たきさんじ|天台宗|吉祥陀羅尼山
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楽しみ方瀧山寺のお参りの記録一覧
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愛知県岡崎市の瀧山寺へ行って来ました。
吉祥陀羅尼山 薬樹王院 瀧山寺。
天台宗で、本尊は秘仏・薬師如来。
境内にある瀧山東照宮の保存修理工事完成と日光・月光菩薩像と十二神将像の重文指定と毎年2月に執り行われる「瀧山寺鬼祭り」の重要無形民俗文化財指定を記念して、この4/27~5/11に秘仏・本尊の薬師如来坐像が開帳されます。50年に1度、または、慶事の際にしか開帳されず、2012年以来13年振りの開帳との事。
本日4/28は曇/雨予報で、雨降りは何なので4/30にお邪魔する予定としておりましたが、予報が外れてまあまあの天気でしたので、前倒して行って来ました。
昨年10月こちらにお邪魔した際に、ご住職から今回の開帳の日程をお聞きしておりましたので、首を長くして心待ちにしておりました。
ーーー後日アップします。
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意外と人が多いなぁ〜と思っていたら、鬼まつりの当日でした!
下調べ不足ですね💧
それでもお尋ねしたら、タイミング良くお参りすることができました。
滝山寺さんは、吉祥陀羅尼山薬樹王院と号し、宗派は天台宗、御本尊は薬師如来です。
天武天皇の御代(673〜686年)に開かれました。
役行者小角が青木川の滝壺から拾い上げた仏像を自らの手で彫った薬師如来の体内に納め、一堂(吉祥寺)を建て祀ったのが始まりと言われています。
宝物殿も拝観しました。
こちらにいらっしゃる聖観音菩薩さんは、運慶・湛慶の作で、源頼朝公の顎髭と歯が胎内に納まっています。
準備でお忙しいなか、ご説明およびご案内くださり、とても興味深く有り難かったです!
御朱印は、宝物殿の受付にて(お祭り当日だったので)書置きをいただきました。
今回は時間的に無理でしたが、鬼まつりのクライマックスである『火まつり』は圧巻だそうで、また機会があれば参拝したいです。
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日本全国の東照宮を廻る!の目標を持った私は、三大東照宮と言われる岡崎市の瀧山東照宮を外すことは出来ないのであった。
ここ、瀧山寺は、日光東照宮と同じように天台宗寺院で東照宮とセットのような形になっている。
バス停の真ん前が東照宮と瀧山寺入口の石段になる。
やはり、遠くからパソコンで調べているだけの人間からすると、近いバス停!となるわけだ。
岡崎市の案内でも、徒歩1分のバス停を教えてくれたし、と。
多くの戦乱、明治時代の新仏分離、廃仏毀釈などを経て、今は小さなお堂だけになっている。
日光の輪王寺のようなイメージで来てしまったので、ちょと違ったようだ。
帰り、駅までのバスの時間がまだだいぶあるな。で、滝仁王門前という少しでも駅に近いバス停まで歩くか、と実行。
仁王門前バス停にあった山門がすばらしかったのだ。
山寺三門は鎌倉時代の仁王門で、3間1戸楼門、屋根は入母屋造こけら葺です。斗組(とぐみ)は下層が三手先、上層が尾垂木付三手先の典型的な中世楼門で、ほとんど純和様で造られていますが、わずかに上層部の頭貫木鼻(かしらぬききばな)に天竺様の影響を認めることができます。現在の仁王門は文永4年(1267)に建てられた、市内最古の建造物です。楼上正面の「瀧山寺」とある扁額は、文永12年2月19日に正三位藤原経朝が書いたものです。金剛柵内に安置する仁王像2躯は、15世紀前半頃の作です。三門の工事にあたり、上層東南の尾垂木の角度を一本切り違えたのを恥じた大工飛騨権守藤原光延が、楼上から飛び降りて自殺したと言い伝えられ、その塚と称されるものが門の正面左手にあります。(岡崎市のページより)
Wikipediaなんかでは、瀧山寺へのアクセスは、滝山寺下バス停となっていた。東岡崎のバスセンターやバスの運転手さんに、太川陽介さん風に
「すみません。瀧山東照宮に行くにはどう行けばいいですか?」
と聞くと、親切に「滝山寺下」のバス停を教えてくれるのだ。
今回、バスの時間が1時間半ほど待たねばということでこの仁王門の素晴らしさを知ったのだ。もしも、バスの時間が拮抗していたら、或いは本数がもう少し多かったら、そのまま駅に行ってしまったかもしれない。
ああ、事前検索ミス。タビリスに負けた・・・
現場に来ないとわからない。
お寺は参道からや!!と、改めて知った今回の旅であった。



686年役小角が青木川の滝壺から薬師如来を拾い上げ、吉祥寺という御堂を建てたのが始まりと伝わる。
その後荒廃した吉祥寺跡に保安年間(1120年~1123年)比叡山で修行した仏泉上人永救(ぶっせんしょうにんえいぐ)が物部氏の保護を受け本堂を造営し再興。瀧山寺と改めた。
室町時代以降衰退したが、江戸時代に天海僧正の弟子・亮盛上人が徳川家光の保護を受け再び隆盛する。
1646年には東照宮が建立された。
室町前期(1333年~1392年)建築の本堂と三門、1646年建築の東照宮 (本殿、拝殿、幣殿、中門、鳥居、水屋)は重文指定されている。
明治の神仏分離で現在東照宮は瀧山寺から独立している。

滝山寺さんを暫くぶりに参拝🙏
私の大好きな聖観音菩薩様がみえます💕凄く近くで見られてなんだか目が合っている様な気持ちになります💕菩薩様が安置されている宝物殿が賑わっていたのでお会いして来ませんでした😭
この菩薩様の中に源頼朝公の御髪と御歯が入っていると時々テレビで取り上げられています📺
創建は600年代(奈良時代)
山号 吉祥院陀羅尼山
院号 薬樹王院
運慶、湛慶作の梵天、帝釈天、聖観音が宝物殿で見られます😃
天下泰平と五穀豊穣を願っての三河の奇祭と言われる鬼祭が毎年旧暦正月7日に近い土曜日に行われています👺
鬼の面は祖父、祖母、孫の3つ。
当初は父、母の面もあった。この面をつける者は7日間斎戒沐浴をしなければいけないのですがある時旅の僧が斎戒沐浴をせずこの面をつけ祭りに出た所、面がはずれず息絶え本堂横に供養したので残っていないとされています。今年初めてお祭りに行く予定でしたが相方さんの都合が悪く‥残念💦

三河~駿河 東照宮めぐり+ 天台宗『瀧山寺』吉祥陀羅尼山薬樹王院~東海四十九薬師霊場番外札所~本尊は薬師如来。源頼朝や徳川家との縁が深い歴史ある古刹をお参りして御朱印をいただきました。前ページの御朱印が札幌だったので「やー札幌なんて初めて見たわー」って、住職様がすごく驚いてくれました ٩(ˊᗜˋ*)و
瀧山寺縁起によれば、朱鳥元年(686年)奈良時代の伝説的な山岳修行者、小角(おづぬ)が青木川の滝壺から薬師如来を拾い上げ、安置するために「吉祥寺」という一堂を建てたのに始まると言われる。小角は自ら薬師如来像を彫刻し、その仏身に金色の薬師如来を納め御堂に安置しました。
400年の月日が流れた保安年間(1120〜24年)、比叡山で修行した仏泉上人永救(ぶっせんしょうにんえいぐ)が、仏法興隆のためこの地に来住。荒廃してしまっていた吉祥寺跡に再び霊場を建て、物部氏の外護により本堂を造営しました。上人を慕って弟子入りするものは跡を絶たず、境内には360もの寺院が建立され、そのころに官府の命によって寺名を「瀧山寺」と改めました。その後、物部氏に替わり熱田大宮司家が大壇那となり、熱田大宮司季範夫妻の孫、寛伝上人に話は移っていきます。
源頼朝の従兄弟にあたる寛伝上人は瀧山寺僧侶となり、縁故から頼朝公の厚い信仰を得ました。頼朝公没後には、菩提のため正治三年(1201年)頼朝公の3回忌にあたるこの年に惣持禅院を創建。本尊として頼朝公の御歯と御髪を納めた聖観音菩薩・梵天・帝釈天の三尊像を仏師、運慶・湛慶父子が造立しました。その後は承久の乱後に三河守護足利氏が壇越となり最盛期を迎えます。貞応ニ年(1223年)には足利義氏が本堂立替を援助し、泰氏・頼氏・家時・貞氏の歴代も所領や仏具を寄進、瀧山寺は足利氏の準菩提寺となっていきました。室町時代には三代将軍義満の援助により本堂が造営されたが、戦乱によって次第に寺盛は衰退していきました。
それから400年後の江戸時代、瀧山寺は再び中興を見せます。比叡山天海僧正の命により住職となって入寺した亮盛上人は三代将軍家光公に見いだされ、寛永十八年(1641年)家光公より朱印地を拝領する。正保三年(1646年)には、家康公誕生の地の守護である瀧山寺隣地に東照宮が設立されました。この江戸時代には「青龍院・玉泉院・常心院・浄蓮院・観量院・密厳院」の六坊があったが、明治初期に廃され、現在浄蓮院のみが瀧山寺本坊として残っています。
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