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かいだんいん|臨済宗妙心寺派

戒壇院のお参りの記録一覧
福岡県 西鉄五条駅

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かおり
かおり
2024年06月27日(木)1878投稿

2年ほど前の事。仕事場に捨ててあった湯島天満宮の合格御守。
イヤイヤ、これは成就したなら返さなあかんやろ、と湯島天満宮に行ったのが、私が天満宮、菅原道真公にハマったきっかけかもしれない。
菅原道真公といえば太宰府!
何故か、太宰府天満宮に行こうと思い立ち。時間もあるからと立ち寄ったのが、観世音寺、そして、戒壇院だ。

筑紫戒壇院は天下三戒壇の一つとして、大和の東大寺、下野の薬師寺の戒壇とともに知られています。東大寺に戒壇が設けられ聖武上皇を始め孝謙天皇や貴族等約400人が授戒したのは、鑑真和上が日本へ到着した翌年、天平勝宝6年(754)でした。
 奈良時代、観世音寺に戒壇院が置かれました。戒壇とは僧侶として守るべき戒律を授けるところで、ここで戒を受けなければ正式の僧侶とは認められませんでした。戒壇はここ大宰府の他に、奈良の東大寺、下野(栃木県)の薬師寺に置かれ、天下三戒壇と言われました。本尊の廬舎那仏は平安時代の作で、重要文化財に指定されています。江戸時代に観世音寺を離れ、現在は禅寺となっています。(太宰府市の観光案内より)

唐僧鑑真和上が天平勝宝6年(754)に来朝して、わが国に初めて正しい戒律を伝えた。その折、聖武太上天皇や孝謙天皇が受戒された大仏殿前の土壇をこの地に遷して戒壇堂を築き、伽藍を造営したのが戒壇院の起こりで、やがてここから多くの僧が巣立っていった。その後、治承4年(1180)の兵火で全焼、重源上人・西迎上人が復興した鎌倉時代の戒壇院も文安3年(1446)に炎上し、現在は江戸時代に再建された千手堂・戒壇堂(県指定重要文化財)・庫裏(くり)を残すのみである。(奈良・東大寺の説明より)

私は、かねてから日本史と世界史を切り離した授業というものには賛成ではなかった。鑑真和上が日本に来られたことは日本史で学ぶ。だが、世界史の中での当時の大陸は?切り離して考えることではないだろう。
ペリー来航した1853年、ロシアとクリミア半島との間でクリミア戦争が起きている。歴史とは、大きな視点で視るべきと思うのだ。

太宰府に来るまで私は戒壇という言葉さえ知らないでいたのだ。奈良・東大寺は修学旅行で行ったきりだ。まるっきり興味もなかったから覚えていない。認知症婆さんだから?か!

広い庭は誰もおらず、静かであった。歩いて行ける太宰府天満宮の喧騒が嘘のようだ。昔の人の想いを庭の菩提樹は知っているのだろうか。
いかにも臨済宗らしい庭を観ながら思うのであった。

御朱印は書置きで、賽銭箱にお金を入れる事になっている。

西戒壇 修行者見るは 紫陽花よ

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