いぐさはちまんぐう
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杉並区にある「井草八幡宮」へお参りしてきました。青梅街道沿いにどっしりと構える大きな大鳥居をくぐると、そこには都会の真ん中とは思えないほどの広大な境内が広がっています。まるで深い森の中に迷い込んだかのように巨木が青々と生い茂っており、歩くだけで初夏の清々しいパワーが体いっぱいに満ちていくようです。境内には、幸せそうな笑顔に包まれた「お宮参り」のご家族連れの姿も多く見られ、神社全体が温かく祝福に満ちたとても良い空気に包まれていました。
御朱印は書き置きのものを拝受いたしました。お送りしたお写真の通り、中央には力強く気品あふれる「井草八幡宮」の墨書きと大きな神印。背景には、先ほど手を合わせた美しい社殿の姿が繊細なイラストで描かれており、境内のあの緑豊かな空気感がそのまま伝わってくるようです。右上に添えられた「古地名 武蔵国遅ノ井村」の文字に、この地が重ねてきた悠久の歴史ロマンを感じつつ、本日「令和八年六月七日」の素晴らしい旅の幕開けにふさわしい最高の一枚となりました!


歴史
当宮の鎮座地は武蔵野台地の真っ只中にあり、当社の境内及び周辺の地域からは、石器時代の居住跡が数多く発見され、種種の土器や石器が発見されています。中でも縄文中期の釣手型土器(当社所蔵・重要文化財)は、儀式に用いられたもので、当社が古代の聖地の上に位置し、古くから崇めれて来たことがわかります。
文治五年(1189)源頼朝が奥州藤原氏征討の途次、当社に祈請しましたが、この年は干天続きで水が涸れていました。伝説では、頼朝自ら弓で地面に穴を穿ち、七度目にしてようやく水が湧き出しました。水の出があまりに遅かったことから、この湧水は「遅の井」と名付けられました。江戸時代までこの地は遅野井とも呼ばれ、当社は遅野井八幡宮と呼称されていました。
源頼朝の来参により、春日社をお祀りしていた当社は八幡宮としての形態を整えていきます。
文明九年(1477)には太田道灌が石神井城の豊島氏を攻めるに際して、当社に戦勝を祈願したと伝えられています。
江戸時代に至って三代将軍家光は朱印地(六石)を寄進し、以後江戸末期の蔓延元年(1860)に及んでいます。地頭の今川氏も深く当社を尊崇し、氏堯が寛文四年(1664)に改築した本殿は、現存する杉並区最古の木造建築物であり、拝殿の奥の覆殿に納められています。
明治の制では、村社と定められ、昭和三年郷社に、昭和四十一年には別表神社に列せられ今日に至っています。
十月の例祭日には、三年に一度神幸祭、五年に一度古式流鏑馬神事が行われます。
井草八幡宮の情報
| 住所 | 東京都杉並区善福寺1-33-1 |
|---|---|
| 行き方 |
井草八幡宮の基本情報
| 名称 | 井草八幡宮 |
|---|---|
| 読み方 | いぐさはちまんぐう |
| 通称 | 遅乃井八幡宮 |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| ホームページ | https://www.igusahachimangu.jp/index2.html |
| 絵馬 | あり |
詳細情報
| ご祭神 | 《主》応神天皇 |
|---|---|
| ご由緒 | 当宮の鎮座地は武蔵野台地の真っ只中にあり、当社の境内及び周辺の地域からは、石器時代の居住跡が数多く発見され、種種の土器や石器が発見されています。中でも縄文中期の釣手型土器(当社所蔵・重要文化財)は、儀式に用いられたもので、当社が古代の聖地の上に位置し、古くから崇めれて来たことがわかります。
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| 体験 |
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