あいぜんいん|高野山真言宗|普光山
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大阪府の寺社仏閣巡りの8箇所目は、7箇所目の堺市南区からほぼ北へ行った堺市北区に在る普光山 愛染院です。
高野山真言宗で、本尊は秘仏・聖観音。
この秘仏本尊・聖観音立像は市指定文化財で(文化財登録名は観音菩薩立像)、年に1日のみの8/10の千日会で開帳されます。
実は、7箇所目の観音院を最後に帰路に着く計画でしたが、観音院のご住職から「北区の愛染院も本日開帳しているので良かったら行ってみて下さい。」と勧められ、折角の機会なので参拝する事にしました。よって、こちらで今回の寺社仏閣巡りの最後となります。
奈良時代に行基によって開創されたと伝わる池浦観音寺が始まりと言われている。織田信長の兵火により荒廃。江戸時代に入り、近隣の村々や堺の町の人々、幕府の重臣だった秋元氏など多くの人々の力で再興され、現在の本堂は1652年に再建されたもので市指定文化財です。
通常ならば境内に車を停めれる様ですが、夕方から法要、オペラライブが行われるため境内乗入れ禁止。コインパーキングも見当たらず仕方無く路肩に(駐禁の標識無し)停めました。(ご住職にお聞きしたら少しの時間だったら大丈夫との事。)
山門をくぐると左側に手水、その先に護摩堂、正面に本堂ですが側面です。(山門は北向き、本堂は東向き)
護摩堂に行くとご住職がいらっしゃったので「観音院のご住職にご紹介を受け、参拝させて頂きました。」と告げるとニコニコしながら「開帳していますのでゆっくり観て行って下さい。」と。(如願寺、観音院、愛染院は真言宗寺院で開帳日も同じなためお付き合いが深く、皆さん笑顔が素敵な方々でした。)
それから本堂に上がらせて頂きました。須弥壇の中央の厨子に本尊・聖観音立像、本尊厨子の右側に愛染明王坐像、左側に不動明王立像。
本尊・聖観音立像は、大きめの丸顔、やや細身の体躯で、腰を左に捻っています。衣の彫りは浅めで平安時代後期の作。視線をやや右斜め前方に落とす姿から脇侍として制作された可能性もあるそうです。須弥壇右側には弘法大師像、かなり威厳のあるお顔で珍しいかなと。
最後に本堂横の納経所で御朱印を頂き、帰路に着きました。

御朱印

山門


手水

護摩堂

本堂

須弥壇

本尊・聖観音立像

弘法大師
境内・文化財
境内・文化財をもっと見る|| 名称 | 愛染院 |
|---|---|
| 読み方 | あいぜんいん |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 072-252-0795 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
| ご本尊 | 観音菩薩 |
|---|---|
| 山号 | 普光山 |
| 宗旨・宗派 | 高野山真言宗 |
| 開山・開基 | 行基 |
| 文化財 | 本堂・観音菩薩立像(市指定文化財) |
| ご由緒 | 愛染院は、かっては池浦観音寺とよばれ、、聖武天皇の勅願によって奈良時代の高僧行基が建立したと伝えられています。戦国時代には、兵火で一時荒廃しましたが、江戸時代になると、近隣の村々や堺の人々、幕府の重臣でこの地を治めていた秋元氏など、多くの人々の力で再興され、現在は真言宗に属しています。
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