ほうあんじなんぼう|高野山真言宗|志宜山
法案寺南坊大阪府 近鉄日本橋駅
7:30~16:00
摂津國八十八所第一番でお参り。日本橋聖天でもあるので歓喜天めぐりも兼ねて。山門入ってすぐ左に志宜大将・・・これが全く分からず。楠稲荷大明神とも言われているので楠公かその縁者のことなのか・・・?とりあえずお詣りして辨財天へ。こちらは大阪七福神。社殿とお堂が別々なのでどちらかが遷座してきたのかな?本堂は歓喜天はので聖天様・・・なのですが摂津國霊場では薬師様が本尊となっています。まあ廃仏毀釈のおり、当時のご就職が歓喜天と聖観音を真っ先に持ち出したらしいので聖天様が御本尊なのでしょう。もちろん秘仏です😅聖観音は重要文化財で正月七日間だけ御開帳されるらしい。御朱印拝受してると待ちが出ていたので辨財天の朱印は断念。おばあちゃん二人で頑張ってたから仕方ない😅聖観音の御朱印も確認できなかったのでまた来てみよう🤗
山門
寺号
志宜大将・・・楠稲荷大明神とも。
扁額
社殿
お地蔵さん
手水舎
水掛不動
狛犬と本堂
辨財天社
こちらは辨財天堂
木造の辨財天様
境内
香炉楼。聖天様らしく巾着型です。
本堂。
扁額
五重塔
名称 | 法案寺南坊 |
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読み方 | ほうあんじなんぼう |
通称 | 日本橋聖天 |
参拝時間 | 7:30~16:00 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 06-6211-4585 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
絵馬 | あり |
大阪七福神 第4番 | 御本尊:弁財天 |
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摂津国八十八箇所 |
ご本尊 | 大聖歓喜天 |
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山号 | 志宜山 |
宗旨・宗派 | 高野山真言宗 |
創建時代 | 推古天皇の頃(593年 - 628年) |
開山・開基 | 聖徳太子 |
文化財 | 聖観音菩薩立像(重要文化財) |
ご由緒 | 寺伝によれば、推古天皇の頃(593年 - 628年)に聖徳太子が志宜野(しぎの)(現・城東区鴫野(しぎの)の西側である法円坂の地)に法案寺を建立したという。建立した場所の地名から山号を「志宜山」とし、仏法弘通の公案をしたところから寺号を「法案寺」としたという。
明治時代に入り、神仏分離が行われると生玉神社と神宮寺は分離され、桜本坊は奈良県生駒市の円正寺に、遍照院・医王院は生玉寺町の青蓮寺に、新蔵院・観音院は上之宮町の正祐寺に、覚園院は生玉前町の宗恵院になった。地蔵院は生玉町の藤次寺に合併、曼荼羅院は生玉町の持明院に合併、持宝院は心斎橋筋の三津寺に合併された。法案寺も寺領を失うなかで当時の法案寺住職・栄達は本堂から聖観音と歓喜天を持ち出し、1879年(明治12年)に現在地である大阪市中央区島之内に寺基を移す。1883年(明治16年)6月に法案寺南坊として復興、再建したが、境内地は生玉町にあった頃と比べるとはるかに狭くなった。
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体験 | 仏像御朱印重要文化財札所・七福神巡り |
概要 | 法案寺(ほうあんじ)は、大阪市中央区にある高野山真言宗の準別格本山の寺院。山号は志宜山。本尊は大聖歓喜天(聖天)。正確には法案寺南坊である。大阪七福神の弁財天を祀る。 |
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歴史 | 歴史[編集] 寺伝によれば、推古天皇の頃(593年 - 628年)に聖徳太子が志宜野(しぎの)(現・城東区鴫野(しぎの)の西側である法円坂の地)に法案寺を建立したという。建立した場所の地名から山号を「志宜山」とし、仏法弘通の公案をしたところから寺号を「法案寺」としたという。 平安時代には本地垂迹説が広まるようになり、隣接している生玉神社と神仏習合し、法案寺は生玉神社の神宮寺(別当寺)の「生玉宮寺」として大いに隆盛した。しかし、後になって衰微する。応永年間(1394年 - 1428年)に松永政廣が称光天皇の勅命を受けて法案寺を再興する。「天文日記」には、法案寺第3世・正教が浄土真宗本願寺派...Wikipediaで続きを読む |
行事 | 行事[編集] 1月1日 - 7日 聖観音の開扉 2月 星まつり(星供) |
引用元情報 | 「法案寺」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%B3%95%E6%A1%88%E5%AF%BA&oldid=94248736 |
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