御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年4月
瀧山寺ではいただけません
広告

たきさんじ

瀧山寺のお参りの記録(1回目)
愛知県北岡崎駅

投稿日:2022年06月29日(水)
参拝:2022年6月吉日
三河~駿河 東照宮めぐり+ 天台宗『瀧山寺』吉祥陀羅尼山薬樹王院~東海四十九薬師霊場番外札所~本尊は薬師如来。源頼朝や徳川家との縁が深い歴史ある古刹をお参りして御朱印をいただきました。前ページの御朱印が札幌だったので「やー札幌なんて初めて見たわー」って、住職様がすごく驚いてくれました ٩(ˊᗜˋ*)و 

瀧山寺縁起によれば、朱鳥元年(686年)奈良時代の伝説的な山岳修行者、小角(おづぬ)が青木川の滝壺から薬師如来を拾い上げ、安置するために「吉祥寺」という一堂を建てたのに始まると言われる。小角は自ら薬師如来像を彫刻し、その仏身に金色の薬師如来を納め御堂に安置しました。

400年の月日が流れた保安年間(1120〜24年)、比叡山で修行した仏泉上人永救(ぶっせんしょうにんえいぐ)が、仏法興隆のためこの地に来住。荒廃してしまっていた吉祥寺跡に再び霊場を建て、物部氏の外護により本堂を造営しました。上人を慕って弟子入りするものは跡を絶たず、境内には360もの寺院が建立され、そのころに官府の命によって寺名を「瀧山寺」と改めました。その後、物部氏に替わり熱田大宮司家が大壇那となり、熱田大宮司季範夫妻の孫、寛伝上人に話は移っていきます。

源頼朝の従兄弟にあたる寛伝上人は瀧山寺僧侶となり、縁故から頼朝公の厚い信仰を得ました。頼朝公没後には、菩提のため正治三年(1201年)頼朝公の3回忌にあたるこの年に惣持禅院を創建。本尊として頼朝公の御歯と御髪を納めた聖観音菩薩・梵天・帝釈天の三尊像を仏師、運慶・湛慶父子が造立しました。その後は承久の乱後に三河守護足利氏が壇越となり最盛期を迎えます。貞応ニ年(1223年)には足利義氏が本堂立替を援助し、泰氏・頼氏・家時・貞氏の歴代も所領や仏具を寄進、瀧山寺は足利氏の準菩提寺となっていきました。室町時代には三代将軍義満の援助により本堂が造営されたが、戦乱によって次第に寺盛は衰退していきました。

それから400年後の江戸時代、瀧山寺は再び中興を見せます。比叡山天海僧正の命により住職となって入寺した亮盛上人は三代将軍家光公に見いだされ、寛永十八年(1641年)家光公より朱印地を拝領する。正保三年(1646年)には、家康公誕生の地の守護である瀧山寺隣地に東照宮が設立されました。この江戸時代には「青龍院・玉泉院・常心院・浄蓮院・観量院・密厳院」の六坊があったが、明治初期に廃され、現在浄蓮院のみが瀧山寺本坊として残っています。

瀧山寺の本殿
本堂(国重文) 内陣には〜
「薬師如来坐像」「日光・月光菩薩立像」
瀧山寺の本殿
「おんころころせんだり まとうぎそわか」
御本尊の薬師如来様御真言を唱えお参りせよ~と書いていました
瀧山寺の像
↑この方「賓頭盧尊者様」おびんずる様☆
釈迦の弟子の一人で、神通力を持っていたらしい
体の悪いところと仏様の身体の部位をさするとご利益あるそう
瀧山寺の建物その他
長閑な山間にあります🌿
瀧山寺の建物その他
瀧山寺の建物その他
瀧山寺の末社
瀧山寺の仏像
瀧山寺の末社
瀧山寺の鳥居
瀧山寺の建物その他
宝物殿にて御朱印を書いていただきました♪
瀧山寺の地蔵
三尊像「聖観音」「梵天」「帝尺天」など
拝観できるそうですが時間の都合で断念、、
瀧山寺の建物その他
瀧山寺の歴史
瀧山寺の自然
瀧山寺の建物その他
こちらも紫陽花が綺麗でした

すてき

御朱印

みんなのコメント0件)

ログインしてください

ログイン無料登録すると、投稿へコメントできます。

ホトカミ見ました! で広がるご縁

ホトカミを見てお参りされた際は、
もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。
瀧山寺の投稿をもっと見る24件
コメント
お問い合わせ