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四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2022年10月※井草八幡宮ではいただけません
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しし丸
2022年07月25日(月)
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以前、高円寺氷川神社に置いてあった冊子【のーんびり神社さんぽ】を見ての散歩、参拝も、残り二社。井草八幡宮と、荻窪八幡神社になり、二社巡りをしました。荻窪八幡神社を出て、青梅街道をひたすら真っ直ぐ!二つの神社は、ちょうど目の前にバス停があるので、あまり歩くのが…の場合には、バスが便利なようです。
とにかく広い!鳥居が大きい!大灯籠も名前の通り大きい!参道も長い!そしてどこも綺麗に手入れ整備されていて驚くほどです。桜門(随神門)も立派です。
駐車場の方に、富士塚も。
あまり時間がなかったので、またゆっくり伺おうと思いながら
取り敢えず、巡れる限り早足で…。
炎天下の平日は、人が殆どいなくて、両手を伸ばして気持ちの良い時間でしたl

源頼朝が奥州征伐の際に、戦勝祈願に立ち寄ったといわれている神社で、非公開ではありますが、杉並区最古の木造建築物である、極彩色の本殿があるそうです。

源頼朝お手植えの松が二本あったそうですが、一本は明治初年に、もう一本は昭和48年に枯れてしまったそうで、現在の松は、二代目とのこと。初代の松は、衝立として、回廊内に保管されていました。

オリジナルの御朱印帳を購入しました。表紙には頼朝が湧水を掘る姿が意匠に採用されているとのこと。(遅野井伝説図より)
通常は書き置きのみとのことですが、御朱印帳は、書き入れされていました。小さいサイズの御朱印帳です。

井草八幡宮(東京都)井草八幡宮(東京都)井草八幡宮(東京都)井草八幡宮の鳥居井草八幡宮(東京都)井草八幡宮(東京都)井草八幡宮(東京都)井草八幡宮の鳥居井草八幡宮(東京都)井草八幡宮(東京都)井草八幡宮(東京都)井草八幡宮の山門井草八幡宮(東京都)井草八幡宮の狛犬井草八幡宮(東京都)井草八幡宮(東京都)井草八幡宮(東京都)

源頼朝お手植えの松の根

井草八幡宮(東京都)

二代目の松

井草八幡宮(東京都)

二代目の松

井草八幡宮(東京都)井草八幡宮(東京都)

社務所左手に

井草八幡宮(東京都)

浅間神社(登れませんが、後方に富士塚、一旦出て駐車場脇に)

井草八幡宮(東京都)井草八幡宮(東京都)井草八幡宮(東京都)
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歴史

当宮の鎮座地は武蔵野台地の真っ只中にあり、当社の境内及び周辺の地域からは、石器時代の居住跡が数多く発見され、種種の土器や石器が発見されています。中でも縄文中期の釣手型土器(当社所蔵・重要文化財)は、儀式に用いられたもので、当社が古代の聖地の上に位置し、古くから崇めれて来たことがわかります。
 文治五年(1189)源頼朝が奥州藤原氏征討の途次、当社に祈請しましたが、この年は干天続きで水が涸れていました。伝説では、頼朝自ら弓で地面に穴を穿ち、七度目にしてようやく水が湧き出しました。水の出があまりに遅かったことから、この湧水は「遅の井」と名付けられました。江戸時代までこの地は遅野井とも呼ばれ、当社は遅野井八幡宮と呼称されていました。
 源頼朝の来参により、春日社をお祀りしていた当社は八幡宮としての形態を整えていきます。
 文明九年(1477)には太田道灌が石神井城の豊島氏を攻めるに際して、当社に戦勝を祈願したと伝えられています。
 江戸時代に至って三代将軍家光は朱印地(六石)を寄進し、以後江戸末期の蔓延元年(1860)に及んでいます。地頭の今川氏も深く当社を尊崇し、氏堯が寛文四年(1664)に改築した本殿は、現存する杉並区最古の木造建築物であり、拝殿の奥の覆殿に納められています。
 明治の制では、村社と定められ、昭和三年郷社に、昭和四十一年には別表神社に列せられ今日に至っています。
 十月の例祭日には、三年に一度神幸祭、五年に一度古式流鏑馬神事が行われます。

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井草八幡宮の基本情報

住所東京都杉並区善福寺1-33-1
行き方
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名称井草八幡宮
読み方いぐさはちまんぐう
通称遅乃井八幡宮
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
ホームページhttps://www.igusahachimangu.jp/index2.html
絵馬あり

詳細情報

ご祭神《主》応神天皇
ご由緒

当宮の鎮座地は武蔵野台地の真っ只中にあり、当社の境内及び周辺の地域からは、石器時代の居住跡が数多く発見され、種種の土器や石器が発見されています。中でも縄文中期の釣手型土器(当社所蔵・重要文化財)は、儀式に用いられたもので、当社が古代の聖地の上に位置し、古くから崇めれて来たことがわかります。
 文治五年(1189)源頼朝が奥州藤原氏征討の途次、当社に祈請しましたが、この年は干天続きで水が涸れていました。伝説では、頼朝自ら弓で地面に穴を穿ち、七度目にしてようやく水が湧き出しました。水の出があまりに遅かったことから、この湧水は「遅の井」と名付けられました。江戸時代までこの地は遅野井とも呼ばれ、当社は遅野井八幡宮と呼称されていました。
 源頼朝の来参により、春日社をお祀りしていた当社は八幡宮としての形態を整えていきます。
 文明九年(1477)には太田道灌が石神井城の豊島氏を攻めるに際して、当社に戦勝を祈願したと伝えられています。
 江戸時代に至って三代将軍家光は朱印地(六石)を寄進し、以後江戸末期の蔓延元年(1860)に及んでいます。地頭の今川氏も深く当社を尊崇し、氏堯が寛文四年(1664)に改築した本殿は、現存する杉並区最古の木造建築物であり、拝殿の奥の覆殿に納められています。
 明治の制では、村社と定められ、昭和三年郷社に、昭和四十一年には別表神社に列せられ今日に至っています。
 十月の例祭日には、三年に一度神幸祭、五年に一度古式流鏑馬神事が行われます。

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