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とよかわかく みょうごんじ|曹洞宗円福山

豊川閣 妙厳寺のお参りの記録一覧
愛知県 豊川稲荷駅

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メギピッピ
メギピッピ
2023年05月24日(水)177投稿

ふらっと豊川に行った際にお参りしました。

豊川閣 妙厳寺の御朱印

書き置きで拝受しました。
御朱印「本尊千手観音菩薩」です

豊川閣 妙厳寺の御朱印

書き置きで拝受しました。
御朱印「大聖不動明王」です。

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惣一郎
惣一郎
2021年05月11日(火)1269投稿

豊川稲荷は、愛知県豊川市にある曹洞宗の寺院。寺号は妙厳寺(みょうごんじ)。正式名称は「圓福山豐川閣妙嚴寺」。本尊は千手観音。境内鎮守として秘仏「豊川吒枳尼真天(だきにしんてん)」を祀るが、日本の神仏習合により、インドの古代民間信仰由来の女神・吒枳尼天(だきにてん)が、稲荷信仰の稲荷神と同一視された結果、「豊川稲荷」の名称が一般化した。このため、神社に混じって「日本三大稲荷」の一つに数えられることがある。参拝客は年間500万人を数える。

創建は室町時代の1441年、開山は曹洞宗法王派(寒巌派)の東海義易、戦国時代に今川義元が伽藍を整備。当時は豊川近くの円福ヶ丘という高台にあったが、江戸中期までに現在地に移転。
寺伝によると、鎌倉時代の禅僧であり、曹洞宗法王派の法祖である寒巌義尹が、1267年中国・宋での修行後帰国の折、海上で吒枳尼天の加護を受け、帰国後自ら霊神の形像を刻み、護法神とした。その後、寒巌の6代目の法孫である東海義易が妙厳寺創建に際し、寒巌自作の吒枳尼天像を山門の鎮守として祀ったとされる。
戦国時代には、今川義元の加護、徳川家康の外護を受け、志摩の九鬼水軍率いる九鬼義隆の帰依を受けた。

江戸時代には、大岡忠相や渡辺崋山からの信仰を受け、1828年には大岡邸の一角で豊川稲荷・江戸参詣所(現・東京別院)が創建された。
明治時代になり、神仏分離令で神仏区分の厳しい取り調べにあい、すぐに寺院鎮守の稲荷堂の存続は認められたが、たくさんあった境内の鳥居は撤去され、「豊川稲荷(大明神)」の呼称使用は禁じられた。
また、江戸時代に全国の寺社に吒枳尼天を勧請していた愛染寺(伏見稲荷本願所)が廃寺になり、明治以降は当寺が寺院への吒枳尼天勧請の中心となった。

当寺は、JR飯田線・豊川駅、近鉄線・豊川稲荷駅の北西200mの場所にある。200~300m四方のエリアが境内となっていて、古刹らしく木々が生い茂った中に、伽藍が点在している。

「究極の神仏習合」の最高峰の寺院をこの目で確かめたいと思い、名古屋までの新幹線を豊橋で途中下車して参拝。
参拝時は平日の午前中で、近所住民らしき人も、参拝者もぱらぱらとそれなりに人数がいた。

※旅行サイト<じゃらん>において、愛知県で1番人気がある(口コミ数が多い)寺院。
ちなみに、愛知県で寺社仏閣の人気トップ3は熱田神宮、豊川稲荷、大須観音。

豊川閣 妙厳寺の山門・神門

境内入口の<総門>。入母屋造、唐破風付の四脚門。1884年建立。楼上に十六羅漢を祀る。

豊川閣 妙厳寺のその他建物

総門を入って参道を進むと右手にある<鎮守堂(龍天堂)>。昔の神楽殿を1930年に修築。
祭神は白山妙理大権現で、宗祖道元禅師の入宋に際し禅師を守護、以後曹洞宗寺院で守護神とされ祀られている。

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