とよかわかく みょうごんじ|曹洞宗|円福山
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豊川稲荷は、愛知県豊川市にある曹洞宗の寺院。寺号は妙厳寺(みょうごんじ)。正式名称は「圓福山豐川閣妙嚴寺」。本尊は千手観音。境内鎮守として秘仏「豊川吒枳尼真天(だきにしんてん)」を祀るが、日本の神仏習合により、インドの古代民間信仰由来の女神・吒枳尼天(だきにてん)が、稲荷信仰の稲荷神と同一視された結果、「豊川稲荷」の名称が一般化した。このため、神社に混じって「日本三大稲荷」の一つに数えられることがある。参拝客は年間500万人を数える。
創建は室町時代の1441年、開山は曹洞宗法王派(寒巌派)の東海義易、戦国時代に今川義元が伽藍を整備。当時は豊川近くの円福ヶ丘という高台にあったが、江戸中期までに現在地に移転。
寺伝によると、鎌倉時代の禅僧であり、曹洞宗法王派の法祖である寒巌義尹が、1267年中国・宋での修行後帰国の折、海上で吒枳尼天の加護を受け、帰国後自ら霊神の形像を刻み、護法神とした。その後、寒巌の6代目の法孫である東海義易が妙厳寺創建に際し、寒巌自作の吒枳尼天像を山門の鎮守として祀ったとされる。
戦国時代には、今川義元の加護、徳川家康の外護を受け、志摩の九鬼水軍率いる九鬼義隆の帰依を受けた。
江戸時代には、大岡忠相や渡辺崋山からの信仰を受け、1828年には大岡邸の一角で豊川稲荷・江戸参詣所(現・東京別院)が創建された。
明治時代になり、神仏分離令で神仏区分の厳しい取り調べにあい、すぐに寺院鎮守の稲荷堂の存続は認められたが、たくさんあった境内の鳥居は撤去され、「豊川稲荷(大明神)」の呼称使用は禁じられた。
また、江戸時代に全国の寺社に吒枳尼天を勧請していた愛染寺(伏見稲荷本願所)が廃寺になり、明治以降は当寺が寺院への吒枳尼天勧請の中心となった。
当寺は、JR飯田線・豊川駅、近鉄線・豊川稲荷駅の北西200mの場所にある。200~300m四方のエリアが境内となっていて、古刹らしく木々が生い茂った中に、伽藍が点在している。
「究極の神仏習合」の最高峰の寺院をこの目で確かめたいと思い、名古屋までの新幹線を豊橋で途中下車して参拝。
参拝時は平日の午前中で、近所住民らしき人も、参拝者もぱらぱらとそれなりに人数がいた。
※旅行サイト<じゃらん>において、愛知県で1番人気がある(口コミ数が多い)寺院。
ちなみに、愛知県で寺社仏閣の人気トップ3は熱田神宮、豊川稲荷、大須観音。

境内入口の<総門>。入母屋造、唐破風付の四脚門。1884年建立。楼上に十六羅漢を祀る。

総門を入って参道を進むと右手にある<鎮守堂(龍天堂)>。昔の神楽殿を1930年に修築。
祭神は白山妙理大権現で、宗祖道元禅師の入宋に際し禅師を守護、以後曹洞宗寺院で守護神とされ祀られている。



本日は愛知県に在る東海三十六不動尊霊場で未だ参拝していない寺院を巡る事にしました。
先ずは、豊川市に在る第17番の円福山 豊川閣 妙厳寺で、曹洞宗の寺院です。本尊は千手観音。豊川稲荷と言った方が早いです。
稲荷(神社)だから鳥居があるが、お堂はどう見てもお寺なので「あれっ?」と感じるかもしれません。稲荷は境内にある鎮守なんですね。
創建は1441年、山門は1536年に今川義元の寄進によるものですが、他の堂は江戸時代後期以降に再建されたものです。
昭和5年に旧本堂を移築して奥の院としていますが、その奥には豊川稲荷で最も有名な狐像が一千体以上ある霊狐塚があります。(伏見稲荷の千本鳥居と同じく、願いが成就したお礼で狐像を寄進)
寺務所で納経帳に朱印を押印して戴きました。
尚、駐車場は沢山ありますが有料(500円位)です。




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