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那古野神社ではいただけません
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なごやじんじゃ

那古野神社のお参りの記録(1回目)
愛知県丸の内駅

投稿日:2023年09月01日(金)
参拝:2023年8月吉日
名古屋東照宮のすぐ東に鎮座されています。

鳥居は東向きにに建っているのですが、鳥居をくぐってまっすぐ進むと名古屋東照宮の鳥居(西向き)に繋がっていました。
御祭神は須佐之男神だからなのか、拝殿はとても力強さを感じました。

御祭神
 中扉 須佐之男神 櫛稲田姫神
 左扉 兵主神
 右扉 八柱神

<御由緒>~パンフレットより~
当社は、醍醐天皇の御代、延喜11年(911年)3月16日に尾張国那古野庄(現在の中区三の丸)の地に勅により鎮祭されたと伝えられている。
当時は天王社と称し、神仏習合により別当として真言宗亀尾山安養寺12坊(首班を天王坊)があった。
天文元年3月、織田信秀が那古野城主今川左馬之助氏豊を攻めた際当社社殿は兵火にかかることとなったが、後に信秀は社領若干を寄せ諸役を免じ、天文7年には社殿は再興された。
時は変わって文禄4年8月3日、豊臣秀吉は改めて社領348石余を寄せる。
徳川の治世となり、慶長15年の徳川家康の名古屋城築城にあたって、当社並びに若宮八幡社は郭内となるため、他地に遷座の際に築城奉行佐久間政実をして御籤をとらせ神慮を伺った。
その際、当社は不遷の御籤のみ再三に及んだため、御城鎮守の神・名古屋産土神として旧知に依然として祭られ、元和元年6月9日国主徳川義直によって改めて社領348石余を寄せ墨印地とした。
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