なごやじんじゃ
那古野神社愛知県 丸の内駅
御朱印•お守りの授与時間
9:00~17:00
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳にお書き入れ | |||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | なし |
名古屋東照宮のすぐ東に鎮座されています。
鳥居は東向きにに建っているのですが、鳥居をくぐってまっすぐ進むと名古屋東照宮の鳥居(西向き)に繋がっていました。
御祭神は須佐之男神だからなのか、拝殿はとても力強さを感じました。
御祭神
中扉 須佐之男神 櫛稲田姫神
左扉 兵主神
右扉 八柱神
<御由緒>~パンフレットより~
当社は、醍醐天皇の御代、延喜11年(911年)3月16日に尾張国那古野庄(現在の中区三の丸)の地に勅により鎮祭されたと伝えられている。
当時は天王社と称し、神仏習合により別当として真言宗亀尾山安養寺12坊(首班を天王坊)があった。
天文元年3月、織田信秀が那古野城主今川左馬之助氏豊を攻めた際当社社殿は兵火にかかることとなったが、後に信秀は社領若干を寄せ諸役を免じ、天文7年には社殿は再興された。
時は変わって文禄4年8月3日、豊臣秀吉は改めて社領348石余を寄せる。
徳川の治世となり、慶長15年の徳川家康の名古屋城築城にあたって、当社並びに若宮八幡社は郭内となるため、他地に遷座の際に築城奉行佐久間政実をして御籤をとらせ神慮を伺った。
その際、当社は不遷の御籤のみ再三に及んだため、御城鎮守の神・名古屋産土神として旧知に依然として祭られ、元和元年6月9日国主徳川義直によって改めて社領348石余を寄せ墨印地とした。
末社 福壽稲荷社
延喜十一年(九一一)の創建といわれ、素盞嗚尊を祭神とする。元は天王社又は亀尾天王社ともいい、城内三の丸にあった。慶長十五年(一六一〇)名古屋城築城の際、徳川家康が御神籤(おみくじ)で持って神意を伺ったところ、遷座不可と出たため、そのまま城内に留まり城の鎮護、名古屋の氏神として祀られた。明治九年(一八七六)、現在地に移され、明治三十二年那古野神社と改称された。(名古屋市教育委員会の掲示板「那古野神社」」より)
住所 | 愛知県名古屋市中区丸の内2-3-17 |
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行き方 | 名古屋地下鉄鶴舞線・桜通線「丸の内駅」から徒歩10分
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名称 | 那古野神社 |
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読み方 | なごやじんじゃ |
参拝時間 | 御朱印•お守りの授与時間
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参拝にかかる時間 | 約15分 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 052-231-4030 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご祭神 | 《主祭神》 須佐之男神 櫛稲田姫神 《配祀神》 兵主神 八柱神 |
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ご神体 | 不詳 |
創建時代 | 延喜十一年(911年) |
創始者 | 醍醐天皇 |
本殿 | 尾張造 |
ご由緒 | 延喜十一年(九一一)の創建といわれ、素盞嗚尊を祭神とする。元は天王社又は亀尾天王社ともいい、城内三の丸にあった。慶長十五年(一六一〇)名古屋城築城の際、徳川家康が御神籤(おみくじ)で持って神意を伺ったところ、遷座不可と出たため、そのまま城内に留まり城の鎮護、名古屋の氏神として祀られた。明治九年(一八七六)、現在地に移され、明治三十二年那古野神社と改称された。(名古屋市教育委員会の掲示板「那古野神社」」より) |
体験 | 祈祷お宮参り絵馬七五三御朱印お守り祭り武将・サムライ伝説夏詣 |
概要 | 那古野神社(なごやじんじゃ)は、愛知県名古屋市中区丸の内にある神社。旧社格は県社。西隣りに名古屋東照宮が鎮座している。 |
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歴史 | 歴史[編集] 創建は延喜11年(911年)3月16日、醍醐天皇の勅命で八王子社や若宮八幡社の隣に建立されたと伝わっている[1]。 津島牛頭天王社(つしまごずてんのうしゃ、現在の津島神社)を総本社とする天王社のひとつであった[1]。つまり創建時、当社の祭神は牛頭天王であった。 天文元年(1532年)、織田信秀が今川氏豊から那古野城を奪う際に合戦となり、それに巻き込まれて社殿を焼失したが[2]、天文8年(1540年)に信秀により再建されている[2]。また、後には別当寺である亀尾山安養寺(天王坊)も隣に建立されている。 文禄4年(1595年)、豊臣秀吉により社領348石が寄進される[3]。 慶...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通[編集] 名古屋市営地下鉄鶴舞線・桜通線:丸の内駅から徒歩で約10分。 名古屋市営バス:「名古屋駅」停留所より幹名駅1系統または名駅14系統に乗車。「外堀通」停留所下車、徒歩ですぐ。 |
行事 | 例祭[編集] 江戸時代では、例祭である天王祭は東照宮祭、若宮祭とならんで名古屋三大祭とされ、特に若宮祭とは同日であった(現在は別の日)ことから祇園祭と総称された。車楽(だんじり)2両と見舞車10数両が曳き出され賑やかなものであったが空襲で車楽などの大半が失われ[1]、現在では車楽1両が境内に飾られるほか、若宮八幡社への神輿渡御が行われる[2]。 また、5月16日の若宮祭では、かつて隣接していた若宮八幡社の山車1両と神輿が、当神社との間を往復する。 ^ 引用エラー: 無効な タグです。「tabi」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません ^ “那古野神社天王祭”...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「那古野神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%82%A3%E5%8F%A4%E9%87%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=100975211 |
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