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あいぜんいん|高野山真言宗普光山

愛染院
大阪府 北花田駅

名称愛染院
読み方あいぜんいん
御朱印なし
電話番号072-252-0795
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご本尊観音菩薩
山号普光山
宗旨・宗派高野山真言宗
開山・開基行基
文化財

本堂・観音菩薩立像(市指定文化財)

ご由緒

 愛染院は、かっては池浦観音寺とよばれ、、聖武天皇の勅願によって奈良時代の高僧行基が建立したと伝えられています。戦国時代には、兵火で一時荒廃しましたが、江戸時代になると、近隣の村々や堺の人々、幕府の重臣でこの地を治めていた秋元氏など、多くの人々の力で再興され、現在は真言宗に属しています。
 本堂は慶安5年(1652)に建築された間口三間の観音堂です。
本堂正面の梁に見られる彫刻や蟇股の端正なかたちは、江戸時代初めの建築様式の特徴をよく示しています。
 堂内の厨子には、観音菩薩立像が秘仏としてまつられています。毎年8月10日の千日会(この日に詣ると千日詣ったと同じ功徳があるといわれている日)に限って拝観することができます。穏やかな丸顔や浅い衣文の彫り、比較的薄い体の奥行きなど、平安時代後期の特徴をよくあらわしています。
 また、本堂の建築時期や後の修理時の施主や世話人・大工などの名前が記されている棟札が伝わっており、この地域の歴史を知る大変貴重な資料です。

Wikipediaからの引用

概要
愛染院(あいぜんいん)は、大阪府堺市北区にある真言宗系単立の寺院。かつては真言宗山階派勧修寺の末寺であった。
歴史
歴史[編集] 文献で確認されるのは、大正11年(1922年)に刊行された『大阪府全志』の「(前略)由緒は詳ならず。境内は五百参拾九坪を有し、本堂・庫裏・納家・薬醫門を存す。外に大師堂、地蔵堂、護摩堂あり。」という記載のみである[1]。 寺伝によると、天平年間(729年-749年)に、聖武天皇の勅願によって行基により開かれた花田池浦観音寺が前身とされる[1]。 天正年間(1573年-1593年)に織田信長の兵火によって諸堂が焼失。 慶安5年(1652年)に現在の位置に今の本堂が建立。 文化2年(1805年)に本堂の大修理が行われる。付近に領地があった秋元但馬守は当寺への信仰が篤く、大旦那[...Wikipediaで続きを読む
アクセス
交通[編集] 御堂筋線北花田駅から徒歩10分
行事
行事[編集] 振舞いぜんざい(節分) 千日会(8月10日)[1] ^ “門を開いた愛染院(2) - 雑記帖”. つーる・ど・堺. 2019年7月5日閲覧。
引用元情報愛染院 (堺市)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%84%9B%E6%9F%93%E9%99%A2%20%28%E5%A0%BA%E5%B8%82%29&oldid=89967392

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