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四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2022年10月※龍安寺ではいただけません

りょうあんじ|臨済宗妙心寺派

龍安寺

京都府 龍安寺駅

拝観:8:00〜17:00(12月1日〜2月末:8:30〜16:30)
朱印受付:8:00〜16:00

投稿する
075-463-2216

※お問い合わせの際は「ホトカミを見た」と
お伝えいただければ幸いです。

御朱印・御朱印帳

御朱印(1種類)

石庭の御朱印

300円

真ん中に石庭と書かれ、左上に吾唯足知の印、右に大雲山の印、左下に龍安寺の文字、龍安寺印が押されています。
石庭と呼ばれている「龍安寺方丈庭園」は、細川政元によって方丈が再建された1499年に作庭されたと推測されています。
哲学的で侘びた佇まいのある枯山水の石庭は、世界遺産「古都京都の文化財」にも構成され、京都で最も有名な観光名所の一つとなっています。

限定御朱印(1種類)

釈迦如来の御朱印

300円

真ん中に釈迦如来と書かれ、左上に吾唯足知の印、右に大雲山の印、左下に龍安寺の文字、龍安寺印が押されています。
龍安寺仏殿奥の昭堂には、慶派の作と伝わる本尊「釈迦如来坐像」が安置されています。

御朱印帳(2種類)

龍安寺では、蹲踞と石庭の2種類の御朱印帳が頒布されています。

蹲踞の御朱印帳

1,200円
約18×12cm

紺色の地に、金色で蹲居(吾唯足知)がデザインされ、下部に大雲山龍安寺の金文字が入っています。
龍安寺の茶室前にある徳川光圀寄進とされる手水鉢は「知足の蹲踞(つくばい)」と呼ばれ、周りの四文字と中央の水穴を「口」の字に見立てて吾唯足知(われただたることをしる)と読み、この言葉は釈迦が説いた「知足」の心を図案化した仏教の真髄で茶道の精神にも通じています。

石庭の御朱印帳

1,200円
約16×11cm

桃色の地に、表面は石庭の枯山水に「Kyoto Ryoan-ji」が入ったデザインで、左上に御朱印帖の文字、裏面は真ん中に蹲居(吾唯足知)の意匠と大雲山龍安寺の文字が入っています。

授与場所・時間

御朱印・御朱印帳ともに、庫裡でお受けできます。

御朱印の受付時間は9時~16時。

詳しくは公式サイトをご確認ください。

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御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
-

龍安寺について

知れば、楽しさ倍増!枯山水の秘密とは?


不思議なことに、この石庭はどの角度から眺めても15個の石のうち必ず1つは他の石に隠れて見えないようになっています。
しかしながら、室内の1点からは15個すべてをみることができるともいわれています。
訪れたときに、ぜひ探してみてください。見つけることができるかも…

おすすめの投稿

garu
2017年09月20日(水)
614投稿

今更書くことも無いお寺さんですが・・・。
通常の拝観で見れるものはレプリカですので、本物のつくばいを見せて頂けるというのでやって来ました。
ここへは何度も来ているのですが、本物の「知足のつくばい」を見るのは初めてでしたので、いそいそと・・・。
入り口から通常拝観は右手へ行きますが、今回は左手の戸襖の中へ。
いや~、本物はレプリカより一回り大きいです。そして気のせいかもしれませんが重量感がありました。
機会があれば是非に見に行って下さい。

石庭の前のお部屋に江戸時代の書物も展示されていて、それを読んで笑ってしまいました。
実はこの石庭、本来ならば低い壁の向こうに男山が見えていたそうです。当時男山信仰なるものがあって、石庭から望む男山があって初めて完成されるお庭なんだそうです。
男山と言うのは石清水八幡宮があるお山の事です。
で、江戸の書物では周辺の木が育ちすぎてみえねーよ!って怒っているんですよ(笑)
そうだったのかと(笑)

余談なんですが、ここの敷地内にある塔頭・大珠院なんですが、鏡容池の方から見えると思いますが小島があるでしょ?
あの塔頭なんですが、あそこになんと真田幸村の腕塚があるという話を聞いたんです。写真もありますがうっすらと仏様の背中が見えると思われますがその横らしいんですよね。五輪の塔らしいです。1600年に備前守・石河光吉が再建した塔頭ですが、彼は幸村の娘婿にあたるのだそうです。その関係で幸村の妻の墓もあると聞いています。
凄く気になります。本当かどうかを確かめたいですね~。

龍安寺の庭園

石庭

龍安寺の山門龍安寺の山門

山門

龍安寺の建物その他

庫裏

龍安寺の山門

仏殿門

龍安寺の手水

知足のつくばいレプリカ

龍安寺の山門

勅使門

龍安寺の建物その他

西源院

龍安寺の建物その他

大珠院

龍安寺の景色

鏡容池から望む大珠院と真田幸村腕塚(?)

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Takashi Shimo…
2021年04月08日(木)
1232投稿

何度も参拝させて頂いている石庭で有名なお寺さんです。

石庭の配置の意味はナゾだそうですが、そのナゾのために世界中から人が訪れます。いったん石庭の前に座ったら、みんなしばらく動こうとしません。

世の中のものは人の注意を引こうとしたり、利便性や快楽をアピールするものにあふれています。

しかし石庭は何も語りません。一瞬みても何の意味があるのかわからず、さりとて考え込んでもわからない。にもかかわらず世界中の人々を魅了し続ける。

こんな不可解で普遍的に訴えるものを作れる人が果たして人類史上何人いたのでしょうか?果たして狙ってつくれるものなのでしょうか?

もっともクリエイティブな脳の状態とは「無心」に近い状態だということが研究でわかってきているようです。であれば「禅の境地」こそもっともクリエイティブではないでしょうか?

世界の人々が禅に傾倒するのは、教義だけでなく脳のパフォーマンスを上げてくれることが科学的にもすこしわかってきたことがあるのかもしれません。

なんだかわからないから偏らない。偏らないから自由自在の創造性が生まれる。

わからないことの価値がわかるような精進を重ねてみようと思います。

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歴史

「石庭」として知られる枯山水の方丈庭園で有名な龍安寺は、室町幕府の管領、守護大名で、応仁の乱の東軍総帥でもあった細川勝元が宝徳2年(1450年)に創建した禅寺である。衣笠山山麓に位置する龍安寺一円は、永観元年(984年)に建立された円融天皇の御願寺である円融寺の境内地であった。円融寺は徐々に衰退し、平安時代末には藤原北家の流れを汲む徳大寺実能が同地に山荘を建立した。この山荘を細川勝元が譲り受け寺地とし、初代住職として妙心寺8世(5祖)住持の義天玄承(玄詔)を迎えた。義天玄承は師の日峰宗舜を開山に勧請し、自らは創建開山となった。創建当初の寺地は現在よりはるかに広く、京福電鉄の線路の辺りまでが境内であったという。
龍安寺は、開基細川勝元らと守護大名山名持豊(宗全)らが争った応仁の乱(1467-1477年)によって焼失するが、勝元の子の細川政元と4世住持・特芳禅傑によって、明応8年(1499年)に再興された。寺では特芳を中興開山と称している。その後、織田信長、豊臣秀吉らから寺領を付与されている。
絵入りの名所案内書(現代の旅行ガイドブックに相当)である『都名所図会』(安永9年(1780年)刊行)を見ると、当時、龍安寺の鏡容池はオシドリの名所として知られており、今日有名な石庭よりも、池を中心とした池泉回遊式庭園の方が有名であった。 寛政9年(1797年)に京都奉行所へ提出された古地図には23か寺の塔頭があったが、寛政9年(1797年)の火災で方丈、仏殿など主要伽藍が焼失したため、塔頭の西源院の方丈を移築して龍安寺の方丈(本堂)とし、現在にいたっている。
その後、明治初期の廃仏毀釈によって衰退するが、イギリスのエリザベス2世が1975年に日本を公式訪問した際、龍安寺の拝観を希望し、石庭を絶賛したことが海外のマスコミでも報道された。そのため、昨今では世界各地での日本のZEN(禅)ブームと相俟って、世界的にも知られるようになった。

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龍安寺の基本情報

住所京都府京都市右京区龍安寺御陵ノ下町13
行き方

京福電鉄「龍安寺駅」より徒歩7分
JR・近畿日本鉄道 京都駅から市バス 50番系統 立命館大学前下車 徒歩7分
阪急電鉄 大宮駅から市バス 55番系統 立命館大学前下車 徒歩7分
京阪電鉄 三条駅から市バス 59番系統 龍安寺前下車すぐ

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名称龍安寺
読み方りょうあんじ
参拝時間

拝観:8:00〜17:00(12月1日〜2月末:8:30〜16:30)
朱印受付:8:00〜16:00

参拝料

大人500円、小中学生300円

御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号075-463-2216
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.ryoanji.jp/top.html

詳細情報

ご本尊釈迦如来
宗旨・宗派臨済宗妙心寺派
ご由緒

「石庭」として知られる枯山水の方丈庭園で有名な龍安寺は、室町幕府の管領、守護大名で、応仁の乱の東軍総帥でもあった細川勝元が宝徳2年(1450年)に創建した禅寺である。衣笠山山麓に位置する龍安寺一円は、永観元年(984年)に建立された円融天皇の御願寺である円融寺の境内地であった。円融寺は徐々に衰退し、平安時代末には藤原北家の流れを汲む徳大寺実能が同地に山荘を建立した。この山荘を細川勝元が譲り受け寺地とし、初代住職として妙心寺8世(5祖)住持の義天玄承(玄詔)を迎えた。義天玄承は師の日峰宗舜を開山に勧請し、自らは創建開山となった。創建当初の寺地は現在よりはるかに広く、京福電鉄の線路の辺りまでが境内であったという。
龍安寺は、開基細川勝元らと守護大名山名持豊(宗全)らが争った応仁の乱(1467-1477年)によって焼失するが、勝元の子の細川政元と4世住持・特芳禅傑によって、明応8年(1499年)に再興された。寺では特芳を中興開山と称している。その後、織田信長、豊臣秀吉らから寺領を付与されている。
絵入りの名所案内書(現代の旅行ガイドブックに相当)である『都名所図会』(安永9年(1780年)刊行)を見ると、当時、龍安寺の鏡容池はオシドリの名所として知られており、今日有名な石庭よりも、池を中心とした池泉回遊式庭園の方が有名であった。 寛政9年(1797年)に京都奉行所へ提出された古地図には23か寺の塔頭があったが、寛政9年(1797年)の火災で方丈、仏殿など主要伽藍が焼失したため、塔頭の西源院の方丈を移築して龍安寺の方丈(本堂)とし、現在にいたっている。
その後、明治初期の廃仏毀釈によって衰退するが、イギリスのエリザベス2世が1975年に日本を公式訪問した際、龍安寺の拝観を希望し、石庭を絶賛したことが海外のマスコミでも報道された。そのため、昨今では世界各地での日本のZEN(禅)ブームと相俟って、世界的にも知られるようになった。

体験武将・サムライ伝説

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