とけいいなりじんじゃ
斗瑩稲荷神社公式宮城県 古川駅
午前6時から午後5時
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方
斗螢稲荷神社
導かれるように参拝しました。
駐車場完備。18時近くでしたが、御朱印など対応していただきました!
お狐様が沢山。鳥居も沢山。稲荷神社は赤色が映えますね!
拝殿
駐車場からの一の鳥居
斗螢稲荷神社の説明書
二ノ鳥居からは赤色へ
お狐様が沢山います
拝殿前の階段
こちらにもお狐様
最後の鳥居へ
手水舎
拝殿前の最後の鳥居
拝殿前には着飾りお狐様が
拝殿にもお狐様が
拝殿右手

古川市荒谷に鎮座する斗瑩稲荷神社(祭神は伊勢外宮に鎮座せる豊受大神官様と御同神にして豊受比売大神様と申し、又宇迦之御魂大神様とも申す。 御神徳の広大なると共にその御名も稲々称し、古くから稲荷信仰の霊山として又正一位稲荷大明神として崇敬されてきた。当社は、信仰の神社として斗瑩さんの名で知られており(家内安全、商売繁盛、海上安全、五殻豊穣)の神様として参拝者が多い、特に石巻方面の漁業家の信仰が厚く江戸後期に金華山沖の漁場で発見された約四百年前の古い錨が奉納された
斗瑩稲荷神社 社務所にて直書き御朱印頂戴いたしました
斗瑩稲荷神社 御朱印と一緒に授与された(御祭神、古文書)等が書かれてます
斗瑩稲荷神社 御朱印と一緒に授与された(斗瑩稲荷神社由来記)です
斗瑩稲荷神社 御朱印と一緒に授与された(表刀神社、大崎八幡神社)の案内図です
斗瑩稲荷神社 御朱印と一緒に授与された(幕末の剣聖、千葉周作の生い立ちの地と祭典案内と地図)です
斗瑩稲荷神社 入口にある(斗瑩稲荷神社の社号標)の様子です
斗瑩稲荷神社 入口からの一ノ鳥居⛩️の様子です
斗瑩稲荷神社 入口右側にある(斗瑩稲荷神社由来記と剣聖の生い立ち)が書かれてます
斗瑩稲荷神社 参道を進んでいくと(ニノ赤⛩️鳥居)の様子です
斗瑩稲荷神社 参道からの様子です
斗瑩稲荷神社 参道から見たもう一つ⛩️鳥居の様子です(入口3箇所⛩️鳥居)があります
斗瑩稲荷神社 境内に鎮座する(阿形の狐さんの様子です
斗瑩稲荷神社 境内に鎮座する(吽形の狐さんの様子です
斗瑩稲荷神社 参道からの(斗瑩稲荷神社の二つ目の社号標)の様子です
斗瑩稲荷神社 二つ目の鳥居前に鎮座する(お辞儀する狐さんの様子です
斗瑩稲荷神社 こちらもお辞儀する狐さんの様子と石碑等です
斗瑩稲荷神社 境内にある(神碑)の様子です
斗瑩稲荷神社 参道からの鳥居⛩️の様子です
斗瑩稲荷神社 参道を登っていくと見えてくる(阿形の狛犬さんの様子です
斗瑩稲荷神社 反対側に(吽形の狛犬さんの様子です
斗瑩稲荷神社 参道からの(三ノ鳥居⛩️の様子です
斗瑩稲荷神社 境内にある(手水舎)の様子です
斗瑩稲荷神社 拝殿前に鎮座する(小さな阿形の狐さん🐈の様子です
斗瑩稲荷神社 拝殿前に鎮座する(小さな吽形の狐さん🐈の様子です
斗瑩稲荷神社 拝殿前の様子です
斗瑩稲荷神社 拝殿前の様子です
斗瑩稲荷神社 拝殿に鎮座する(狐さんの様子です
斗瑩稲荷神社 拝殿前右側に(一期一会、令和七年ほなみの杜こども園)です
宮城県は古川市荒谷に鎮座する斗瑩稲荷神社(とけいいなりじんじゃ)の御祭神は、宇迦之御魂大神、豊受比売大神、武甕槌命 三柱をお祀りしております。
御神徳の広大なると共にその御名も種々称し、古くから稲荷信仰の霊山として、又正一位稲荷大明神として崇敬されてきました。
社伝によりますと、文治3年(1187年)後鳥羽帝の御代、源義経は頼朝の勘気を受け奥州平泉へ下向の際、北陸路を通り鳴子を経て荒谷は斗瑩山に到着しました。 吉野の山によく似た斗瑩山に立ち寄り、静御前遺愛の鼓の調べに聞き入っていた時どこからともなく白狐が現れ”鼓は自分の亡き母の皮でつくったもの。ぜひ返して頂きたい。そうしてくだされば、義経公の守護に当たり、難を救ってあげます。”と、涙ながらに申し出ました。そうしているうちに白狐は斗瑩山の岩穴に入り込んだので義経は弁慶に命じ祭壇を築かせ鼓を捧げ、一向の武運長久を祈願致しました。 この白狐こそが左衛門尉四郎忠信に姿を変じ、義経公東下りの先達を務めた狐忠信であり、「義経千本桜」の歌舞伎で有名です。
先年社務所新築の折発見した古い巻物を読んだところ、その内容は「義経千本桜」と同じ内容でありました。村人はこれを伝え聞いて当時の傑僧良雲法師に頼み、一宇を建立して「左衛門四郎稲荷大明神」と崇敬しました。ここ云う静御前の鼓こそ世に云う「初音の鼓」です。(近年発見された当社古巻物との内容との違いを見比べてみてください)
その後、村人達の手によって崇敬されて来ましたが、応永30年(1423年)大崎左京大夫持栓が社殿を造営し小野城の守護とし、永正13年(1516年)野火により焼失致しました。永禄5年(1562年)光明寺開基である異庵全秀大和尚が伏見の稲荷山より勧誘し再建致しました。寛永年間正一位の称号を賜わり、依頼遠近の信仰を集めています。明治43年3月、鹿島神社を合祀致しました。
当社は信仰の神社として「とっけさま」の名で知られており、家内安全・商売繁盛・交通安全・海上安全・大漁満足・五穀豊穣・安産祈願・籤(くじ)當の神様として参拝者が絶えません。特に石巻方面の漁業家の信仰が厚く、江戸後期に金華山沖で発見され約400年前の古い錨が奉納されています。
歴史をもっと見る|| 住所 | 宮城県大崎市古川荒谷斗瑩28 |
|---|---|
| 行き方 | ・JR東日本 古川駅から車で15分(6.5km)
|
| 名称 | 斗瑩稲荷神社 |
|---|---|
| 読み方 | とけいいなりじんじゃ |
| 通称 | とっけさま |
| 参拝時間 | 午前6時から午後5時 |
| 参拝にかかる時間 | 20分 |
| 参拝料 | なし |
| トイレ | 社務所にトイレあり |
| 御朱印 | あり 御朱印、授与所は常時対応いたします。ご祈祷は要予約です。 |
| 限定御朱印 | なし |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | あり |
| 電話番号 | 0229-28-2644 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| メールアドレス | tokei@inarijinja.org |
| ホームページ | https://inarijinja.org/ |
| おみくじ | あり |
| SNS |
| ご祭神 | 豊受比売大神、宇迦之御魂大神、武甕槌命 |
|---|---|
| 創建時代 | 1182年 |
| 創始者 | 源義経 |
| 本殿 | 流れ作り |
| 文化財 | 伊達吉村公筆 七賢人図
|
| ご由緒 | 宮城県は古川市荒谷に鎮座する斗瑩稲荷神社(とけいいなりじんじゃ)の御祭神は、宇迦之御魂大神、豊受比売大神、武甕槌命 三柱をお祀りしております。
社伝によりますと、文治3年(1187年)後鳥羽帝の御代、源義経は頼朝の勘気を受け奥州平泉へ下向の際、北陸路を通り鳴子を経て荒谷は斗瑩山に到着しました。 吉野の山によく似た斗瑩山に立ち寄り、静御前遺愛の鼓の調べに聞き入っていた時どこからともなく白狐が現れ”鼓は自分の亡き母の皮でつくったもの。ぜひ返して頂きたい。そうしてくだされば、義経公の守護に当たり、難を救ってあげます。”と、涙ながらに申し出ました。そうしているうちに白狐は斗瑩山の岩穴に入り込んだので義経は弁慶に命じ祭壇を築かせ鼓を捧げ、一向の武運長久を祈願致しました。 この白狐こそが左衛門尉四郎忠信に姿を変じ、義経公東下りの先達を務めた狐忠信であり、「義経千本桜」の歌舞伎で有名です。
その後、村人達の手によって崇敬されて来ましたが、応永30年(1423年)大崎左京大夫持栓が社殿を造営し小野城の守護とし、永正13年(1516年)野火により焼失致しました。永禄5年(1562年)光明寺開基である異庵全秀大和尚が伏見の稲荷山より勧誘し再建致しました。寛永年間正一位の称号を賜わり、依頼遠近の信仰を集めています。明治43年3月、鹿島神社を合祀致しました。 当社は信仰の神社として「とっけさま」の名で知られており、家内安全・商売繁盛・交通安全・海上安全・大漁満足・五穀豊穣・安産祈願・籤(くじ)當の神様として参拝者が絶えません。特に石巻方面の漁業家の信仰が厚く、江戸後期に金華山沖で発見され約400年前の古い錨が奉納されています。 |
| 体験 | 祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬七五三御朱印お守り |
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