ほくとぐう
北斗宮福岡県 下鴨生駅
参拝自由
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | |||
駐車場 | 社務所裏にあり |
嘉麻市に鎮座されております北斗宮。
前回訪れた時は近くの保育園?幼稚園?こども園?のちびっこたちが大勢で参拝?神事?されてたので参拝を見送った神社様です。
と言うか、この日は悉く御朱印のご縁が無く、最後に寄った神社でした。が、宮司さんの家の呼び鈴を押しても反応が無く、「なんて日だぁー!」と思いながらシボょくれて帰ろうとしたら、軽自動車が神社に入った。この日唯一のご縁を頂き、御朱印を頂きました。
これ使って下さい。とボールペンも頂きました。
ありがとうございました。
ついにこの日がやってきました…
記念すべき1000件目の投稿は…!!!!嘉麻市大隈町の北斗宮だぁぁぁぁぁぁぁあ!!!!
天智天皇様の御代(671年)創建とされるかなり歴史を持つ古社で、この地に住んでいた若木連の一族が北斗星への信仰から建てた神社とされています。
北斗七星への信仰は道教を基盤に日本に伝わってきており、妙見信仰でかなり認知度が高まりましたが、その中でも最古レベルではないでしょうか。
《一の鳥居と社号碑》
この「筑前一乃宮」は令制国時代のものとは違い、戦国時代に黒田長政公が筑前福岡藩主になってたから歴代藩主が崇敬した「筑前十五社」の一宮という意味らしいです。
《手水舎》
消毒液だと思ってポンプを押したらガッツリハンドソープ!!?
手水舎の水で洗い流しました…
《由緒書き》
明治の近代社格制度では県社に列格しており、福岡県神社庁の認可の下で現社名を名乗っているので、かなり崇敬が高かったみたいですね。
《二の鳥居と神門》
なんと急な階段が現れました。遥拝所も設置されてますね。
《階段》
100段くらいあるそうです。雨降ったあとなのでめっちゃ注意して登りました。滑ったら一貫の終わりです…
《表参道》
なかなかに良い雰囲気です。
《拝殿》🙏
外拝殿と本殿の接続式で古い形態を取ってます。
《拝殿内部》
多くの絵馬が掲げられています。しかも面白いのがどの方位から見ても絵が見られるように設置されています。
また、真ん中にある「稜威輝」とか「大神稜威赫灼尊哉」という称詞もあります。御祭神が天御中主神さまなので川面凡児先生の影響はあるかもしれません。
《公式キャラ・七星》
👁チェックポイント‼️
なんと自作小説投稿サイト「小説家になろう」で令和2年に連載されていた『貴方にもご利益がありますように』という作品に当社が登場し、その神様としてこのキャラクターが登場するみたいです。元々から地域活性化のためのプロジェクトとして行われていたようです。
ちなみにキャラデザは『この美術部には問題がある!』の作者で『リコリス・リコイル』のキャラデザを担当されたいみぎむる先生です。
《絵馬》
もう絵馬掛けにかかっているのを見て一目惚れてしまい受けてきました。
北斗七星のデザインもですが、社紋が「七つ星」なのが素敵ですよね。
御朱印をいただこうと授与所近くでいると宮司さんがそれを察して授与所を開けてくれました。お心遣い本当にありがとうございました🙏
すごく丁寧な宮司さんで御朱印も心込めて書いてくださりました。
階段が長くお掃除とか大変そうですが綺麗にされてました。
夏休み 映画で実家の近くの神社って感じ😉
由緒
階段長いから上まで行けない方がここで参拝?
長〜い階段😅
祭殿内部の絵
祭殿内部の絵2
祭殿内部の絵3
祭殿内部の絵4
狛犬
狛犬2
本殿
階段からの
由緒
名称 | 北斗宮 |
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読み方 | ほくとぐう |
参拝時間 | 参拝自由 |
参拝にかかる時間 | 約15分 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0948-57-0701 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
絵馬 | あり |
SNS |
ご祭神 | 天之御中主神 伊邪那岐神 伊邪那美神 |
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創建時代 | 天智天皇九年(671年) |
創始者 | 若木連 |
本殿 | 三間社流造 |
体験 | 祈祷おみくじ絵馬御朱印お守り祭りアニメなどサブカル武将・サムライ伝説 |
概要 | 北斗宮(ほくとぐう)は、福岡県嘉麻市にある神社。旧社格は県社。 |
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歴史 | 由緒[編集] 天智天皇9年(671年)に若木連(わかぎのむらじ)という人物が北斗大明神(北斗七星)を祀るため建立したとされる。 天正6年(1578年)、龍造寺隆信と大友宗麟との戦いで社殿を焼失。 2年後の天正8年(1580年)に秋月種実が社殿を再建する。 慶長5年(1600年)に黒田長政が筑前福岡藩主となってからは筑前十五神の一宮として歴代の藩主から手厚く保護された。 明治4年(1871年)、社名を「下益神社」と改称。 昭和42年(1967年)に現在の社名「北斗宮」に改称する。 |
引用元情報 | 「北斗宮」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%8C%97%E6%96%97%E5%AE%AE&oldid=83476828 |
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