三津厳島神社の日常(491回目)|愛媛県三津駅
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投稿日:2024年10月01日(火)
秋祭りの季節がやってまいりました。
10月朔日(ついたち)の言葉は秋祭りに奉納される古三津地区の「虎舞」を取り上げました。
今からさかのぼる事400年ほど前の1597(慶長2)年、豊臣秀吉の第二回朝鮮出兵に、当時伊予郡松前(まさき)城主の加藤嘉明(かとうよしあき)が出征しました。
そして翌年春、朝鮮の山中で虎狩りを行い、その頭と皮を秀吉に献上して大変喜ばれたという言い伝えが虎舞の元になっており、
古文書の「加藤家文書」にも記録が残っています。
虎狩りに参加した兵士に古三津出身者が多く、その勇敢さを虎退治の舞で表現したのが「虎舞」です。
毎年秋祭りの宮出し前に露払いとして奉納されます。
黄色の胴体に虎特有の茶色の縞が描かれた虎が、笛や太鼓の音色に乗って所狭しと踊り狂うなか、最後は勢子が鉄砲をもって登場し、死闘の末に虎を退治します。
松前城主だった加藤嘉明はその後、東軍の一員として「関ヶ原の戦い」や地元「苅谷畑(かりやばた)の戦い」で西軍を撃破した功績で徳川家康から松山城築城の許可を得て、初代松山城主となります。
そしてその時「勝山」と呼ばれていた地名を「松山」と改めたのが、松山の始まりです。
当社も「苅屋畑の戦い」で社殿が戦火にあって消失、現在地に社殿を建立しました。
今月の御朱印は虎舞の虎をモチーフした「切り絵御朱印」です。
黒字に金色の印を押しました。
迫力ある虎に元気をもらえそうです。
無事を祈って「いってらっしゃい」 愛情をこめて「おかえりなさい」
今日も良い一日を!
10月朔日(ついたち)の言葉は秋祭りに奉納される古三津地区の「虎舞」を取り上げました。
今からさかのぼる事400年ほど前の1597(慶長2)年、豊臣秀吉の第二回朝鮮出兵に、当時伊予郡松前(まさき)城主の加藤嘉明(かとうよしあき)が出征しました。
そして翌年春、朝鮮の山中で虎狩りを行い、その頭と皮を秀吉に献上して大変喜ばれたという言い伝えが虎舞の元になっており、
古文書の「加藤家文書」にも記録が残っています。
虎狩りに参加した兵士に古三津出身者が多く、その勇敢さを虎退治の舞で表現したのが「虎舞」です。
毎年秋祭りの宮出し前に露払いとして奉納されます。
黄色の胴体に虎特有の茶色の縞が描かれた虎が、笛や太鼓の音色に乗って所狭しと踊り狂うなか、最後は勢子が鉄砲をもって登場し、死闘の末に虎を退治します。
松前城主だった加藤嘉明はその後、東軍の一員として「関ヶ原の戦い」や地元「苅谷畑(かりやばた)の戦い」で西軍を撃破した功績で徳川家康から松山城築城の許可を得て、初代松山城主となります。
そしてその時「勝山」と呼ばれていた地名を「松山」と改めたのが、松山の始まりです。
当社も「苅屋畑の戦い」で社殿が戦火にあって消失、現在地に社殿を建立しました。
今月の御朱印は虎舞の虎をモチーフした「切り絵御朱印」です。
黒字に金色の印を押しました。
迫力ある虎に元気をもらえそうです。
無事を祈って「いってらっしゃい」 愛情をこめて「おかえりなさい」
今日も良い一日を!
すてき
投稿者のプロフィール
三津厳島神社579投稿
愛媛県松山市の港町「三津」に鎮座する、1400年以上の歴史を持つ神社です。全ての災いを防ぎ福を招く神様として、厄除け・交通安全・子育て・勝負の御利益を願われる方々等に広くご参拝いただいております。
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、情報を発信しようという気持ちになりますし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。
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