えべつじんじゃ
江別神社北海道 江別駅
参拝/24時間
授与所:9:00~16:00
私が19歳に専門学校に通う為に、住んで居た私の人生を導いてくれた場所です、やっと念願叶い参拝出来ました、先ずは無事還暦迄生きた事を感謝しました🙇また下肢障害完治や家族の無病息災を、お願いしました🙏ずっとお参りしたかったので、感激し心癒されました、天気も良く清々しい気分に😌
書置き御朱印ですが、日付は宮司さんが入れてくれ、力強い字でパワーをいただけました🙏
一の鳥居
ニの鳥居
ニの鳥居右側に江別神社石碑
ニの鳥居左側に天照大神石碑
手水舎、水が出ましたので、清めました😊
ニの鳥居から参道全景
大正時代の右側狛犬さん
同じく左側狛犬さん
拝殿本殿
金字の拝殿場所神社名版
拝殿場所賽銭箱が時代を感じますね
愛車と江別神社さん拝殿、車も喜んでるみたい😄
江別駅のすぐそば。
学生時代を懐かしみ江別・野幌の神社参拝しました。
御朱印 300円
本殿では お祓いしてた
江別神社も広いなぁ。
雨でも参拝者が途切れない。
社務所で 御朱印頂きました
【北海道 古社巡り】
江別神社(えべつ~)は、北海道江別市萩ケ岡にある神社。旧社格は郷社。祭神は天照大神、大国主大神、加藤清正公。
1885年に熊本県から入植した屯田兵が、守護神として加藤清正公を江別市緑町の飛鳥山に祀って「飛鳥山神社」と称したのが始まり。1891年に出雲大社から大国主大神を勧請した。1893年に江別駅前の現在地に遷座し、現在の「江別神社」と改称した。1915年に大正天皇即位記念事業として社殿を造営、同時に伊勢神宮から天照大神を奉戴して主祭神とした。1917年に村社に列し、1926年に郷社に昇格した。
当社は、JR函館本線・江別駅の西方100mの小高くフラットな場所にある。ほぼ駅前という立地で、線路の北側、道を挟んですぐのところに鳥居がある。林の中に長くまっすぐ伸びる参道があって、その突き当りが社殿というシンプルな造り。境内は広々としているようだが、草木が深いため、参道から逸れて歩き回るのは難しそう。とにかく緑が豊かなのが印象的。
今回は、北海道の旧郷社ということで参拝することに。参拝時は午前中早めの時間で、地元の方と思しき人々が何組も参拝に訪れていた。
境内南東端入口の<鳥居>と<社号標>。
黒くてはっきり見えない<社号標>のアップ。
<一の鳥居>をくぐる。ここからすでに<社殿>が見える。
長く真っ直ぐな参道を進む。さらに一段高いところに<社殿>がある。
上の写真だと樹木に隠れている、2つ目の<社号標>。こちらの方が古そうで、くねくねした面白い字体。(o^―^o)
鳥居左側の石柱には、御祭神の名称が記載されている。
<二の鳥居>をくぐる。
参道右側の<手水舎>。
<拝殿>遠景。
参道右手の<神輿庫>。
拝殿前左側の<狛犬>。北海道の古い狛犬で多く見られる黒色系の石を使い、身体には風車の模様に太い尻尾。個性的で◎。
拝殿前右側の<狛犬>。台座には「大正四年(1915年)九月」の銘がある。
107年物!(;゚Д゚)
右の狛犬のそばにある<ご神水>。汲み上げポンプ式。
<拝殿>全景。左右に小さな翼殿が付設されている。
<拝殿>正面。扁額は奥に掛かっている。
拝殿に向かって左手にある<社務所>。御朱印はこちら。
最後にふたたび<拝殿>全景。時間は休日朝9時過ぎ。地元の人が次々にクルマでやって来てはお参りしていく。地元で愛されていて良い感じ。(^▽^)/
明治18年北海道開拓の為、熊本県より入植した屯田兵の守護神として江別市飛鳥山の地に一宇を建立。次いで明治24年出雲大社より大国主大神を奉戴、明治28年に現在の萩ヶ岡に遷座。大正4年、大正天皇御即位の大典記念事業として社殿、社務所を造営し、この機に神宮より天照大神を奉戴、主祭神として祀った。大正6年6月7日内務大臣より神社創立の認可を受け(内務省5-北社第19号)次いで同年6月30日付で村社に列し、大正15年5月12日郷社に昇格した。戦後、神道指令に基き宗教法人江別神社として新発足し昭和59年、御鎮座百年記念事業として現在の社殿を造営。
名称 | 江別神社 |
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読み方 | えべつじんじゃ |
参拝時間 | 参拝/24時間
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トイレ | 駐車場傍 |
御朱印 | あり 二面見開きの御朱印です。右面の真ん中に江別神社と書かれ、右上に郷土の銘水江別神社ご神水、真ん中に江別神社、左下に江別市萩が丘鎮座の印が押されています。
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限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 011-382-2201 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://park19.wakwak.com/~e-jinjya/ |
おみくじ | あり |
お守り | あり |
絵馬 | あり |
SNS |
ご祭神 | 天照大神(あまてらすおおかみ) 大国主大神(おおくにぬしのおおかみ) 加藤清正公(かとうきよまさこう) |
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本殿 | 神明造 |
ご由緒 | 明治18年北海道開拓の為、熊本県より入植した屯田兵の守護神として江別市飛鳥山の地に一宇を建立。次いで明治24年出雲大社より大国主大神を奉戴、明治28年に現在の萩ヶ岡に遷座。大正4年、大正天皇御即位の大典記念事業として社殿、社務所を造営し、この機に神宮より天照大神を奉戴、主祭神として祀った。大正6年6月7日内務大臣より神社創立の認可を受け(内務省5-北社第19号)次いで同年6月30日付で村社に列し、大正15年5月12日郷社に昇格した。戦後、神道指令に基き宗教法人江別神社として新発足し昭和59年、御鎮座百年記念事業として現在の社殿を造営。 |
体験 | おみくじ絵馬御朱印お守り |
概要 | 江別神社(えべつじんじゃ)は、北海道江別市にある神社である。旧社格は郷社。 天照大神、大国主大神、加藤清正公を祀る。 |
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歴史 | 歴史[編集] 明治18年(1885年)、熊本県から入植した屯田兵が守護神として加藤清正を江別市緑町の飛鳥山に祀って「飛鳥山神社」と称したのに始まる。明治24年(1891年)、出雲大社から大国主神を分祀した。 明治26年8月25日、江別駅前の萩ヶ丘に遷座し、現在の「江別神社」に改称した[1]。大正4年(1915年)、大正天皇即位記念事業として社殿・社務所を造営し、伊勢神宮から天照大神を奉戴して主祭神とした。 大正6年(1917年)6月30日に村社に列格し、大正15年(1926年)5月12日に郷社に昇格した。 昭和59年(1984年)、鎮座百年を記念して現在の社殿が造営された。 ^ 藤倉...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「江別神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%B1%9F%E5%88%A5%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=94852054 |
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