かめだはちまんぐう
亀田八幡宮
北海道 千代台駅
亀田龍神社を後して、亀田八幡宮を目指しました。
箱館戦争の降伏式の舞台となったという亀田八幡宮。
五稜郭に向かう前に立ち寄らないわけにいきません。
一の鳥居には奉納年が刻まれていますが、弘化4丁未年となっています。
そう言われてもピンときませんが……1847年でした。
土方歳三が12歳、渋沢栄一が7歳のころです。
ちなみに奉納したのは箱館奉行だそうです。
函館まで来てもさすがに紅葉は終わったなと思っていたのですが、亀田八幡宮の境内に入るとまだかろうじて残っていました。
足元を見るとつぶれた銀杏もたくさんありましたが……マスクをつけていなかったら大変だったかもしれません。
参道の正面には立派な拝殿がありますが、脇には文久3年に改築されたという旧拝殿も残されています。
こちらには明治2年に境内が戦場となったときのものという生々しい弾痕も残っています。
まさに激動の箱館戦争の歴史遺産と言えます。
参拝後、社務所に行き御朱印をいただきました。
コロナの影響でしょうか、書置きとなっていましたが、ありがたく拝受しました。
旧拝殿
旧拝殿の内部
現拝殿
境内社 函館薬祖神社
境内社 亀田稲荷大明神
渡島半島南部⑯函館『亀田八幡宮』
広い厳かな雰囲気の境内には、本殿と旧拝殿があり、函館薬祖神社と亀田稲荷神社もお祀りされています。
ギュッと詰まった函館の街の中では珍しく、境内だけでなく駐車場もとても広いです。
例大祭の立派な御朱印を拝領して社務所を出ると、隣で御守をいただいていた男性に「御朱印はどうすればもらえるのだろう、、」と尋ねられました。どうもこちらの神社は御朱印帳を置いていないらしく、スタートに失敗してから困っていたご様子。立派な神社だったので少し意外でした。御朱印帳について大雑把に説明しましたが、予備の御朱印を持っていたら譲りたいくらいでした。その後が気になる参拝の思い出です。
季節感ある美しい手水でしたが、さっさと投稿しなかったので冬になってしまいました、、
例大祭〜書置きですが
力強い素敵な御朱印☆
『一ノ鳥居』弘化四年に函館奉行が奉納した大鳥居
明徳元年の御創祀と伝えられる。蝦夷地大乱の時、松前藩4代慶広が南部大澗より渡来の智楽院(藤山家の祖先)に七飯村藤山頂上で必勝祈願をさせ大勝し、その時アイヌ勢が七重浜の柏樹草木を軍勢と見て降参したのは八幡宮の加護として松前藩の祈願所に定めた。函館戦争では境内も戦場となり、幕軍榎本武揚・大鳥圭介等がこの八幡宮神殿で降伏の誓約を誓い戦争が終結した。
『村橋直衛』薩摩藩士~函館戦争の終結に尽力。日本初の低温発酵ビールを製造した「開拓使麦酒醸造所」の設立に携わった。
『狛犬さん』五稜郭や弁天台場を手掛けた石工の作品
『本殿』御祭神~誉田別命
『旧拝殿』文久三年に改築され現在も残されています。
こちらのモニュメントは『黒田清隆』
手水舎
二ノ鳥居
『亀田稲荷大明神』御祭神~宇迦之魂神
大小の狐様~微笑ましい家族みたいな様子でした
『函館薬祖神社』御祭神~少彦名神
夏詣神社巡りその2です。
こんな場所にこんな神社があったとは、といった印象ですが地元の方には馴染み深いのか思ったより沢山の方が参拝にいらしていました。
鳥居の正面に橋がかかっているのですが、変なところから侵入した為に渡ることはありませんでした。
手水舎は橋と鳥居の間にあります。
花手水の看板があってくれたお陰で見逃さずに済みました。有難い。
御朱印の初穂料はお気持ちでとのこと。
そういうパターンもあるのかとわたわたしてしまった経験不足者です。
鳥居です
花手水。とても綺麗です!鞠が浮いています
本堂の手前に風鈴。涼しげで素敵です
風鈴を挟んで奥に本堂。夏詣の旗を入れたかったのです
函館薬祖神社鳥居
亀田稲荷大明神鳥居
御朱印です。グラデーションかかった夏詣印と風鈴が可愛らしいですね…
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