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いぐさはちまんぐう

井草八幡宮の御由緒・歴史

東京都 上石神井駅

ご祭神《主》応神天皇
ご由緒

当宮の鎮座地は武蔵野台地の真っ只中にあり、当社の境内及び周辺の地域からは、石器時代の居住跡が数多く発見され、種種の土器や石器が発見されています。中でも縄文中期の釣手型土器(当社所蔵・重要文化財)は、儀式に用いられたもので、当社が古代の聖地の上に位置し、古くから崇めれて来たことがわかります。
 文治五年(1189)源頼朝が奥州藤原氏征討の途次、当社に祈請しましたが、この年は干天続きで水が涸れていました。伝説では、頼朝自ら弓で地面に穴を穿ち、七度目にしてようやく水が湧き出しました。水の出があまりに遅かったことから、この湧水は「遅の井」と名付けられました。江戸時代までこの地は遅野井とも呼ばれ、当社は遅野井八幡宮と呼称されていました。
 源頼朝の来参により、春日社をお祀りしていた当社は八幡宮としての形態を整えていきます。
 文明九年(1477)には太田道灌が石神井城の豊島氏を攻めるに際して、当社に戦勝を祈願したと伝えられています。
 江戸時代に至って三代将軍家光は朱印地(六石)を寄進し、以後江戸末期の蔓延元年(1860)に及んでいます。地頭の今川氏も深く当社を尊崇し、氏堯が寛文四年(1664)に改築した本殿は、現存する杉並区最古の木造建築物であり、拝殿の奥の覆殿に納められています。
 明治の制では、村社と定められ、昭和三年郷社に、昭和四十一年には別表神社に列せられ今日に至っています。
 十月の例祭日には、三年に一度神幸祭、五年に一度古式流鏑馬神事が行われます。

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