にそんいん|天台宗|小倉山
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楽しみ方二尊院のお参りの記録一覧
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二尊院は京都市右京区にあるお寺です。
嵯峨野は小倉百人一首が編纂された地で有名ですが 二尊院の裏山に 藤原定家が小倉百人一首を作成した場所とされている時雨亭の跡があります。
立派な山門をくぐると 100m以上参道が真っすぐ続きます。
両サイドにはもみじが植わっていて 紅葉の季節はすごいことになりそうです。
土塀に突き当り 左手に進むと 黒門と勅使門があります。
勅使門から入りましょう。
立派な造りで 勅額(扁額)の字は後柏原天皇の字だそうです。
本堂はとても大きいです。
反屋根がさらに大きく見せます。
中に入ることはできませんが ご本尊を拝顔することはできます。
二尊院にはご本尊が2体いらっしゃいます。
二尊院の名は本尊の二如来像に由来するそうです。
右が釈迦如来で 左が阿弥陀如来です。
釈迦如来は 人が誕生し 人生の旅路に出発する時送り出してくれる「発遣の釈迦」といい 阿弥陀如来は その人が寿命をまっとうした時 極楽浄土よりお迎えくださる「来迎の弥陀」というそうです。
鎌倉時代の春日仏師の作だそうです。
ありがたく拝顔させていただき合掌しました。
本堂裏手には六地蔵の庭があります。
天道・人道・畜生道・修羅道・飢餓道・地獄道の六道に苦しむすべての衆生を救済する6体のお地蔵様です。
どちらもかわいらしいお顔でした。
本堂で御朱印をいただき 九頭竜辨財天を見に行きました。
実物も見られたのですが小さくてはっきりしません。
ありがたいことに拡大された写真が置いてありました。
こっわい顔してますね。
和泉明神社・八社ノ宮でもお詣りしました。
境内には 小倉餡発祥の地の石碑がありました。
鐘楼は撞いても良いそうなので撞いてみました。
カーンとかコーンという軽い音は好きではないのですが こちらの鐘楼は良い音でした。
ここから石段を上がります。
上がり切った所に 法然上人廟がありました。
こちらでも合掌。
さらに山道を奥に進みますと 小倉百人一首を選定した藤原定家の小倉山荘「時雨亭」の跡があります。
基礎石しかないですが 目の前は開けていて 京都市街が一望できるロケーションです。
すごい場所に山荘を建てたんだなぁと感じる場所です。
百人一首がお好きな方は 近江神宮だけでなくこちら二尊院にも参拝されることをおススメします。
ネット情報です。
山号は小倉山
院号は二尊教院
宗旨は天台宗
ご本尊は釈迦如来・阿弥陀如来(双方とも重要文化財)
創建年は承和年間(834年 - 847年)
開山は円仁
開基は嵯峨天皇(勅願)
正式名は小倉山二尊教院華台寺
別称は二尊院
札所は法然上人二十五霊場第17番
当院は 平安時代初期の承和年間(834年 - 847年)に嵯峨天皇の勅願により円仁(慈覚大師)によって創建されたと伝わる。
以後荒廃するが 法然が当院に住し法を説いている。
その後 鎌倉時代初期に法然の高弟だった第3世湛空らにより再興され 天台宗・真言宗・律宗・浄土宗の四宗兼学の道場となった。
その中でも浄土宗の勢力は強く 嵯峨門徒の拠点とされた。
また 湛空は土御門天皇と後嵯峨天皇の戒師を務めている。
嘉禄3年(1227年)に起こった嘉禄の法難の際には 法然の遺骸を天台宗の僧兵から守るために法然廟所から当院まで六波羅探題の武士団らが護衛して移送している。
その後 法然の遺骸は西山の念仏三昧院に運ばれて荼毘に付された。
第4世叡空は後深草天皇・亀山天皇・後宇多天皇・伏見天皇の四帝の戒師を務めている。
南北朝時代から御黒戸四箇院(廬山寺・二尊院・般舟三昧院・遣迎院)の一つとして 御所内の仏事を明治維新まで司っている。
そのため 鷹司家・二条家・三条家・四条家・三条西家・嵯峨家などの公家の墓が数多くある。
室町時代になると応仁の乱による延焼で堂塔伽藍が全焼するが 本堂と唐門が約30年後の永正18年(1521年)に 後奈良天皇の戒師を務めた第16世恵教上人の代に三条西実隆が寄付金を集めて本堂と唐門を再建している。
江戸時代後期より天台宗に属するようになり 「嵯峨三名跡」の1か寺に数えられる。

厭離庵の特別拝観後に嵐山駅へ向かう途中、寄らせていただきました。
嵐山エリア 人が多くて避けていたこともあり実に8年ぶりです。
観光客だらけで普段ならやめるところですが山門付近からすでに紅葉が綺麗だったので参拝。
本堂の授与所にて御朱印をお願い。以前は本尊のニ尊の御朱印を拝受したので、今回は弁財天の御朱印をお願いしたのですが、受け取りに行きひ、開くとニ尊の御朱印。記号と弁財天さんの御朱印と伝えましたが、こちら紙ではなく口頭での依頼のため間違われてしまいました。
書き手が違うと字体も異なるので次の機会があれば弁財天さんのをいただきます。
本堂の周りは多くの人がいますが奥に進むと人も少なく紅葉も綺麗です。
ただ通常はもう少し奥まで進めるようですが「熊出没のため通行禁止」と閉鎖されていました。


圓光大師二十五霊場でのお詣り。いつ来ても圧巻の青紅葉🤗勅使門までしっかり青もみじを堪能し本堂へ。蹲の音がとても心地よい響きでした。本堂お詣りしてふと撮影禁止の札がないことに気付き、お伺いしてみると写真撮っていいとのこと😍ありがたく撮らせていただきました🤗お参り後御朱印がめっちゃ増えてる😅百人一首の和歌御朱印が10種類ぐらいあり、有名どころの和歌が並んでいたので今回は紫式部をいただいてきました🤗
時間があったので境内散策。小倉餡発祥の地石碑の横にお社が出来てました😲和泉明神社とあり御祭神は弘法大師と和泉和三郎命。弘法大師が唐から持ち帰った小豆の種子を和泉和三郎が栽培し、御所より下賜された砂糖を加え、煮詰め餡を作ったことから菓祖神と祀られています。近くの落柿舎の前の畑に「小倉餡発祥の由来」と題する立札があり、かつてこの小倉里に、和泉明神という社が祀られていたのことで再興されたのでしょう🤗せっかくなので四条流庖丁塚にお参りしたらその先にドーム状のちょっと変わったお墓をお見掛け。四条家墓所とのことで庖丁塚との間には包丁流祖の藤原山蔭卿の墓😲二尊院には何度か来てますが今まで気づかなんだ・・・😅神楽岡の吉田神社や茨木の総持寺創建のお方です。そのお隣には四條隆資卿・・・😲これまたこんなところになぜという感じです。建武の忠臣ですね。阿部野神社の北畠親房・顕家公といい最近縁があるのかなぁ😊その後湛空上人廟をお詣りして證安院へ戻りました🤗


【小倉山(おぐらやま)二尊教院(にそんきょういん)華台寺( けだいじ)】
本尊:釈迦如来・阿弥陀如来
宗派:天台宗
開基: 嵯峨天皇
~『百寺巡礼』五木寛之氏が選んだ百の名刹 第83番~
二尊院は、承和年間(834-848)、嵯峨上皇の勅願によって、慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)が開いたと伝えられている。しばらく荒廃していたこの寺を、法然が鎌倉初期に九条兼実の助力をえて再興した。その後、法然の高弟である湛空(たんくう)が堂宇を増築して、二尊院の実質的な中興の祖となった。応仁の乱で焼失し再び荒廃。16世紀初めに、長門国から来た恵教(えきょう)が再興。江戸時代には、京都御所の御内仏殿などの仏事をつとめる寺として発展した。
明治維新まで天台宗・真言宗・律宗・浄土宗の四宗兼学の道場だったが、明治以降は天台宗に属している。
~『百寺巡礼 第九巻 京都Ⅱ』五木寛之(講談社、2005)~




京都市内寺院巡りの2寺目は、右京区の嵯峨野に在る小倉山 二尊院です。嵐山に近いためグッと観光客が増えます。
昨年の紅葉時期前の10月に訪れていますが、「紅葉の馬場」が紅葉した所が観たくて、約1年振りに再訪しました。(宜しかったら昨年の参拝記録を見て下さい。)
天台宗で、本尊は釈迦如来と阿弥陀如来(共に重文)の二尊。
総門前の道路沿いに無料駐車スペースがありますが、紅葉シーズンのため交通整理の方がいらっしゃって「二尊院に参拝します。」と言ったら「どうぞ、停めて下さい。」と。(参拝客の殆どは徒歩かレンタサイクルでした。)
総門の前はスマホ(カメラ)を構えた方が多数。参拝せずに総門から見える紅葉の写真を撮られている方もいらっしゃった様です。
総門をくぐると拝観受付で、拝観料(500円)を納めて参道へ。「紅葉の馬場」と呼ばれている参道は想像以上に綺麗でした。突き当たりの左側の黒門の紅葉も良かった。黒門の奥は勅使門、勅使門の正面に本堂です。門をくぐり境内に入ると、またまた綺麗な紅葉。堪能しました。
本堂に上がって二尊に手を合わせて、本堂周りの廻廊を廻ってから納経所で切り絵タイプの御朱印(紅葉時期は全て書置きのみで直書きは無しのため、珍しく少し変わったタイプにしてみました。)を頂きました。
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