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満徳寺について
日本に二ヶ所あった縁切寺のうち一つ。
現在は廃寺で資料館となってます。
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群馬の旅✴縁切寺『徳川満徳寺』(๑•̀ㅂ•́)و
江戸時代中期以降に幕府から公認された二つの縁切寺の一つ!
上州(群馬県)にある時宗の尼寺満徳寺✨
徳川家康の孫娘 「千姫」 が入寺→離婚→再婚 (゚∀゚)
これが満徳寺の寺格に盤石の重みを与え、縁切寺法の存続・擁護の大きな力になったらしい。
二つの縁切寺✴鎌倉の東慶寺と満徳寺が江戸時代を通じて縁切寺として存在しえたのは、徳川家康の孫娘千姫にかかわる由緒から~ 満徳寺は千姫自身が入寺して離婚後再婚した例にならい、古くからの縁切寺法の特権が再確認されたと伝えられているそうだけれど、、実際には千姫本人は入寺せず(由緒の真偽はわからない)身代わりに俊澄上人が住職として入寺したといわれているそうです。俊澄上人は満徳寺の中興開山と称されているが出目ははっきりしていない女性。満徳寺の住職は現住職が後継を選任するシステムで、三代まで大奥から住職が選任されていることから、俊澄上人も大奥にいた人物だと推測されているようです。
色々と勉強になりました(^-^)

お庭の白梅が綺麗に咲いていました😊
今は廃寺ですが、中も外も綺麗に管理されています。
本堂は無料で入れていただけるのが嬉しい♪

最初の門
ここに駆け込んだのでしょうか、、
満徳寺の敷地内である門から内側に妻の体が一部分でも入れば夫に連れ戻されない、体の一部でなく履いていた草履を投げて敷地内に入ったり、投げた簪が門に刺さった場合もOKだったらしい!なんだかすごい😄

群馬県太田市徳川町にあった時宗の寺院である。山号は徳川山、本尊は阿弥陀如来。鎌倉の東慶寺とともに縁切寺として知られる。
徳川家の祖とされる世良田義季の開基により創建されたと伝えられる。そのことから徳川家の帰依を得て2代将軍・徳川秀忠の娘・千姫が豊臣秀頼と別れた後、縁切のためこの寺に入り、その後本多忠刻に再嫁したという。
江戸時代には幕府から朱印状も与えられていた。幕府瓦解により明治5年(1872)に廃寺となったが、地域住民が本尊などの什物を守ってきた。
平成4年(1992)、縁切寺満徳寺資料館が開館し、遺跡地には本堂・門などが復元され、遺跡公園として整備されている。さらに寺院として復活させる動きもある。
授与品
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満徳寺の情報
| 住所 | 群馬県太田市徳川町382−2 |
|---|---|
| 行き方 |
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