ひえじんじゃ
日枝神社公式岐阜県 高山駅
・参拝可能時間
境内に施錠はしていません。24時間参拝は可能です。
・対応できる時間
午前8時30分~午後4時30分
・御朱印受付時間
午前8時30分~午後4時30分
・ご祈祷の受付時間
午前9時~午後3時30分
・休務日 なし
ひえじんじゃ
・参拝可能時間
境内に施錠はしていません。24時間参拝は可能です。
・対応できる時間
午前8時30分~午後4時30分
・御朱印受付時間
午前8時30分~午後4時30分
・ご祈祷の受付時間
午前9時~午後3時30分
・休務日 なし
御朱印 | 真ん中に日枝神社、その右に飛騨山王宮と書かれた御朱印です。 地にはご神木の大杉と、神社のマスコット(神使)の猿のイラストが。 御朱印帳にはお神輿と飛騨の山々が描かれています。 | ||
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限定 | - | ||
御朱印帳にお書き入れ | ■お書き入れ ・本殿の御朱印 ・御旅所(中橋の袂にあり)ではお書き入れはできません ■書置き ・本殿の御朱印 ・末社 富士神社の御朱印 (別に御旅所限定の書置きを準備しています。) | ||
御朱印帳 | |||
駐車場 | 境内に約15台、西石段下に駐車可能
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映画「君の名は。」のモデルとなった神社⛩️です。
赤い鳥居の前にある賽銭箱にお賽銭を入れようとすると
写真を少し拡大すると、よくわかると思いますが、手前の銀杏の葉の模様が鏡(画面上部)に写ると正方格子に変わっています。
これは目の錯覚だそうです。
テレビ番組「クレージージャーニー」で紹介されたそうです。
本殿
天然記念物の大スギ
遠く永治元年(1141)、時の飛騨守時輔朝臣が、ある日片野山中で狩りに出て、奇瑞のことがあったので、その城をかまえていた石光山(今の高山市片野地内)に近江の日吉大神を勧請して、城の鎮護としたのがはじまりである。
金森長近父子が豊臣秀吉の命によって飛騨へ入国、諸将を平らげて国内を統一し、国守に封ぜられて、同14年、城を天神山(今の城山)に築いた。金森氏の祖は近江国で、代々日枝大神の崇敬が厚かったことなどから、慶長10年(1605)、片野より現在の地へ奉遷して城の鎮護神とし、社地と社殿を寄進造営、社僧松樹院を置いて片野、高山南半分の産土神に定められた。かくして金森氏歴代100余年間、城主の崇敬あつく度々の社殿の改築修造が行われてきた。
行事詳細情報
□月次祭 毎月1日 9時から
神様に感謝して、国民の安泰と繁栄を願う祭祀です。
どなた様もご参拝いただけます。(玉串料1,000円)
参列を希望される方は8時50分までに社務所にお越しください。拝殿へご案内いたします。
遠く永治元年(1141)、時の飛騨守時輔朝臣が、ある日片野山中で狩りに出て、奇瑞のことがあったので、その城をかまえていた石光山(今の高山市片野地内)に近江の日吉大神を勧請して、城の鎮護としたのがはじまりである。その後、四代目景家の時、養和元年(1181)正月、源義仲の部将手塚光盛に攻められ、利あらずして敗亡、社殿も兵火にかかって消失したが、幸いにして御霊体は災禍をまぬがれ無事奉安することができ、里人によって社殿は再興され、片野村の産土神として奉祀されていた。(今、この地を「元山王」とよんでいる。)幾多の年月を経て天正13年(1585)、金森長近父子が豊臣秀吉の命によって飛騨へ入国、諸将を平らげて国内を統一し、国守に封ぜられて、同14年、城を天神山(今の城山)に築いた。金森氏の祖は近江国で、代々日枝大神の崇敬が厚かったことなどから、慶長10年(1605)、片野より現在の地へ奉遷して城の鎮護神とし、社地と社殿を寄進造営、社僧松樹院を置いて片野、高山南半分の産土神に定められた。かくして金森氏歴代100余年間、城主の崇敬あつく度々の社殿の改築修造が行われてきた。今に残る社殿の棟木、神輿等に見る国守の紋所梅鉢はじめ金森長近公愛用の陣羽織及び刀等にもそれを伺うことができる。元禄5年(1692)、城主移封となり、徳川幕府の直轄となってからも、歴代の代官・郡代の尊崇あつく、度々社殿の修築、参詣があった。明治以後は郷社を経て昭和に県社となり、一般に『山王さま』と親しまれ、氏子数2700戸はじめ高山市民の尊崇を集めている。
住所 | 岐阜県高山市城山156番地 |
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行き方 | JR高山駅より徒歩30分
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名称 | 日枝神社 |
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読み方 | ひえじんじゃ |
通称 | 飛騨山王宮 |
参拝時間 | ・参拝可能時間
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参拝にかかる時間 | 約20分 |
参拝料 | 無料 |
トイレ | あり 参道の途中、駐車場の前(社務所対応可能時間のみ開放しています) |
御朱印 | あり 真ん中に日枝神社、その右に飛騨山王宮と書かれた御朱印です。
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限定御朱印 | なし |
御朱印帳に直書き | あり ■お書き入れ
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御朱印の郵送対応 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0577-32-0520 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
メールアドレス | hie-jinja156@bizimo.jp |
ホームページ | https://hiejinja.com/ |
おみくじ | あり |
絵馬 | あり |
ご祭神 | 《主》大山咋神 |
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ご由緒 | 遠く永治元年(1141)、時の飛騨守時輔朝臣が、ある日片野山中で狩りに出て、奇瑞のことがあったので、その城をかまえていた石光山(今の高山市片野地内)に近江の日吉大神を勧請して、城の鎮護としたのがはじまりである。その後、四代目景家の時、養和元年(1181)正月、源義仲の部将手塚光盛に攻められ、利あらずして敗亡、社殿も兵火にかかって消失したが、幸いにして御霊体は災禍をまぬがれ無事奉安することができ、里人によって社殿は再興され、片野村の産土神として奉祀されていた。(今、この地を「元山王」とよんでいる。)幾多の年月を経て天正13年(1585)、金森長近父子が豊臣秀吉の命によって飛騨へ入国、諸将を平らげて国内を統一し、国守に封ぜられて、同14年、城を天神山(今の城山)に築いた。金森氏の祖は近江国で、代々日枝大神の崇敬が厚かったことなどから、慶長10年(1605)、片野より現在の地へ奉遷して城の鎮護神とし、社地と社殿を寄進造営、社僧松樹院を置いて片野、高山南半分の産土神に定められた。かくして金森氏歴代100余年間、城主の崇敬あつく度々の社殿の改築修造が行われてきた。今に残る社殿の棟木、神輿等に見る国守の紋所梅鉢はじめ金森長近公愛用の陣羽織及び刀等にもそれを伺うことができる。元禄5年(1692)、城主移封となり、徳川幕府の直轄となってからも、歴代の代官・郡代の尊崇あつく、度々社殿の修築、参詣があった。明治以後は郷社を経て昭和に県社となり、一般に『山王さま』と親しまれ、氏子数2700戸はじめ高山市民の尊崇を集めている。 |
体験 | 祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬結婚式七五三御朱印お守り祭りアニメなどサブカル花手水 |
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