真宗大谷派
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彼岸入り2日目に三ヶ寺参拝しました。
真宗大谷派帯広別院さまは、妻の実家の菩提寺。
墓前に手を合わせお参りしたあと、帰りがけお盆の時には無かった会館一階に参拝記念スタンプの台紙があったのを発見して頂いてきました。

参拝記念スタンプを専用台紙に頂きました。

真宗大谷派帯広別院さま本堂になります。

帯広のお西さんを参拝してからお東さんへ2回目の参拝。法事をされているのか檀家さん達が来ていたので長居はしませんでした。会館だけでなく本堂にもトイレがあるのは助かりますね。

本堂

後ろから見た本堂

本堂のトイレ

バリアフリートイレもあります

御本尊前

帯広市にある浄土真宗大谷派の別院。
明治時代に創建されたお寺で帯広に十勝監獄があった時代には教誨師としてこちらのお坊さんが招かれていました。その縁で本堂の建設には囚人達も参加しており今も本堂の床板は囚人達が挽き割った木材のものです。
本堂も会館もとても大きく清潔でした。御本尊様に帯広出張の無事と成功を祈願。暑い日にありがたい冷たい麦茶まで様子してくれています。御朱印ではありませんが参拝記念のスタンプがあります。紙は用意されていないので持っていた紙に押しました。

本堂と会館

本堂

御本尊前

本堂

梵鐘鋳造の様子

会館玄関

花壇

漫画など
上には何故かパークゴルフ大会のトロフィー

消毒液

2024年能登半島地震豪雨復興支援募金箱

掲示板に貼られたやなせたかしの言葉

寺号標

手水

御釈迦様の刺繍

境内

鐘楼

会館内

信州本廟の瓦

駐車場案内

麦茶

本堂

カラスが集まってきました

書籍
授与品
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帯広別院の堂宇は明治三十一年説教所として創設せられたるもので、その後、函館別院帯広支院と公称の時、及び彰如上人御巡教の折に本堂再建を企図したが、そのつど僅少の増築と修繕とに止まっていた。大正十一年頃の本堂は壁落ち棟傾き廉雑極まる建造物であり、捨て置きしがたき事情に迫られ輪番はじめ有志の者の苦慮するところであった。
明治二十八年四月に開庁した北海道修治監分監には教誨師として五峰賢道師が着任し教誨に携わったのを始め、以後当監の教誨師にはあいついで大谷派の僧侶が採用された。全国的にも浄土真宗の僧侶が、囚人の教誨にあたる例は多く、十勝監獄と別院とは密接な関係にあった。
このような関係から、十勝監獄の教誨堂建築の時、旧教誨堂の売払いを受けてこれを改築することになり、費用は比較的少額にして多年の本堂建築の念願がかなえられたのである。
現存する本堂は、その後の改修により若干の変容はあるものの、ほぼ十勝監獄時代の様子を保っている。現在本堂の後堂に使用されている床板は、厚さ一寸以上、幅一尺五・六寸、七間半に及ぶタモと材である。当時の囚人たちによって挽き割られたものであり、カンナが十分に使えず手斧で仕上げたと思われる波形が今も鮮やかに残っている。これは十勝監獄当時の用材が現存し、確認できる稀有の実例といえる。
| 名称 | 帯広別院 |
|---|---|
| 御朱印 | なし |
| 御朱印帳に直書き | なし |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 電話番号 | 0155-25-1122 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | http://obibetu.or.jp/index.html |
詳細情報
| ご本尊 | 阿弥陀如来 |
|---|---|
| 宗旨・宗派 | 真宗大谷派 |
| 創建時代 | 1898年(明治31年) |
| ご由緒 | 帯広別院の堂宇は明治三十一年説教所として創設せられたるもので、その後、函館別院帯広支院と公称の時、及び彰如上人御巡教の折に本堂再建を企図したが、そのつど僅少の増築と修繕とに止まっていた。大正十一年頃の本堂は壁落ち棟傾き廉雑極まる建造物であり、捨て置きしがたき事情に迫られ輪番はじめ有志の者の苦慮するところであった。
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| 供養 | 納骨堂葬儀 |
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