かつしかはちまんぐう
葛飾八幡宮のお参りの記録一覧(2ページ目)
京成沿線に住んでいたのでなじみのある町ですが地名の由来となった葛飾八幡様。
千葉方面をドライブする際にそばの千葉街道を通るも社務所の開いている時間に間に合わず一度もお詣りしたことがありませんでした。
今回は中山にある法華経寺に行く途中で寄るようにして時間内にお詣りしました。
さすがに平安時代からの東葛地域の八幡信仰の中心だっただけあり神仏習合の名残の随神門や鐘楼、天然記念物の千本公孫樹(千本いちょう)など見る箇所たくさんです。
また、境内に弓道場もあり凛々しい練習をお見かけしました。
子供の頃に昔話で聞いた八幡の藪知らずも近くにあり、不知森神社となっているのでこちらで御朱印を頂けます。
兼務されている六所神社さまと合わせて3種類を頂けますが、全て書き置きになります。
また、天然記念物の千本公孫樹に住むと言い伝えられている白蛇様のおみくじや白蛇守りなどもありました。
白蛇さまのおみくじ
東参道入口
神楽殿前の大絵馬説明
神楽殿大絵馬 ご祭神の息長帯姫命(神功皇后)が描かれています。
厳島社
御神輿
天満宮
尾上稲荷
拝殿
千本公孫樹(千本いちょう)
本殿
八坂社
源頼朝公の駒掛石
神仏習合の名残 鐘楼
千葉県市川市八幡に鎮座する八幡宮のひとつで、「八幡」の町名の由来となる場所である。
寛平年間(889〜898)に宇多天皇の勅命により石清水八幡宮を勧請して建立されたと伝えられ、下総国総鎮守として崇敬されている。
武神であることから平将門、源頼朝、太田道灌、徳川家康、下総国守護千葉氏、上総氏、安房国の大名里見氏など関東武士や、令制国の房総三国(下総国・上総国・安房国)からの信仰を集め敬われた。また、永井荷風、幸田文、幸田露伴、伊藤左千夫、宗左近、大岡信など多くの文化人に拝され、親しまれた神社として知られる。
境内末社として、八幡の藪知らず(八幡不知森)で知られる不知森神社がある。
本日最後の神社です。下総国の総鎮守で大きく、一の鳥居から二の鳥居まで線路を挟んで道路になっており、二の鳥居からまだ参道は長く続き随神門、神門があります。明治維新前まではこの随神門は上野寛永寺の末寺の仁王門だったとのこと。駐車場も駅外界にも拘わらず専用のものがあり、便利です。境内は広いにもかかわらず境内社が調度よく配置されていました。社殿横には神社のシンボル的な大銀杏の大木が目を引きます。まだ葉は色づいていませんが今月末か来月には見頃になっているでしょう。混むのが嫌で一番いい時期を外して参拝しているので残念です。社務所で書置きの御朱印を拝受。
社号標
一の鳥居
由緒書
改耕碑
踏切を挟んで二の鳥居
二の鳥居前の灯籠
参道 両脇は一方通行の道路になっています
隋神門
隋神門裏
随神門説明書
随神門前の狛犬
神門
由緒書
拝殿
本殿
蹲(つくばい)の水
手水舎
明和五年奉納の灯籠
鐘楼
力石
源頼朝公ゆかりの駒どめの石
境内社 厳島社鳥居
境内社 厳島社
蛇の石像
神輿殿 江戸時代の作成と思われる神輿が三基
神輿
境内社 葛飾天満宮鳥居
境内社 葛飾天満宮社号標
境内社 葛飾天満宮
境内社 尾上稲荷社鳥居
境内社 尾上稲荷社
眷属の狐
江戸城旧石垣刻印石
道祖神
境内社 八坂社鳥居
境内社 八坂社
狛犬
道祖神
境内社 浅間社
千本公孫樹
大石灯籠
神楽殿
神楽殿大絵馬 幕末に奉納
本八幡駅の名前からして何かあるに違いない…
その通りの立派な神社。
御神氣が強く
鳥居をくぐると鳥肌が立つ程で
再訪したいと思う程の立派八幡宮でした。
主祭神は以下にあげてますが
タケハヤスサノオ、宗像三女神、菅原道真公、
コノハナサクヤヒメ…不二塚、江戸城の石等の摂、末社等もありました。
本八幡という知名が残るくらい歴史的に
重要な社だという事ですよね?
井戸水があり、お水取りも出来ます。
ご祭神
誉田別命 ほむだわけのみこと
(応神天皇 おうじんてんのう)
息長帯姫命 おきながたらしひめのみこと
(神功皇后 じんぐうこうごう)
玉依姫命 たまよりひめのみこと
武運の神様として源頼朝や徳川家康から崇敬されていました。また、2柱の女神は安産と子供の健やかな成長をサポートしていただけます。
ご神木の千本公孫樹は、推定樹齢1200年で国の天然記念物になっています。
参道
随神門
神門
拝殿
提灯
本殿
鐘楼
千本公孫樹
浅間社
八坂社
道祖神
尾上稲荷神社
葛飾天満宮
厳島神社
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