かめだはちまんぐう
亀田八幡宮北海道 千代台駅
社務所:8:30~17:00
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楽しみ方
何度かお祭りに来たことはありましたが、お正月以外でちゃんとお参りしに来たのは初めてかもしれないです。ゆっくりお参りができてとても良かったので、また伺いたいと思います。
社務所に行き、御朱印をいただきました。
《25/11/25参拝》
御朱印

参拝記録⛩️
亀田稲荷神社(亀田八幡宮 境内社)
亀田八幡宮さんの境内社で、函館薬祖神社さんの隣に鎮座している亀田稲荷神社さん。
御祭神は宇迦之魂神(うがのみたまのかみ)
詳しいことは分からないので、もう少し調べて何かわかったら追加します🙇
社殿にかわいい狐さんがたくさんいて、いつもニヤニヤしながら写真を撮りまくるので、今日は違う目線で見るぞ!と思いながら、参拝。
結果はいつもと同じく、ニヤニヤしっぱなしでした🦊
ちなみに亀田八幡宮さんは、兼務社の御朱印はないので、ご注意を🙇
桔梗にある比遅里神社さんも兼務社ですが、こちらの御朱印もありません。
可愛い🦊
みんないるので、寂しくなさそう😊
函館薬祖神社さんと並んであるので、赤と白の色合いが綺麗です😊

参拝記録⛩️
亀田八幡宮
村橋直衛さんと狛犬さん(吽)
※ 戦と開拓、両方の最前線に立った“最後の武士”(もののふ)
旧御社殿の屋根
旧御社殿
1月1日 歳旦祭
2月吉日 祈念祭
6月30日 大祓
9月15日 例祭
11月吉日 新嘗祭
12月31日 除夜祭
明徳元年越前国敦賀郡気比神宮より、八幡大神の御分霊を同国笠原右源太が当地に奉遷。その後河野加賀守森幸が、右源太の孫左衛門をして本殿造営をしたが、松前藩祖信広との戦乱の為祭祀営繕不能となる。蝦夷地大乱の時、松前藩4代慶広が南部大澗より渡来の智楽院(藤山家の祖先)に七飯村藤山頂上で必勝祈願をさせ大勝し、その時アイヌ勢が七重浜の柏樹草木を軍勢と見て降参したのは八幡宮の加護と、藩祖信広の大弓半弓矢を奉納、正月6日の法楽神事を仰付け、七重浜の柏樹林の伐採を禁じ、松前藩の祈願所に定めた。慶長8年10月本殿拝殿を建立(現神輿殿・文久2年8月改築)。毎年祭祀料玄米25俵、各村の役納を仰付け大祭毎に代参。明治元年蝦夷統督清水谷侍従参拝。戊辰戦争では、幕軍榎本武揚・大鳥圭介等が当宮神殿で降伏を誓約。同2年8、12月侍従東久世通禧参拝。同9年郷社。同15年有栖川宮一品幟仁親王御真筆の奉納。同41年神饌幣帛料供進神社に指定。
歴史をもっと見る|| 名称 | 亀田八幡宮 |
|---|---|
| 読み方 | かめだはちまんぐう |
| 参拝時間 | 社務所:8:30~17:00 |
| 参拝にかかる時間 | 20分 |
| 参拝料 | なし |
| トイレ | あり1390 |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | なし |
| 電話番号 | 0138-41-5467 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| SNS |
| ご祭神 | 《主》誉田別命 |
|---|---|
| 創建時代 | 1390年(明徳元年) |
| 創始者 | 笠原右源太 |
| 本殿 | 流権現造 |
| ご由緒 | 明徳元年越前国敦賀郡気比神宮より、八幡大神の御分霊を同国笠原右源太が当地に奉遷。その後河野加賀守森幸が、右源太の孫左衛門をして本殿造営をしたが、松前藩祖信広との戦乱の為祭祀営繕不能となる。蝦夷地大乱の時、松前藩4代慶広が南部大澗より渡来の智楽院(藤山家の祖先)に七飯村藤山頂上で必勝祈願をさせ大勝し、その時アイヌ勢が七重浜の柏樹草木を軍勢と見て降参したのは八幡宮の加護と、藩祖信広の大弓半弓矢を奉納、正月6日の法楽神事を仰付け、七重浜の柏樹林の伐採を禁じ、松前藩の祈願所に定めた。慶長8年10月本殿拝殿を建立(現神輿殿・文久2年8月改築)。毎年祭祀料玄米25俵、各村の役納を仰付け大祭毎に代参。明治元年蝦夷統督清水谷侍従参拝。戊辰戦争では、幕軍榎本武揚・大鳥圭介等が当宮神殿で降伏を誓約。同2年8、12月侍従東久世通禧参拝。同9年郷社。同15年有栖川宮一品幟仁親王御真筆の奉納。同41年神饌幣帛料供進神社に指定。 |
| 体験 | 御朱印 |
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