ぎふぜんこうじ|真言宗醍醐派|愛護山
岐阜善光寺のお参りの記録一覧(3ページ目)
正式名:愛護山善光寺安乗院
通称:岐阜善光寺、伊奈波善光寺
岐阜県岐阜市にある真言宗醍醐派の寺院で、本尊は善光寺如来。美濃四国第1番札所。
信長の孫・織田秀信が、かつて善光寺如来が祀られていた地に伊奈波善光寺堂を建立し、善光寺如来の分身を祀ったのが始まりという。建立時期は不明だが、織田秀信が岐阜城主であった文禄元年(1592)から慶長5年(1600)頃と推測される。
江戸時代初期、善光寺安乗院に改称する。
善光寺如来の分身は、安乗院と満願寺(伊奈波神社の境内の寺院)で交代で守られていたが、明治元年(1868)に廃仏毀釈、神仏分離のため満願寺は廃寺となる。本尊は安乗院単独で所有することとなる。
明治24年(1891)の濃尾地震により本堂は全焼し、現在の建物は大正元年(1912)に再建されたものである。
次は伊奈波神社の手前にある岐阜善光寺にお邪魔しました。ご本尊は善光寺如来で、元々信州善光寺のものですが、織田信長の手でこの地に移されたそうです。政権が変わるたびにあちこちに移され、最終的に元の信州善光寺に戻っています。今のご本尊は分身だそうです。(ウィキペディアより)
岐阜市と言えば金華山の岐阜城ですね。いつ来てもワクワクします。
横断幕でハッキリ名前がわかります。正式には善光寺安乗院だそうですが。
手水舎の向こうでお不動様が厳しいお顔でお出迎えです。
こちらでお参りさせていただきました。
水子・子育て地蔵尊
大黒天様
末光稲荷大神
弘法堂
扁額が輝いています。
御朱印はこちらの納経所で直書きで3種類頂きました。
近所のお子様でしょうか、納経所の軒下に砂利の小石で上手にアンパンマンたちが描かれていました。
善光寺如来
不動明王
弘法大師。ありがとうございました。
伊奈波神社さんに参拝した後こちらの善光寺さんへ。
不動尊のある格好いい手水舎ですね✨
お参りさせて頂きありがとうございます✨
不動明王の御朱印。
水子地蔵尊。
丁寧に祀られていますね🙏✨
重要文化財に指定されているそうです(*^^*)
由緒書き。
信長公の時代、信濃の善光寺のご本尊さまがこの地に祀られていたそうです。真言宗醍醐派の寺院。ということは昨日の国分寺(高野山真言宗準別格本山)から平成〜令和に渡って弘法大師さまとご一緒したことになりますね。嬉しい。受付に「御朱印はスタンプ集めではありませんので日付は記入していません」との張り紙が。令和初日の日付を頂けなかったのは残念でしたが、書いて下さった方がとてもにこやかで丁寧に手渡して下さったので、こちらはこういう信念を持って対応していらっしゃるんだと清々しい気持ちになりました。笑顔って大切ですね。
手水舎
水掛・願掛不動尊
水子・子育て地蔵尊
大黒天
弘法堂
末光稲荷大神
岐阜駅で号外が配られていました。
伊奈波神社の隣にあります。伊奈波神社には何度か行きましたがこちらは初めてです。
もう夕暮れで帰宅時間が迫っていたので少しだけ見せてもらいました。
とても立派なお寺です。
遠くからでないとカメラに収まりきらないくらい立派。
手水舎・・・まっ白すぎる(笑)
<北向水掛不動尊>北向きにお祀りされているお不動様。救われしゃもじがたくさん奉納されています。
賽銭箱の前に立って上を見上げるとこんな感じ。
詳しくないのでわかりませんが、織田家、徳川家、豊臣家の関係の家紋ですか?
すごそうなことは分かるけど、何がすごいかわからないのが残念(笑)
<末光稲荷>岐阜善光寺の守り神として大切にされているそうです。
#善光寺安乗院 #岐阜善光寺
ご本尊という表現は見ないが、アミダ三尊仏を祀る。
#阿弥陀三尊仏 #善光寺如来
写真の御朱印の墨書きは善光寺如来とある。パンフによれば、善光寺如来はアミダ三尊仏の通称。
僕は前年に初めての善光寺(長野県長野市)詣でを果たしたのだが、それを経てもなお、善光寺如来という言葉の意味を勘違いしていた。単に善光寺に敬意を払って、あちらのアミダ如来をこう呼んでいるだけだと思っていた。
そのような側面ももしかしたら少しはあるのかもしれないが、本質を衝いていない。どちらかといえば、信仰よりも美術史的な意味合いの方が強いようだ。
善光寺如来は、アミダ如来、観音菩薩、勢至菩薩の3尊が1つの光背の前に立つ形式をいう。ここ岐阜善光寺のパンフにも書いてある。講学的には善光寺式三尊像と称するらしい。
なお、三尊像が1つの光背を共有する作例自体は他にもある。一光三尊(いっこうさんぞん)といって、古くは3~6世紀ごろの中国に見られ、日本では飛鳥時代に多いとのことだ。
先日、山県市のお寺に参拝し美濃新四国の事を知り、霊場巡りをしようと早速第1番 岐阜善光寺にお参りしました。 真言宗醍醐寺派 ご本尊は善光寺如来
美濃新四国は、1864年の霊場一覧と地図が残っていて、それ以前に開かれたようですが、正確な年次は不詳です。
太平洋戦争などで戦後荒廃していましたが、1973年、弘法大師生誕1200年を機に復興に着手し、1975年に復興しました。
岐阜善光寺は、武田信玄によって信州の善光寺から甲府へ移されていたご本尊を、織田信長が1582年この地に移されたのを期に創建されました。
信長が本能寺の変で討たれると岐阜より遍座されますが、信長の嫡孫秀信が「信州の善光寺と同じようにお祀りするように」とお祀りされています。
また、イベント時には、人型ロボット ペッパーが登場し案内役を務めています。
私も、以前ご開帳の時にお会い(?)してビックリ😆しました。流ちょうな言葉で説明を受けました。
寺号標 本堂 7月21日にキュウリ封じがあるようで、大きなキュウリのインパクト スゴイ!
手水 北向きお不動様に水をかけてお参り
本堂 1891年の濃尾地震により本堂は全焼し、1921年に再建されました
御朱印 バインダーに綴じていきます
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