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りょうあんじ|臨済宗妙心寺派大本山妙心寺山外塔頭

龍安寺
京都府 龍安寺駅

拝観:8:00〜17:00(12月1日〜2月末:8:30〜16:30)
朱印受付:9:00〜16:00

御朱印(1種類)

石庭の御朱印

300円

真ん中に石庭と書かれ、左上に吾唯足知の印、右に大雲山の印、左下に龍安寺の文字、龍安寺印が押されています。
石庭と呼ばれている「龍安寺方丈庭園」は、細川政元によって方丈が再建された1499年に作庭されたと推測されています。
哲学的で侘びた佇まいのある枯山水の石庭は、世界遺産「古都京都の文化財」にも構成され、京都で最も有名な観光名所の一つとなっています。

限定御朱印(1種類)

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御朱印について御朱印
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御朱印帳
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-

龍安寺について

知れば、楽しさ倍増!枯山水の秘密とは?


不思議なことに、この石庭はどの角度から眺めても15個の石のうち必ず1つは他の石に隠れて見えないようになっています。
しかしながら、室内の1点からは15個すべてをみることができるともいわれています。
訪れたときに、ぜひ探してみてください。見つけることができるかも…

おすすめの投稿

ちびくろっぺ
ちびくろっぺ
2025年12月24日(水) 15時36分45秒
172投稿

仁和寺に参拝した後、こちらまで徒歩で来ました。
歩いているとポカポカを通り越して、汗ばむほどでした。

龍安寺の御朱印
龍安寺(京都府)
龍安寺(京都府)
龍安寺(京都府)
龍安寺(京都府)
龍安寺(京都府)

龍の襖が素晴らしいです。
フラッシュ撮影は禁止です。

龍安寺(京都府)

御朱印にも書かれている、石庭。
縁側がとても暖かく、庭を眺めながら、ここで猫を抱いてうつらうつらしたら幸せだろうなと思いました。

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2025年06月17日(火) 20時37分08秒
3028投稿

京都市右京区にあるお寺です。
世界遺産に登録されているので ご存じの方が多いと思います。
最近は 参拝者が多くない寺社を巡っていましたので 賑やかな寺院にお参りしたくなりました。
揺り戻しってやつですね。義母の散歩もかねてお参りしました。
予想通り 外国のお客様がとても多く 境内では英語・中国語・フランス語・ドイツ語・その他聞き分けられない語が飛び交っていました。
鏡容池には 写真では分かりにくいのですが 蓮の花がたくさん咲いていました。
久しぶりのお参りということもあって 方丈ではのんびり時間を過ごしました。
襖絵は細川元総理の筆によるもので 細川繋がりだと勝手に解釈しておりました。
石庭前では 各国の方々が足を出してぶーらぶーらしながらお話されていました。
少し心にひっかかるのですが まあ世界遺産を観に来たお客様だから そんなものでしょうね。
方丈をぐるっと回って 裏手の知足の蹲踞(つくばい)のレプリカを見て 太閤手植えの日本最古の侘助椿を見て ご朱印を拝受しに行きました。
列にはなっていないのですが 御朱印帳が積み重ねられていて お願いしてからいただくまで20分ほど待ちました。

ネット情報です。
山号は大雲山 宗旨宗派は臨済宗妙心寺派 寺格は妙心寺境外塔頭 ご本尊は釈迦如来 創建年は宝徳2年(1450年 (575年前)) 開山は義天玄承 開基は細川勝元です。
もともと龍安寺一帯は 永観元年(984年)に建立された円融天皇の御願寺である円融寺の境内地であった。
円融寺は徐々に衰退し 平安時代末には藤原北家の流れを汲む徳大寺実能が同地を山荘とした。
この山荘を細川勝元が譲り受け 宝徳2年(1450年)敷地内に龍安寺を建立した。
初代住職として妙心寺8世(5祖)住持の義天玄承(玄詔)を迎えた。
義天玄承は師の日峰宗舜を開山に勧請し 自らは創建開山となった。
創建当初の境内地は現在よりはるかに広かったという。
細川勝元らと山名宗全らが争った応仁の乱の際 細川勝元は東軍の総大将だったため 龍安寺は西軍の攻撃を真っ先に受け 応仁2年(1468年)に焼失した。
長享2年(1488年) 勝元の子・細川政元が龍安寺の再建に着手 政元と四世住持・特芳禅傑によって再興された。
寺では特芳を中興開山と称している。
明応8年(1499年)には方丈が上棟された。
その後 織田信長 豊臣秀吉らが寺領を寄進している。
方丈庭園(国の史跡・特別名勝) いわゆる「龍安寺の石庭」は 白砂の砂紋で波の重なりを表す枯山水庭園の特徴を有する。
幅25メートル 奥行10メートルほどの空間に白砂を敷き詰め 東から5個 2個 3個 2個 3個の合わせて15の大小の石を配置する。
寺伝では 室町時代末期(1500年頃)特芳禅傑らの優れた禅僧によって作庭されたと伝えられるが 作庭者 作庭時期 意図ともに諸説あって定かではない。
塀ぎわの細長い石には「小太郎・□二郎」と刻まれており 作庭に関わった人物と推測されるが 詳細は不明である。

龍安寺(京都府)

山門 周りは外国の方ばかり

龍安寺(京都府)

全景図

龍安寺(京都府)

青紅葉がきれいです

龍安寺(京都府)

苔も美しい

龍安寺(京都府)

蓮の花が咲いています 分かるかな

龍安寺(京都府)

すごくたくさん咲いているのです 見えにくい

龍安寺(京都府)

大弁財尊天

龍安寺(京都府)

本殿

龍安寺(京都府)

老地蔵

龍安寺(京都府)

京都市の由緒書

龍安寺(京都府)

方丈に続く石段

龍安寺(京都府)

方丈に入って正面の書

龍安寺(京都府)

方丈の襖絵 右手の部屋

龍安寺(京都府)

真ん中の部屋 正面

龍安寺(京都府)

右手

龍安寺(京都府)

左手

龍安寺(京都府)

左手の部屋

龍安寺(京都府)

有名すぎる石庭

龍安寺(京都府)

知足の蹲踞(つくばい) の複製

龍安寺(京都府)

説明

龍安寺(京都府)

日本最古の侘助椿

龍安寺(京都府)

境内をぐるっとひとまわり

龍安寺(京都府)

水分石 どれ?ちっちゃい2つの石?

龍安寺(京都府)

蓮の花 分かります?

龍安寺(京都府)

分かりにくいですが 蓮の花がいーっぱい咲いています

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歴史

「石庭」として知られる枯山水の方丈庭園で有名な龍安寺は、室町幕府の管領、守護大名で、応仁の乱の東軍総帥でもあった細川勝元が宝徳2年(1450年)に創建した禅寺である。衣笠山山麓に位置する龍安寺一円は、永観元年(984年)に建立された円融天皇の御願寺である円融寺の境内地であった。円融寺は徐々に衰退し、平安時代末には藤原北家の流れを汲む徳大寺実能が同地に山荘を建立した。この山荘を細川勝元が譲り受け寺地とし、初代住職として妙心寺8世(5祖)住持の義天玄承(玄詔)を迎えた。義天玄承は師の日峰宗舜を開山に勧請し、自らは創建開山となった。創建当初の寺地は現在よりはるかに広く、京福電鉄の線路の辺りまでが境内であったという。
龍安寺は、開基細川勝元らと守護大名山名持豊(宗全)らが争った応仁の乱(1467-1477年)によって焼失するが、勝元の子の細川政元と4世住持・特芳禅傑によって、明応8年(1499年)に再興された。寺では特芳を中興開山と称している。その後、織田信長、豊臣秀吉らから寺領を付与されている。
絵入りの名所案内書(現代の旅行ガイドブックに相当)である『都名所図会』(安永9年(1780年)刊行)を見ると、当時、龍安寺の鏡容池はオシドリの名所として知られており、今日有名な石庭よりも、池を中心とした池泉回遊式庭園の方が有名であった。 寛政9年(1797年)に京都奉行所へ提出された古地図には23か寺の塔頭があったが、寛政9年(1797年)の火災で方丈、仏殿など主要伽藍が焼失したため、塔頭の西源院の方丈を移築して龍安寺の方丈(本堂)とし、現在にいたっている。
その後、明治初期の廃仏毀釈によって衰退するが、イギリスのエリザベス2世が1975年に日本を公式訪問した際、龍安寺の拝観を希望し、石庭を絶賛したことが海外のマスコミでも報道された。そのため、昨今では世界各地での日本のZEN(禅)ブームと相俟って、世界的にも知られるようになった。

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龍安寺の基本情報

住所

京都府京都市右京区龍安寺御陵ノ下町13

行き方

京福電鉄「龍安寺駅」より徒歩7分
JR・近畿日本鉄道 京都駅から市バス 50番系統 立命館大学前下車 徒歩7分
阪急電鉄 大宮駅から市バス 55番系統 立命館大学前下車 徒歩7分
京阪電鉄 三条駅から市バス 59番系統 龍安寺前下車すぐ

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名称

龍安寺

読み方

りょうあんじ

参拝時間

拝観:8:00〜17:00(12月1日〜2月末:8:30〜16:30)
朱印受付:9:00〜16:00

参拝料

大人500円、小中学生300円

御朱印あり
限定御朱印なし
御朱印帳に直書きあり
御朱印の郵送対応なし
御朱印帳あり
電話番号075-463-2216
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.ryoanji.jp/top.html

詳細情報

ご本尊釈迦如来
宗旨・宗派臨済宗妙心寺派大本山妙心寺山外塔頭
ご由緒

「石庭」として知られる枯山水の方丈庭園で有名な龍安寺は、室町幕府の管領、守護大名で、応仁の乱の東軍総帥でもあった細川勝元が宝徳2年(1450年)に創建した禅寺である。衣笠山山麓に位置する龍安寺一円は、永観元年(984年)に建立された円融天皇の御願寺である円融寺の境内地であった。円融寺は徐々に衰退し、平安時代末には藤原北家の流れを汲む徳大寺実能が同地に山荘を建立した。この山荘を細川勝元が譲り受け寺地とし、初代住職として妙心寺8世(5祖)住持の義天玄承(玄詔)を迎えた。義天玄承は師の日峰宗舜を開山に勧請し、自らは創建開山となった。創建当初の寺地は現在よりはるかに広く、京福電鉄の線路の辺りまでが境内であったという。
龍安寺は、開基細川勝元らと守護大名山名持豊(宗全)らが争った応仁の乱(1467-1477年)によって焼失するが、勝元の子の細川政元と4世住持・特芳禅傑によって、明応8年(1499年)に再興された。寺では特芳を中興開山と称している。その後、織田信長、豊臣秀吉らから寺領を付与されている。
絵入りの名所案内書(現代の旅行ガイドブックに相当)である『都名所図会』(安永9年(1780年)刊行)を見ると、当時、龍安寺の鏡容池はオシドリの名所として知られており、今日有名な石庭よりも、池を中心とした池泉回遊式庭園の方が有名であった。 寛政9年(1797年)に京都奉行所へ提出された古地図には23か寺の塔頭があったが、寛政9年(1797年)の火災で方丈、仏殿など主要伽藍が焼失したため、塔頭の西源院の方丈を移築して龍安寺の方丈(本堂)とし、現在にいたっている。
その後、明治初期の廃仏毀釈によって衰退するが、イギリスのエリザベス2世が1975年に日本を公式訪問した際、龍安寺の拝観を希望し、石庭を絶賛したことが海外のマスコミでも報道された。そのため、昨今では世界各地での日本のZEN(禅)ブームと相俟って、世界的にも知られるようになった。

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