ちがんじいなり
智岸寺稲荷神奈川県 鎌倉駅
いつでも参拝可能です
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | なし(クルマは留められないが、スクーターか レンタルバイクなど自転車を一時的に駐輪することは可能。) |
今小路を進み「寿福寺」と「英勝寺」を少し通り過ぎた、
緩い上り坂の崖側に鎮座しています。
「英勝寺」作成の解説ボードの文面では近くの「隠里稲荷」(佐助稲荷神社)のことを書いていますが、勘違いしてこの神社を「隠里稲荷」と思ってしまう人がいますが、正式名は"智岸寺稲荷"です。
市内で 例えば鎌倉市扇ガ谷でも地域を特定しやすい谷戸(やと)名で呼ぶと、
当地域は ’ 智岸寺谷(ちがんじがやつ) ’ として名残を留めています。
’ 智岸寺 ’ は廃寺ですが跡周辺には太田道灌が邸を構え、
更に太田道灌邸の跡が現存する唯一の尼寺 ’ 英勝寺 ’ です。
隣は、伝・阿仏尼の墓所(供養塔)です。
’ 十六夜日記 ’ 作者であり歌人ですが、冷泉家初代の冷泉為相の母です。
徒歩圏内の ’ 泉ヶ谷 ’ に「浄光明寺」がありますが、
( 有料区域の )山中高台に ’ 冷泉為相墓所(供養塔) ’ が在り
両墓所が近い距離で向かい合う位置です。
投稿450件。
横須賀線に沿ってある道の崖下にあります。
英勝寺の前にあった寺、智岸寺にあったとされる稲荷社と言われています。
由緒書きらしきものに書かれてある『隠里稲荷』とは、佐助稲荷神社のことで、この神社の名称ではありません。
この神社の由緒書きではなく、お稲荷様を大切にしましょうと書いてあります。
阿仏尼の供養塔
19.11.29 隠里稲荷神社(智岸寺稲荷) _ 鎌倉市扇ガ谷
隠里稲荷神社(智岸寺稲荷) _ 鎌倉市扇ガ谷
隠里稲荷神社(智岸寺稲荷)
直近正中からの撮影を憚って、狭い場所で無理な体勢で斜めから撮った。
隠里稲荷神社(智岸寺稲荷)
英勝寺作成の由緒説明。
Webサイトなどで ’智岸寺稲荷 ’との解説も散見するが、
写真の文面から「隠里稲荷神社」の呼称を優先した。
左は、伝・阿仏尼墓所。
(阿仏尼は、冷泉家初代 冷泉為相の母で ’ 十六夜日記 ’ の作者。
冷泉為相墓所は「浄光明寺」奥の有料拝観区域高台に在る。)
< 境内の「英勝寺」作成解説ボードから引用 >
稲荷神社について
世にお稲荷様と申上げている稲荷神社は
倉稲魂神をお祭りしたもので今から約1300年の昔、
和銅4年の2月の初午の日に
京都の伏見に稲荷神社が鎮座したのが始まりです。
この神は稲がなるイナリの別名が示すように五穀の生育や
すべての産業を育成する広大な御神徳のある神ですから、
あるゆる人々の信仰をうけ全国各地の神社や邸内に祭られています。
鎌倉で由緒ある稲荷は隠里稲荷で、
鎌倉風土記によると源頼朝が伊豆の蛭が島にいたとき病の床につき
三晩続けて同じ白ひげの老人の夢を見ました。
その老人の言うとおりに薬を飲みますと病はなおり
これが縁で幕府を開くことが出来たということです。
この白ひげ老人が隠里稲荷の化身であったということです。
お稲荷様は大切にお祭りしましょう。(英勝寺)
住所 | 神奈川県鎌倉市扇ガ谷4丁目1−9 |
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行き方 | JR横須賀線または江ノ島電鉄線「鎌倉駅」西口から、徒歩約7分ほど。
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名称 | 智岸寺稲荷 |
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読み方 | ちがんじいなり |
通称 | お稲荷様 |
参拝時間 | いつでも参拝可能です |
参拝にかかる時間 | 5分 |
参拝料 | なし |
トイレ | なし( ヒント:「寿福寺」の隣に公衆トイレがあります) |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
ご祭神 | 宇迦之御魂神/倉稲魂命(うかのみたま) |
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創建時代 | 12世紀頃か? |
ご由緒 | < 境内の「英勝寺」作成解説ボードから引用 >
鎌倉で由緒ある稲荷は隠里稲荷で、
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体験 | 武将・サムライ伝説 |
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