とよかわかく みょうごんじ|曹洞宗|円福山
豊川閣 妙厳寺のお参りの記録一覧(7ページ目)
ふらっと豊川に行った際にお参りしました。
書き置きで拝受しました。
御朱印「本尊千手観音菩薩」です
書き置きで拝受しました。
御朱印「大聖不動明王」です。
豊川稲荷は、愛知県豊川市にある曹洞宗の寺院。寺号は妙厳寺(みょうごんじ)。正式名称は「圓福山豐川閣妙嚴寺」。本尊は千手観音。境内鎮守として秘仏「豊川吒枳尼真天(だきにしんてん)」を祀るが、日本の神仏習合により、インドの古代民間信仰由来の女神・吒枳尼天(だきにてん)が、稲荷信仰の稲荷神と同一視された結果、「豊川稲荷」の名称が一般化した。このため、神社に混じって「日本三大稲荷」の一つに数えられることがある。参拝客は年間500万人を数える。
創建は室町時代の1441年、開山は曹洞宗法王派(寒巌派)の東海義易、戦国時代に今川義元が伽藍を整備。当時は豊川近くの円福ヶ丘という高台にあったが、江戸中期までに現在地に移転。
寺伝によると、鎌倉時代の禅僧であり、曹洞宗法王派の法祖である寒巌義尹が、1267年中国・宋での修行後帰国の折、海上で吒枳尼天の加護を受け、帰国後自ら霊神の形像を刻み、護法神とした。その後、寒巌の6代目の法孫である東海義易が妙厳寺創建に際し、寒巌自作の吒枳尼天像を山門の鎮守として祀ったとされる。
戦国時代には、今川義元の加護、徳川家康の外護を受け、志摩の九鬼水軍率いる九鬼義隆の帰依を受けた。
江戸時代には、大岡忠相や渡辺崋山からの信仰を受け、1828年には大岡邸の一角で豊川稲荷・江戸参詣所(現・東京別院)が創建された。
明治時代になり、神仏分離令で神仏区分の厳しい取り調べにあい、すぐに寺院鎮守の稲荷堂の存続は認められたが、たくさんあった境内の鳥居は撤去され、「豊川稲荷(大明神)」の呼称使用は禁じられた。
また、江戸時代に全国の寺社に吒枳尼天を勧請していた愛染寺(伏見稲荷本願所)が廃寺になり、明治以降は当寺が寺院への吒枳尼天勧請の中心となった。
当寺は、JR飯田線・豊川駅、近鉄線・豊川稲荷駅の北西200mの場所にある。200~300m四方のエリアが境内となっていて、古刹らしく木々が生い茂った中に、伽藍が点在している。
「究極の神仏習合」の最高峰の寺院をこの目で確かめたいと思い、名古屋までの新幹線を豊橋で途中下車して参拝。
参拝時は平日の午前中で、近所住民らしき人も、参拝者もぱらぱらとそれなりに人数がいた。
※旅行サイト<じゃらん>において、愛知県で1番人気がある(口コミ数が多い)寺院。
ちなみに、愛知県で寺社仏閣の人気トップ3は熱田神宮、豊川稲荷、大須観音。
境内入口の<総門>。入母屋造、唐破風付の四脚門。1884年建立。楼上に十六羅漢を祀る。
総門を入って参道を進むと右手にある<鎮守堂(龍天堂)>。昔の神楽殿を1930年に修築。
祭神は白山妙理大権現で、宗祖道元禅師の入宋に際し禅師を守護、以後曹洞宗寺院で守護神とされ祀られている。
さらに参道進んで右手にある<鐘楼堂>。1937年建立。梵鐘は戦時中に供出、戦後改めて鋳造。現在の梵鐘は、大みそかのNHK番組「ゆく年くる年」によく出ている。
参道正面にある<山門>。1536年に今川義元が寄進。当寺最古の建物。
山門にある<阿形仁王像>。
山門にある<吽形仁王像>。
参道の突き当りにある<瑞祥殿>。信者の接待用建物。2016年建立。
あれ?参道を正しく歩いたのに、なぜか本堂に着かない...?
参道の右手にある<最祥殿(書院)>。信者の接待用建物。1929年建立。
あれ?そう言えば、誰も自分と同じコースを歩いていない...?
人の流れを見て<総門>近くまで戻り、先ほどの参道の南側に並行して伸びる別の参道に向かう。まず参道のスタート地点に、寺院なのに<一の鳥居>?しかも、狛犬ではなく狛狐?!
こちらが<狛狐>。凛々しい風貌、イカツイ目つき、ややマッチョ系。
参道を進むと左手に<寺宝館>。寺所蔵の文化財を保存。
さらに参道を進むと右手に<漱水舎>。
参道正面にある<二の鳥居>?
<二の鳥居>をくぐって右手にある、先ほども見た<瑞祥殿>。御朱印はこちら。
<二の鳥居>をくぐって右手にある<御札受処>。
お札受所の右隣にある<豊楽殿>。1824年建立。旧本殿の祈祷殿。
豊楽殿の右手にある<みこし殿>。
参道が徐々に上がっていき、突き当りにある<大本殿>。1908年着工、1930年竣工。総欅造、入母屋造、妻入二層屋根。吒枳尼天を祀る。
寒巌義尹禅師が感得し、自作の端巌妙相をそなえる豊川吒枳尼天「豊川いなり」の本体を祀る。
間口20m、他赤さ31m、奥行39mの立派な建物。大本殿前を守護するのも<狛狐>。
大本殿の右側に、裏手の伽藍への入口がある。
通路にはたくさんの幟が立っていて、他にはない独特の雰囲気を醸し出している。
<禅堂(万燈堂;まんどうどう)>。1862年建立。
豊臣秀吉の持念仏と伝わる不動明王像と文殊菩薩像が祀られている。
禅堂の右隣にある、<宇賀神>を祀る堂宇。
宇賀神を祀る堂宇の右隣にある<弘法堂>。
弘法堂の右隣にある<大黒堂>。
大国堂の右側に奥への道がある。<霊狐塚(れいこづか)>への入口。
<霊狐塚>への参道。幟と狛狐の数がさらに増える。
<霊狐塚>の突き当り。最後の鳥居から。
おびただしい数の<狐さん>。1000体以上あるとのこと。
インスタが流行ってからは、その目的でも人気のスポットらしい。
大黒堂付近まで戻って、巨木に囲まれた<奥の院>。1814年の建物。
奥の院の隣にある<納付堂>。
奥の院への参道に建つ<景雲門>。1858年の建物で、旧奥の院拝殿。
奥の院までの参道脇に建つ<三重塔>。
妙厳寺庭園と大本殿。
妙厳寺庭園は、江戸時代に造園された築山泉水式庭園。
愛知県生まれながら、まだ一度も行った事がなかった豊川稲荷に参拝に行って来ました。平日だったこともあり、そんなには混んでませんでした。広くてきれいな境内でした。御朱印も4種類頂きました。
鳥居
狐
狐
豊川閣
銅製灯籠
大本殿の由緒書き
大本殿
狐
狐
納符堂
大黒天
案内図
由緒書き
本日は愛知県に在る東海三十六不動尊霊場で未だ参拝していない寺院を巡る事にしました。
先ずは、豊川市に在る第17番の円福山 豊川閣 妙厳寺で、曹洞宗の寺院です。本尊は千手観音。豊川稲荷と言った方が早いです。
稲荷(神社)だから鳥居があるが、お堂はどう見てもお寺なので「あれっ?」と感じるかもしれません。稲荷は境内にある鎮守なんですね。
創建は1441年、山門は1536年に今川義元の寄進によるものですが、他の堂は江戸時代後期以降に再建されたものです。
昭和5年に旧本堂を移築して奥の院としていますが、その奥には豊川稲荷で最も有名な狐像が一千体以上ある霊狐塚があります。(伏見稲荷の千本鳥居と同じく、願いが成就したお礼で狐像を寄進)
寺務所で納経帳に朱印を押印して戴きました。
尚、駐車場は沢山ありますが有料(500円位)です。
御朱印
石柱
総門
山門
阿形
吽形
鎮守堂
鐘楼
手水
鳥居
本堂
万燈堂(禅堂)
三重塔
弘法堂
景雲門
奥の院
霊狐塚
本家豊川稲荷へ訪問しました。キツネさんが沢山居るお寺さん。
東京別院へ伺ったのでこちらへ是非行ってみたいと…。
静岡の浜松へ行ったので回りました。
訪問した時はコロナの関係でまだ御朱印は書き置きでした。
書き置きの御朱印頂きました。
書き置きの御朱印頂きました。
書き置きの御朱印頂きました。
書き置きの御朱印頂きました。
キツネさんが沢山。
愛知県民でありながら今まで豊川稲荷にいったことが無いという。そういう方は意外に沢山いるみたい。私もそうなんですが。それ故に、豊川稲荷が神社さんだと思っている方がこれまた沢山いるみたい。
さぁ!それでは豊川ハイキング終点である初の豊川稲荷に let'sら go!
「いらっしゃい。おや?新参者だな。」
まずは参道を歩いてみましょう。
総門が見えてきました。
鎭守堂、又の名を龍天堂 旧神楽殿です。
鎭守堂内 祭神が白山妙理大権現さんです。
鐘楼堂
山門 天文5年(1536)に今川義元が寄進したそうな。
瀬水舎
豊楽殿 文政7年(1824)建立。旧本殿の祈祷殿
神輿殿
神輿殿内
本殿の扉
千本鳥居ならぬ千本幟
宝雲殿
禅堂(万燈堂)文久3年(1863)建立。
宇賀神堂
宇賀神堂内
弘法堂
弘法堂内
大黒堂 堂の前にある大黒天さんは「おさすり大黒天」といいます。
大黒堂内
ホトカミさんが嫌っているパワースポットへと入ります。
願いが叶ったら奉納するそうです。
こちらの岩のすき間に入っているお金を見つけて取り出し、家にお守りとして持って帰ったら大金持ちになれるとか。
ただし、叶ったあかつきには倍返し、いや百倍返しをしなくてはいけないそうです。
旧奥の院跡
景雲門
三重の塔
豊川稲荷はご利益半端ないそうです。
願い事が叶ったら御礼参りを忘れずに。でないと吒枳尼天さんにに祟られちゃうかもよ。
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