興行主などの他、見番に属する芸妓などの名前も数多く刻まれており、花街との関わりは特に深いものがあった。昭和初期までは、芸妓や遊女、小料理屋の女主人や仲居など、水商売に縁のある女性が、お百度を踏む光景が頻繁に見られたという。また、毎年9月22日に催された例大祭は、かつては札幌神社祭・三吉神社祭とともに、札幌三大祭と呼ばれるほど盛大なものであった。
1976年5月25日、札幌料飲業団体連合会会長・熊谷秀一らを中心とした「薄野花街哀悼碑建立期成会」によって、薄野の花柳界の無縁仏と見づ子(水子)を哀悼する「薄野娼妓並水子哀悼碑」が建立された。境内を取り囲む玉垣は、地域の再開発などによって、昔よりも大幅に縮小されているが、災害などでの損壊を免れた本殿や門柱などとともに、遊郭時代の薄野を偲ばせる数少ない遺構となってい。
本堂
管区強化センター入り口
豊川稲荷別院入り口
薄野娼妓並水子哀悼碑
水子地蔵
七福神
鳥居
御朱印
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