きたいん|天台宗|星野山
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この日、凡そ2年ぶりでの川越散策。 今回は前回廻れなかった川越駅北部エリア、続いて今回の散策のメインとして喜多院を訪れました。 天長7年(830年)、第53代・淳和天皇(じゅんな てんのう)の勅命により、慈覚大師・円仁(えんにん)が無量寿寺として創建したのが始まりとされる天台宗の寺院です。 寺号が喜多院と改められたのは慶長17年(1612年)、徳川家の尊崇が厚かった天海僧正(てんかい)が第27世住職として入寺し、寺勢を大いに整えたことによります。 天海は徳川家康(とくがわ いえやす)・秀忠(ひでただ)・家光(いえみつ)の三代に渡り重用され、喜多院は江戸幕府の厚い保護を受けて発展し、やがて関東天台の本山として重厚な寺格を備えるに至り、その名声は広く知られるようになります。 ところが、寛永15年(1638年)に発生した川越大火により、山門・鐘楼門を除く多くの堂宇が灰燼に帰したと伝えられています。 この大火後、三代将軍家光は深い縁故を示し、川越藩主・堀田正盛(ほった まさもり)に喜多院の復興を命じました。 その際に江戸城紅葉山御殿の一部が移築され、現在も「家光誕生の間」や「春日局化粧の間」として残されており、喜多院が徳川将軍家と深く結びついた寺院であることを今に伝える貴重な遺構となっています。 境内を歩くと、歴史を伝える建物が静かに佇み、落ち着いた雰囲気が漂っていました。 さらに奥へ進むと、五百羅漢の石像群が並ぶ一角があり、一体一体の表情や佇まいが異なるその姿は、静かな中にも独特の存在感を放っていました。
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