ばんしょうじ
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楽しみ方万松寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年11月08日(土) 16時55分36秒
参拝:2025年11月吉日
天文九年(一五四〇)、尾張一円を領していた古渡城主、織田備後守信秀公(織田信長公の父)が、伯父の大雲永瑞大和尚(瀬戸市赤津・雲興寺七世)を迎え、織田家の菩提寺として建立しました。
正式の山号寺号は「亀嶽林 萬松寺」。
創建時の場所は名古屋市中区錦と丸の内二、三丁目にまたがった場所にあり大殿を中心に七堂伽藍の備わった一大寺院で、寺域は約五万五千坪にも及びました。
慶長十五年(一六一〇)、名古屋城築城にあたって、徳川家康公の命により現在の地に移転。
境内にあった桜天神はその地に残りました。
当時の寺域は二万二千三百九坪の広さがありましたが、大正元年(一九一二)、三十七世大円覚典和尚がその大部分を開放し、大須を名古屋の大繁華街としました。
昭和二十年三月十二日の名古屋大空襲により大須一円が焦土と化し万松寺もその運命を共にしましたが、万松寺通り、新天地通りなどの商店街と相互反映を図り復興し、現在も多くの方にご参拝頂いております。
〜公式サイトより一部抜粋〜
休日ということもあり、万松寺通りは、大変賑わっており混雑していました。思ったより、こじんまりとまとまった地域に位置していました😀
正式の山号寺号は「亀嶽林 萬松寺」。
創建時の場所は名古屋市中区錦と丸の内二、三丁目にまたがった場所にあり大殿を中心に七堂伽藍の備わった一大寺院で、寺域は約五万五千坪にも及びました。
慶長十五年(一六一〇)、名古屋城築城にあたって、徳川家康公の命により現在の地に移転。
境内にあった桜天神はその地に残りました。
当時の寺域は二万二千三百九坪の広さがありましたが、大正元年(一九一二)、三十七世大円覚典和尚がその大部分を開放し、大須を名古屋の大繁華街としました。
昭和二十年三月十二日の名古屋大空襲により大須一円が焦土と化し万松寺もその運命を共にしましたが、万松寺通り、新天地通りなどの商店街と相互反映を図り復興し、現在も多くの方にご参拝頂いております。
〜公式サイトより一部抜粋〜
休日ということもあり、万松寺通りは、大変賑わっており混雑していました。思ったより、こじんまりとまとまった地域に位置していました😀

案内板

不動堂①
御立体の石像の不動明王を祀ってあります
御立体の石像の不動明王を祀ってあります

不動堂②

祈祷処
ここで御朱印を授与できます
ここで御朱印を授与できます

稲荷堂
慶長15年(1610)万松寺が、現在の大須の地に移された際、移転先の小林城内にお祀りされていた白雪稲荷を譲り受け、鎮守とした。
慶長15年(1610)万松寺が、現在の大須の地に移された際、移転先の小林城内にお祀りされていた白雪稲荷を譲り受け、鎮守とした。

信秀公墓碑
「尾張の虎」と呼ばれた猛将
「尾張の虎」と呼ばれた猛将

本堂
本尊は十一面観音菩薩
本尊は十一面観音菩薩

重軽地蔵

御深井観音
尾張徳川家初代藩主、徳川義直公の正室「春姫」様の守護仏
尾張徳川家初代藩主、徳川義直公の正室「春姫」様の守護仏

仏足石
お釈迦様の足跡を石に刻んだもの
お釈迦様の足跡を石に刻んだもの

白龍

『十一面観音』(直書き)

『身代不動産明王』(直書き)

『白雪稲荷』(直書き)
すてき
投稿者のプロフィール

みち217投稿
指定難病になったのをきっかけに御朱印集めを始めてみようと思いました。もともと城巡りや戦国武将好きでしたが、神社、仏閣は初心者であります。宜しくお願い致します!もっと読む
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