あなおじ|天台宗|菩提山
穴太寺京都府 並河駅
8:00〜17:00
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | |||
駐車場 | あり |
京都府亀岡市にあるお寺です。
山号は菩提山
宗旨宗派は天台宗
ご本尊は薬師如来
です。
「穴太寺の歴史は古く、東大寺の開基で知られる聖武天皇の父、天武天皇が開基と伝わります。飛鳥時代あたりの約1300年前の建立です。」
と円応院の拝観受付の方が教えてくださいました。
庭園は京都府の名勝に指定されているだけあってとても美しいです。
一部隣接する野球場が見えてしまうのだけが残念でした。
書院の欄間の細工が見事でした。
本堂内陣には厨子が3基あって、中央がご本尊の薬師如来(秘仏)です。
この薬師如来は、今まで御開帳された記録はないそうです。
ご住職も拝顔されたことがないのでしょうか。
奥に進むと布団をかけられて寝ているいるお釈迦さま、「涅槃釈迦如来」が祀られています。
撫で仏なので触ることができます。
この涅槃釈迦如来は鎌倉時代の作とされているのですが、明治29年(1896年)に本堂の天井裏から見つかったのだそうです。
自分の病気と同じ部分を撫でてから、自分の体をさすり返すと、病気が治ると言われています。
もとは寺領が相当広かったようですが、現代に至るまでに縮小してしまったそうです。
廃仏毀釈のためでしょうか。
西国三十三か所巡りでお参りしました。
過去にお参りしたことがありますが 西国三十三か所の御朱印を拝受しにお参りしました。
こちらは 派手さがないため 参拝者が多くても 本当に落ち着いた気分になってお参りできます。
300年前に再建された本堂の造り・美しさには感動を覚えます。
本坊の円応院の半分は方丈建築になっているそうなのですが こちらでは のんびりず~っと時間が流れるような気分になります。
田舎のおじいちゃんの家の縁側に座っているような気分 言い方悪かったですかね。
囲碁や将棋が好きな方は こういう雰囲気だと嬉しいのではないでしょうか。
私は大好きです。ここ。
ちなみに 穴太寺の中で こちらが最も古い建物だそうで 明智光秀の丹波攻めで焼失した後 わざわざ江戸だったか長野だったかから 移築されたそうです。
この円応院が移築だと・・・運ぶのだけでも大変でしょうに すごい権力が働いたのですね。
本堂にはご本尊とは別に 鎌倉時代作と言われる釈迦涅槃像があります。
これは明治29年に 本堂の天井裏から発見されたものだそうです。
布団をかけられているのですが 布団をめくって 自分の体の病のある部分と同じ箇所を触ると 参拝者の病気が良くなると伝えられています。
私の場合は 足 腰 目 頭 いやはや忙しいです。
身も心もすっきりして帰途につきました。
仁王門
石柱
由縁
鐘楼 このタイプがいちばん好きです
境内の桜がきれいです
境内にある石柱
稲荷社
本堂
桜が映えます
桜だけ
手水
龍が多いですね
多宝塔
地蔵堂かな
本堂
本坊の円応院
見事な龍の絵です
襖絵と言っていいのか きれいです
テーブルがミラーみたい
多宝塔を背景に池泉鑑賞式庭園
方丈建築だそうです
落ち着く~
本当に落ち着く~
明治天皇のお召し物だそうです
梁 いや欄間 の彫刻
この部屋 ずっとのんびりしたくなるでしょ
本堂へ続く廊下
本堂 ここから撮影禁止です
本堂の木組みをアップで
格子が梅模様になっています
賓頭盧
蔀戸かと思ったのですが 違いますか
それにしても見事な造りです
宝徳2年(1450年)成立の『穴太寺観音縁起』によれば、慶雲2年(705年)、文武天皇の勅願により大伴古麻呂が開創したとされる。
穴太寺の聖観音像は「身代わり観音」の伝説で知られ、この伝説が『今昔物語集』に取り上げられていることから、平安時代末期には観音霊場として当寺が知られていたことがわかる。『今昔物語集』所収の説話によると、昔、丹波国桑田郡の郡司をしていた男は、都の仏師に依頼して聖観音像を造り、仏師には褒美として自分の大切にしていた名馬を与えた。しかし、与えた名馬が惜しくなった男は、家来に命じて仏師を弓矢で射て殺してしまった。ところが、後で確認すると仏師は健在で、観音像の胸に矢が刺さっていた。改心した男は仏道を信じるようになったという。同様の説話は『扶桑略記』にもあるが、ここでは男の名が「宇治宮成」、仏師の名が「感世」とされている。
住所 | 京都府亀岡市曽我部町穴太東ノ辻46 |
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行き方 | JR亀岡駅下車 京阪京都交通バス穴太寺循環(59, 34系統)、もしくは、京都学園大学行(60系統)、穴太口下車徒歩10分 |
名称 | 穴太寺 |
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読み方 | あなおじ |
参拝時間 | 8:00〜17:00 |
参拝料 | 500円 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0771-24-0809 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
お守り | あり |
神仏霊場巡拝の道 | |
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西国三十三所霊場 | |
数珠巡礼 第59番 |
ご本尊 | 薬師如来,聖観世音菩薩 |
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山号 | 菩提山 |
宗旨・宗派 | 天台宗 |
創建時代 | 慶雲二年(705) |
開山・開基 | 大伴古麿 |
本堂 | 入母屋造(府指定文化財) |
文化財 | 木造聖観世音立像(重要文化財)
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ご由緒 | 宝徳2年(1450年)成立の『穴太寺観音縁起』によれば、慶雲2年(705年)、文武天皇の勅願により大伴古麻呂が開創したとされる。
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体験 | 仏像御朱印重要文化財札所・七福神巡り伝説 |
概要 | 穴太寺(あなおじ)は、京都府亀岡市曽我部町穴太東辻にある天台宗の寺院。山号は菩提山(ぼだいさん)。本尊は薬師如来。札所本尊は聖観世音菩薩(聖観音)。西国三十三所第21番札所。「あなおおじ」「あなうじ」「あのうじ」「あなおうじ」と読まれることもあり、「穴穂寺」「穴生寺」とも表記された。 本尊真言(聖観音):おん あろりきゃ そわか ご詠歌:かかる世に生まれあふ身のあな憂(う)やと 思はで頼め十声一声(とこえひとこえ) |
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歴史 | 歴史[編集] 宝徳2年(1450年)成立の『穴太寺観音縁起』によれば、慶雲2年(705年)、文武天皇の勅願により大伴古麻呂が開創したとされる。 穴太寺の聖観音像は「身代わり観音」の伝説で知られ、この伝説が『今昔物語集』に取り上げられていることから、平安時代末期には観音霊場として当寺が知られていたことがわかる。『今昔物語集』所収の説話によると、昔、丹波国桑田郡の郡司をしていた男が、都の仏師に依頼して聖観音像を造り、仏師に褒美として自分の大切にしていた名馬を与えた。しかし、与えた名馬が惜しくなった男は、家来に命じて仏師を弓矢で射て殺してしまった。ところが、後で確認すると仏師は健在で、聖観音像...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通[編集] JR嵯峨野線(山陰本線)亀岡駅から、 京阪京都交通バス60系統京都先端科学大学行で穴太口下車徒歩10分 昼間は20分毎の運行。57系統京都先端科学大学行は穴太口を通過する。 京阪京都交通バス59系統穴太寺循環で穴太寺前下車徒歩1分 昼間は1時間毎の運行。 |
行事 | 行事[編集] 1月3日、「福給会」(ふくたばえ、ふくたまえ)が催される。これは、300年以上続く伝統行事で、1から33番までの札3,000枚を本堂から巻き、拾った番号によってくじが行なわれる。3枚だけ赤い札が入っており、それを拾った人は1年間幸せに過ごせるという。 |
引用元情報 | 「穴太寺」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%A9%B4%E5%A4%AA%E5%AF%BA&oldid=98461128 |
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